textbook | ナノ
「誕生日おめでとう、高峯!」
「みどり、おめでとう〜。きょうはぷれぜんとに、『とくべつ』なおさかなをみせてあげますね」
「翠くんおめでとうッスー!これでようやく流星隊一年生全員、16歳になったッスよ!」
「またひとつ歳を重ねるのでござるな……本当に、おめでたいでござる!」
バスケ部の練習で訪れたはずの体育館にいたのは、なぜか見慣れたスチャラカ変人集団だった。
全弾一斉発射されたクラッカーの煙が目に滲みる。強烈な火薬の匂いに混じっていても分かるのは、食べる前から胃もたれしそうなケーキの甘さだけ。
「突貫で作ったんでどうなることかと思ったッスけど、味は保障するッス!」
着色料をふんだんに使ったいかにも身体に悪そうなそれはどうやら鉄虎くんの手作りで、生クリームが淡く俺のイメージカラーに染まっている。控えめに言っても食欲をそそられる見た目じゃないが、どう考えてもここにいる人数だけじゃ食べ切れる気がしない8号サイズホールも、もしかしたら遠回しな嫌がらせなんじゃないだろうか。
「変だと思ったんですよね……。さっきユニット練習してる衣更先輩と明星先輩に会ったんで、今日の部活のこと聞いたら、なんか様子おかしかったし」
ぎこちない返事で視線を逸らした、上級生二人の様子を思い出す。多分守沢先輩から口裏を合わせるように言われていたんだろう。あの時は追求するのも面倒でそれ以上気に留めなかったが、まさかこんな罠が待ち受けていようとは。
「翠くんは、誕生日が嬉しくないんでござるか〜?」
「そういう訳じゃないけど……」
16歳の誕生日。普通ならまだ、少しぐらいはしゃいでいても許される年頃だ。だけれども、いかんせん図体ばかりがにょきにょき育ってしまった自分には、そういう年相応な振る舞いに対する気恥ずかしさというか――ある種、諦めのようなものがあるのも確かだった。
「はっはっは!浮かない顔をしていられるのも今のうちだぞ、高峯。見ろ、このプレゼントの山を!」
ケーキの横に積まれた幾つかの箱は山というよりどちらかと言えば小ぶりなものが多い。が、守沢先輩の話し方が大袈裟なのは別にいつものことだ。赤青黄黒とご丁寧に色分けされた包装紙のおかげで、カードを見なくてもどれが誰からのものかすぐに分かった。
「あけてみてください。そのばであけて『うれしそう』なかおをするのが、もらうほうの『まなー』なんですよ」
「分かりましたよ……」
底が知れない深海先輩の笑顔に気圧され、順番に積まれた箱へ手を伸ばす。
守沢先輩のプレゼントは新しいバスケットシューズ(この間たまたまショップで見かけて、いいなと思ってた奴)。深海先輩からは小さい魚の飾りが付いた髪留め(ちょうど最近前髪が邪魔になってきたところだった)。鉄虎くんの黒い箱の中身は変な四字熟語が入ったTシャツで(これでもう小さくなった中学時代のジャージをパジャマにしないで済む)、最後が仙石くん手作りの忍者ヒーローマスコットだ(なかなかにいびつで適当なデザインが癒される)。
――いくらなんでも出来過ぎじゃないだろうか。
「あ、翠くんが笑ったでござる!」
「さては気に入ったッスね……?」
誕生日なんて、そんなに特別なものじゃないと思っていた。家族からおはようの代わりにおめでとうと言われて、なんとなくその日の夕飯が少し豪華だったりして、だけどそれだけ。あとはいつもと何も変わらず、ただ過ぎていくだけの一日でしかなかったのに。
一緒にいてくれる他人がいる。俺以外にとっては「普通の一日」、だけれど今は、それを「特別」に変えてくれる仲間がいる。
「悪い気はしない、かな」
鉄虎くんが用意してくれたケーキのロウソクをひと息に吹き消せば、煙のせいで目頭がじーんと熱くなった。
