textbook | ナノ
 
『イブイブライブ追加公演決定』と安っぽいフォントで書かれたチラシを、くしゃくしゃに丸めて鞄へ突っ込んだ。クリスマス中止のお知らせ。私にとってはつまり、そういうことである。
ライブ自体が好評だったことに加え、出演者側のごたごたでローテーションが上手く回らなかったらしく、そのやり直しも兼ねているのだそうだ。「二人の時間は取れそうもないです」そうはっきりと言葉にされた時、ショックでなかったと言えば嘘になる。けれども翠くんがあんまり申し訳なさそうに24日の公演チケットを差し出してくるものだから、こちらとしては「頑張ってね」と無理矢理に笑顔を作る他なかった。
彼が『アイドル』という立場にある以上、期待してはいけないと分かってはいたのだ。この先どんな記念日だって欠かさず一緒にいられる保証なんてないのだから、約束が「おじゃん」になるたびこんなふうにいちいち臍を曲げていたらキリがない。
翠くんが好き。その気持ちさえあればどうにかなるものだと思っていた。大抵の問題は我慢できるし、二人で乗り越えていけると。
それなのに、実際はたった一度恋人たちのクリスマスがキャンセルになったぐらいでこんなに落ち込んでいるのだから、情けないにもほどがある。
貰った関係者用のチケットを使って前列に座ったところで素直に楽しめる気もせず、少し離れた歩道橋の上からステージを眺めている。こういう時流星隊にメンバーカラーがあってよかったな、と、豆粒大のアイドルたちの中からグリーンの人影を見つけて思った。

「きゃー翠くん、こっち見てー」

沈んだ気持ちを無理にでも盛り上げようとファンの子たちの真似をしてみたら、想像していたよりずっと自分の声に覇気がなかったことに気付かされ、乾いた笑いが漏れ出る。
昨日――本来の意味での「イブイブ」ライブにおいて、翠くんが足を怪我したのを知っていた(知っていたも何も、捻ってしまった彼の足首に今朝方テーピングを施したのは他でもないこの私である)。
日頃からすぐに「鬱だ」だの「帰りたい」だのと口にするくせに、追加公演にまで出る、と決断したのは翠くん自身だ。腹を括ったら本気でとことん、そういうひたむきさが愛おしい反面、私は時々とても恐ろしくなる。
『高峯翠』は良い『アイドル』になる。素人の目から見ても、それは明らかだった。だからこそ、彼が自分自身に秘められた輝きや強さに向き合おうとするたび、考えるのだ。
もしも彼が夢の階段を上り詰めた時、その隣に私はいるのだろうか。
翠くんの脆さが、優しさが、どこかで誰かを救っていることが誇らしかった。殻を脱ぎ捨てて、少しずつ変わっていこうとする勇気に奮い立った。その行く末を見つめていられるだけでよかったと、そう思っていたのは嘘なんかじゃないのに。
気づけば辺りには雪が降り始めていた。冷えた手摺に押し付けた額が、ぴりぴりと痛む。

「こっちを、見てよ」

どんどん欲張りになっていく自分が嫌だ。



「……見てますよ、もうずっと」



思い詰めすぎてついに幻聴まで聞こえるようになったらしい。
耳をくすぐった甘い響きを掻き消すために、がん、と手摺に頭をぶつけた。そんな私へ追い討ちをかけるように、今度はほんのすぐ近くで

「だから名前さんが、今の今までライブが終わったって気付いてなかったこともちゃんと知ってます」

後ろから伸びてきた長い腕に抱きすくめられ、肋骨のあたりがきゅうと泣いた。痛いくらいに冷たい空気の中で、ぴったりとくっついた翠くんの身体がびっくりするくらい熱くて、耳元へ寄せられた唇からは白い息が引っ切り無しに漏れていて。
ねえ、走ってきてくれたの。そう思ったら今まで自分が世界で一番みじめで可哀想だなんて考えていたのが途端に恥ずかしくなってしまい、振り返ってその広い胸に顔を埋めた。

「お待たせしました。あなたのサンタです」

そう言って笑った翠くんは確かにそんな格好をしていたけど。グリーンの衣装にはお星様やジンジャーマンのオーナメントがきらきらのモールと一緒にぶら下がっているうえ、鼻の頭は何かの歌に出てきたトナカイみたいに真っ赤に染まっている。
これは果たしてサンタなのかツリーなのか、どうにも訳の分からないのがおかしくって、小さく噴き出した。赤くなった鼻先を指で軽く摘むと、笑われたことが不服だったのか、翠くんが微かに眉を寄せる。

「手ぇ、冷た」

私の手首を掴みながらはっとしたかと思えば、手袋を外して、まだぬくもりの残る大きなそれでかじかんだ指先を包み込んだ。その状態のまま不用意に頬を寄せられ、体温がほんの少し、上がる。

「だったら手袋してればいいのに」
「やですよ。おれ、今日最後に握るのはマイクじゃなくてこの手って決めてたんですから」

これから先、大事にしなくちゃならないものがどれだけ増えたとしても。
そうゆっくりと話し出す彼の前髪へ、静かに雪が降り積もっていくのを見ていた。

「結局のところ、おれは名前さんに帰ってくるしかないんです」
「……嘘だよ、そんなの、だって」
「嘘じゃねえよ」

ねじれて細かい傷がたくさんついてしまった心を、そっと覆い隠す白。翠くんの愛情は雪のようだと思う。溶けて消えてしまうたび泣きそうな気持ちになるけれど、季節が来ればまた惜しみなく降り注ぐのだ。

「何度だって、あなたを選びます」

少し怒ったような口調、いつになく強い視線がどうしようもないほど嬉しくて、繋いだ指先をぎゅっと結び直した。私だって本当は、たとえば何度離れたとしても、またこの手を取れる自分でいたい。
『アイドル』が何だ。今、私の恋人は世界で一番格好良い――私だけのサンタクロースだ。

「…あのね。サンタさん」
「なんですか?」
「欲しいものが、あるの」

気づいた時には、彼はいつもの『翠くん』に戻っていた。

「……そう思って、実はもう用意してあるんです」

ふにゃり、と緩められたその唇が私にキスをするまで、あとたったの三センチ。



Merry Christmas! 
 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -