textbook | ナノ
 
新しい服に袖を通す時。道行く全ての人に手を振りたくなるような、そういう気持ち。
――ただし、それは私が今身に纏っているのが花柄のワンピースや秋色のスカートだった場合の話だ。

(……我ながら)

どこへ向かっているのだろう。と、鏡に映った大袈裟なフォルムを見ながら考える。
目の前で気の抜けた表情を浮かべた黒猫が、西洋の騎士さながらぶかぶかの鎧を着込んでいた。高峯くんがそれを「ヨロイネコ」と呼んでにっこり笑ったとき、私は(なんてそのままのネーミングなんだ)とか、そういう感想しか抱かなかったのだけれど。この着ぐるみを製作する途中で経験したいくつもの苦労を考えれば、自ずと愛着も湧くものだ。
Knightsとの合同イベントに向けて何かマスコット的なキャラクターを、と彼に依頼したところ、即座にデザイン案が返ってきたのがこの猫だった。まさかすでに考えてあったとは、高峯くんのゆるキャラ好きっぷりにはひたすら恐れ入るばかりである。とはいえ、普段のレッスンでもこれくらいやる気を出してくれればいいのに、と思わなくもない。

(なかなか可愛く出来たんじゃないかな)

きっと合格点は貰えるはずだ。
自分の考えたゆるキャラが目の前にいて、動いて、触れられる。彼はどんな顔をするのだろう。思い浮かべてみたら、口元が緩んだ。
あのとろけるような笑顔で、愛おしそうに手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめられる。それは全て私に向けられたものではないけれど。

『大好きです、名前先輩』

一瞬、あり得ないシーンが頭を過ぎって、耐えられずすぐに掻き消した。
自分の好きなものに対してまっすぐな愛情を惜しみなく注ぐ高峯くんの言葉の先に、私の名前は決して続かない。そう分かっているのに、想像しただけで顔を赤くしてしまう自分が少し憐れだ。
気を取り直し、くるくる、と鏡の前で回ってみる。それから小道具のレイピアを掲げたり、猫らしいポーズを研究したり。イベント当日はまた一日中これを着たまま動き回らなければならないので、少しでも慣れておきたかった。

(翠くん、ライブ頑張ってにゃあ)

なんちゃって。
そう自分の頭を小突こうとした刹那、いきなり音を立ててレッスン室のドアが開いた。



「……誰かいるんですか?」

驚きのあまり咄嗟にその場に座り込み、壁へ寄りかかるようにして身体の力を抜く。所謂死んだふり――もしくはいないふり、というやつだ。着ぐるみの中に入っているからこそ出来る荒技である。

「……おかしいな」

よりにもよって私の人生で一番恥ずかしい瞬間にその場へ居合わせてしまった高峯くんは、訝しげに頬を掻いた。
願わくば、そのままどこかへ行って欲しい。

「あ」

けれどそんな私の祈りも虚しく、彼はそれを見つけてしまう。

「ヨロイネコ、だ……」

滅多に聞けない弾んだ甘い声に、ときめいている場合ではない。
何を思ったのか彼はこちらへ駆け寄ると、私(というよりはむしろ着ぐるみ)の目の前にしゃがみ込んだのだ。
あまりの距離の近さにごくり、と唾を飲む。聞こえてなければいいけれど。

「やっぱり、可愛い」

そう言ってふにゃふにゃと笑った。間もなく、大きな手が着ぐるみの頭部へ伸びてくる。

「名前先輩が着たら、もっと可愛いだろうなあ」

――はい?
突然自分の名前を出されて思考が止まった。
っていうか、もうすでに着ちゃってるんだけど。ねえ高峯くん。

「頑張ったら、また、デートしてくれないかなあ」

それ、どういう意味?
期待する私と、否定する私。人の気も知らないで、高峯くんは依然着ぐるみに向かって語り続けている。
何か言った方がいいのか、はたまたこのまま黙っていた方がいいのか。ここで止めてしまうのはもったいないような気もするし、だからといってこんな卑怯な手口で彼の心の内を聞いてしまうのは少し申し訳ないという気持ちもある。何よりも、私がこの状態から一体どう切り出したらいいのか分からない。
もし今鎧を脱いでしまえば、彼はまた「死にたい」と深い溜め息を吐くのだろう。でも、私にとって大切なのはもっとその先の展開だ。

「……大好きです、名前先輩」

どこかで聞いたような告白に、私の中の何かが切れた。



「……せ、先輩も、高峯くんのことが大好きだと思う、にゃあ」



高峯くんが私を見た。次は間違いなく着ぐるみじゃない、着ぐるみの中の私を見た。
驚きと慄きをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた結果、一周回って頭が真っ白、みたいな表情。ぱちぱち、というまばたきに合わせて、長い睫毛が上下する。

「……苗字先輩?」
「うん」
「さっきの、聞いてました?」
「うん」

だから今更呼び方変えたって、もう遅いよ。
ぼふっ、とどちらからともなく顔を真っ赤にし、彼がその場へ崩れ落ちる。

「なんっ、で、こん…ああっ!」
「お、落ち着け」
「……こんなふうに言うつもりじゃなかったのに」

道行く全ての人に手を振りたくなるような、そういう気持ち。
今すぐ猫の鎧を脱ぎ捨てて、高峯くんの手を取って走り出したい。グラウンドの中心で、「高峯くん、私のこと好きなんだって!」と学校中に聞こえるくらいの大声で叫びたい。

「翠くん」

だから、私も勇気を出さなくちゃ。

「もう一回、やり直してくれてもいいよ?」 
 
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