多幸感に胸やけがする。
☆ミ
忍くんが鉄虎くんの顔面にケーキを投げつけたのをきっかけに、本日の主役そっちのけでパーティが開始された。最初からこうなる様な気はしてたけど。
パステルグリーンの生クリームにまみれた体育館を後々掃除しなければいけないことを考えれば多少憂鬱だが、たまにはこんなのも悪くないかもしれない。
「で、先輩はこんなところで何してるんですか?」
気付かれないよう近付いて、そっと後ろから声をかける。騒ぎの中心から少し離れたギャラリースペースの上でカメラを構えていたその人が、こぼれそうなほど大きな目を見開いてこちらを見た。
「……ばれてましたか」
「ばれてないと思ってましたか」
流星隊が全員集合しているのを見た時から、どこかにいるだろうとは思っていた。というか、このメンバーから祝福されて彼女から「おめでとう」のひと言もないのはちょっとあり得ないーーショックが大きい、という意味で。
「俺、名前先輩が祝ってくれるのずっと待ってたんですけど」
そうありのままに伝えれば、申し訳なさそうに小さな肩をすくめる。逸らされた視線を逃さないよう引き寄せて、おでことおでこをくっつけて、まっすぐ目を見つめたら先輩の顔は熱があるんじゃないかと思うほどあつかった。
「この会合企画したの、先輩でしょ。鉄虎くんにケーキの焼き方教えたのも、みんなにプレゼント選びのアドバイスしたのも」
見事なまでに欲しいものばかりが並んだ誕生日プレゼント。あんな所業が出来るのは、よっぽど俺のことをよく見ている人ーーつまり、彼女しかいないのだ。
「どこからくるの、その自信……」
否定しないのは肯定と同じ意味を持っている。これで俺の自惚れが、単なる自惚れではないことがはっきり証明された。
先輩と一緒にいると今まで知らなかった自分に出会う時がある。それは、多分こんな時。
「おれ、名前先輩がいてくれれば何もいらなかったのに」
素直な気持ち。歯の浮くような言葉。長くはないけど短いともいえない人生のほんの一場面で、誰かが自分のことを、たまらないほど好きでいてくれるとバカみたいに信じられること。
彼女はいつも俺に魔法をくれる。
「だって……誕生日だよ?たくさんの人が、翠くんが生まれてきてくれてうれしい、ありがとう、大好きだよって言いたい日なのに、私が翠くんを独り占めする訳にはいかないでしょう」
たとえば、こんなふうに。
さっき食べたケーキよりも甘い呪文をこぼす唇。このままでは頭がとろけてしまいそうで、堪えきれずに自分のそれで塞いだ。
「……おれは先輩のこと独り占めしたいですけどね」
生クリームの上のイチゴみたいに顔を真っ赤にして。後ずさろうとする先輩に、逃げる場所は与えない。
無駄に大きく育った身体が、こんなところで役に立とうとは。俺の腕の中にすっぽりと収まってしまった先輩は、羞恥心に長い睫毛を震わせていた。
「…み、みどりくん、ここ学校」
「おれ、今日誕生日なんで」
最初は軽く触るだけだった唇を、今度は隙間なくぴったり合わせる。出会った頃に比べると随分伸びた俺の前髪が鼻をくすぐって、いとおしそうに彼女が笑う。
「……足りない」
息継ぎのタイミングを見計らって、くっつけたり離したり。終始何か言いたげな吐息を洩らす先輩の下唇を柔く噛み、時々機嫌を取るように髪を撫でながら。
数える気さえ起きないくらい、何度も何度もキスをした。
「……翠く」
「もっと、ください」
加速する欲望は留まることを知らない。が、何しろ今日は「特別」なので。
「先輩の、ぜんぶ、おれにください」
これくらいの我儘は言っても許されるだろう。
そうして調子に乗った俺が突如乱入してきた守沢先輩のせいで生クリーム塗れになるのは、もう少しだけ後の話だ。