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「すみません。テツ…南雲鉄虎、いますか」

やけに姿勢の良い人だった。
最初、控え室の前に佇んでいるすらっとした後ろ姿を見た時は、どこかからファンの子が紛れ込んだのかと思っていたけど。振り返った彼女の手に鉄虎くん愛用のボトルとタオルが握られているのを見て、考えを改める。

「中にいますよ。呼びましょうか?」

忘れ物を届けに来たということは、それなりの知り合いなのだろう。お姉さんがいるという話は聞いた覚えがないが、ならどんな関係か、と言われれば少し判断に困る。
ひとつひとつ言葉を置くように淡々とした話し方とか、落ち着いた雰囲気、つんとした目鼻立ち。美人といえば美人なんだろう。でも、じゃあこの美人が鉄虎くんの友達か、或いは恋人かと考え始めたら、二人が一緒にいる場面をイメージするのは難しかった。どうしたって、印象が重ならない。

「いえ、大丈夫です。それよりも…」
「名前さん!?」

名前さん、と呼ばれたその人が話し終えるよりも先に、声を聞きつけた話題の当人によって勢いよくドアが開け放たれる。
心なしか彼女の表情が和らいだ、ような、気がした。

「来てくれたんスか!」
「テツがチケットくれたんでしょ。……それよりも、ほら、忘れ物」
「ああっ!」

あざーす!と深々頭を下げる鉄虎くんの顔がひどく嬉しそうで、既視感を覚える。

「…もしかして」

鬼龍先輩の、とそこでいったん言葉を止めて、勝手に一人ごちた。
体育会系で、いつも一生懸命まっすぐに生きてますって感じの鉄虎くんは、自分とはまったくタイプが異なるあの恐ろしい先輩になぜか強い憧れを抱いている。「大将!」そう言いながら忠犬のごとく付き従う姿、綻んだ笑顔が、今目の前にいる彼と僅かにダブって見えたのだ。
仮にあの人を介することで二人の間に交流が生まれたのなら、それはとても納得出来る。彼女は背が高いし、鬼龍先輩と並んだらきっと絵になるだろう。
しかし、やっと自分なりにそう結論付けたところで、俺をじいっと見つめる鉄虎くんが思いきり目を三角にしていることに気づいてしまった。

「この人は、俺の、彼女!」
「……かのじょ」

鉄虎くんの、彼女。
耳慣れない単語を咀嚼するのにしばらく時間がかかる。そっか、鉄虎くん、彼女いたのか。って

「えええ」

間の抜けた俺の反応に「名前さん」が僅かに眉を下げた。なんとなく、こんなやり取りを見るのは初めてじゃないのかなと思う。
ぴーぴー喚きながら俺の胸を叩いてくる鉄虎くんの拳を甘んじて受けながら、彼女に向けて苦笑を浮かべた。
ぺこりとお辞儀を返された時の、垂れた長い髪がとても綺麗で。そういえば、鉄虎くんってこういうの好きそうだな、とか。

「ごめんね。でも、そういう人がいるんならもっと早く言ってくれればよかったのに」
「あう……だって、隊長にバレたら絶対めんどくさいじゃないっスか」
「…あー」

常日頃「流星隊は俺の家族だ!」などと喧しい守沢先輩のこと、彼女の存在なんて知られた日には「ならば、メンバーの彼女だって家族も同然!」みたいな超理論でコンタクトを図ろうとするのは大いに想像がつく。そう考えたら、ほんの一瞬だけ頭に浮かんだ(うらぎりものめ)という気持ちが、音を立ててしぼんでいった。

「じゃあ、私はこの辺で」

だんだんと隊長の面倒くささについて話題を変えつつあった俺たちを見かね、それまでずっと黙っていた彼女が口を開く。

「ライブ頑張ってね」
「っス!」
「ええと……翠くん?も、頑張って」
「あ、ありがとうございます」

名前、知ってたのか。まあ鉄虎くんから話くらい聞いているのだろうし、別に知っていたところで何も不思議はない。
それにしても、なんだかよく分からない人だなあ。そんなことをぼんやり考えているうちに、名前さんは客席の方へ行ってしまった。



☆ミ



その日の鉄虎くんの張り切り様といったら、普段の比ではなかった。あまりにも興奮しすぎて振り付けを度々間違えていたので、多分この後プロデューサーさんに怒られるんじゃないかと思う。
基本流星隊のステージは、何かと前に出たがる守沢隊長とその愉快な仲間たち、のような感じ(不本意ながら)なのだけど。今日ばかりは、フォーメーションも忘れて自分のファンに手を振り続けている隊長を押しのけ、流星ブラックが華麗な宙返りを決める。ワッと上がった歓声に、鉄虎くんがターンしながら小さなガッツポーズを作ったのを見た。
あからさますぎて、こっちがハラハラする。
だって彼ときたら、ライブのあいだ中、ずっと客席の一点を見つめているのだ。

(頑張ってるなあ)

鉄虎くんが彼女に向ける愛情の大きさを、これでもか、と思い知らされる。
――でも、彼女の方はどうなんだろう。
あの綺麗な人が鉄虎くんの一挙手一投足に笑ったり、泣いたり。それはとても素敵なことのように思えたけれど、俺の中ではどうもまだまだ現実味を帯びていない。
最前列、中央よりやや下手寄りの特等席。なんとなく気になって、名前さんへ視線を向けた。

(……う、わ)

かわいい。

思わず照れた自分に気づき、ぶんぶんと首を振る。
ぎゅっと祈るみたいに顔の前で両手を結び、彼女はまっすぐステージを見つめていた。そして、鉄虎くんが派手な動きで会場を沸かせる度、噛みしめるようにくしゃくしゃっと笑う。

(すごいものを見てしまった)

俺なんかに理解出来るはずがなかったのだ。彼女の嬉しいとか、楽しいとか、好きとか、そういう気持ちはひとつ残らず全部鉄虎くんのもので。他の誰にも渡すものか、という明確な意志の元、どこまでもまっすぐにたった一人へ注がれている。
彼の、きらきらと輝く眼差し。
鉄虎くんの姿がどうしてあんなに眩しく映るのか、その答えを今、俺は見つけたような気がしていた。



「……翠くん」

アンコールが終わり舞台袖へと捌ける最中、鉄虎くんが俺に言った。

「なに?」
「み、翠くんはかっこいいっスけど、でも」

名前さんは、ダメっス

「と、とっちゃダメっスよ!」

彼の言わんとしていることを理解した瞬間、あまりにもおかしくて、思わずぶっと吹き出してしまう。
ムキになって俺の肩をばしばし叩いている鉄虎くん。そういえば今日はなんだか妙に二人のことばかり気にしていたので、要らぬ誤解をさせてしまったようだ。

「……心配しなくても、彼女があんなにかわいい顔するの、鉄虎くんの前だけだよ」

でもやっぱり、同じ男として、ほんの少しだけくやしい気持ちもあるから。
鉄虎くんなんか、これからプロデューサーさんにたっぷりお説教されちゃえばいいんだ、と、ささやかな呪いをかけた。



☆ミ



「高峯くん」
「はい」
「今日よそ見しすぎ」
「…あー」 
 
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