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「苗字先輩、大変、忍くんが!」

そう大声を出しながらランチタイムに乱入してきたひなたくんかゆうたくん(私はあんずちゃんと違って、彼ら二人の見分け方をあまりよく知らない)に手を引かれ、廊下を駆け抜けること数分。
連れてこられたのは暗幕の引かれた教室で、目の前に置かれているのは大仰な黒い棺桶だった。それが意味するところは、つまり

「ようやく会えて嬉しいぞ。…流星隊の嬢ちゃん」

おのれ、諮ったな双子。
不敵に笑った吸血鬼の先輩がぱちんと指を鳴らした瞬間、下僕のごとく両脇から葵兄弟が襲いかかってくる。育ち盛りの男子高校生パワーでがっちり取り押さえられ、あれよあれよと言う間にすっかり身包みを剥がされ、代わりに綺麗なドレスを着せられて――ん、ドレス?

「思った通りじゃ。よく似合っておる」
「どういうことか説明して貰えますか」
「そう怖い顔をせんでくれ。大人しくしていてくれれば、悪いようにはせんよ」

鮮やかなブルーグリーンに控えめなレースがあしらわれたそれは、身に纏っただけでさながら妖精のお姫様。正直いってまんざらでもない気分ではあるのだけれど、問い質すべきことはきちんと問い質しておかなければならない。
夢ノ咲学院においてその名を知らぬ者はいない三奇人の一角、『吸血鬼』朔間零先輩。噂には聞いていたけれど、実際会うのは初めてだ。

「正直に言うと、嬢ちゃんを誘拐したことに深い意味はないのじゃ」

突然のことについぶっきらぼうな尋ね方をしてしまった私に対し、吸血鬼先輩はさも楽しげに赤い瞳を揺らめかせる。
まあ座っておくれ、と促されるままテーブルにつき、ドレスの裾を直しながら言葉の続きを待った。

「ただ、『初対面』は一度きりじゃからの。記念すべき瞬間にはとびきりのサプライズをして然るべきだと、うちのイタズラ小鬼どもがうるさくてなあ」

批難がましく二人へ視線を向けると、片方はぺろっと舌を出し、もう片方は少しだけ申し訳なさそうに肩を竦めた。対照的なその様子を見るに、私をここまで連れてきたのはどうやらゆうたくんの方であるらしい。なるほど、それなら流星隊に所属している三人の一年生のうち、忍くんをダシに使ったのも頷ける。

「びっくりした?我ら泣く子も黙る『怪盗リトルツインズ』ってね!」
「驚かせてすみませんでした」
「…こんな回りくどいことしなくても、最初から言ってくれれば」
「ああっ、怒らないで!俺、先輩のためにお茶とお菓子も用意したんです」

怒っているわけではないけれど、ゆうたくんのその言葉で、自分がお昼ごはんの真っ最中に連れ去られてきたことを思い出してしまった。
上品な装飾が施されたクロスの上には、確かに暖かい紅茶とお茶菓子の詰まった小さな籐籠が並べられている。――中身がクッキーやチョコレートではなく、『激辛せんべい』とかそんなのばかりなのが少し気になるけれど。

「……お茶だけ、いただきます」

まさか紅茶にも何か入ってるんじゃ……と恐る恐るカップへ手を伸ばせば、朔間先輩の笑みが更に深くなる。(あ、意外と普通のダージリンだ)美味しい。

「名前ちゃんのことは奏汰くんから聞いておった故、ずっと話してみたいと思っていたんじゃよ」
「そのためだけにこんな衣装を?」
「なに、着飾った婦女子を眺めるのは趣味のようなもんじゃて、気兼ねはしなくて構わんよ」
「……ああ。そういえば羽風先輩と同じユニットの方でしたね」
「もう薫くんとは会ったのか。…なんというかまあ、彼は期待を裏切らんのう」

この学院内で数少ない女子生徒である、というだけで、あの人に声をかけられる理由には充分だ。朔間先輩も分かっているのだろう。棺桶に腰掛けて紅茶を啜りながら呆れたように、それでも愛おしそうに溜め息を吐く彼の姿は、今まで私が一方的に膨らませてきた畏怖のイメージと重ならない。

「それにしたって、私と話しても特に面白いことはないと思います」
「嬢ちゃんは謙虚じゃな。なに、『お楽しみ』は後に取っておくものじゃ。心配せんでもその時が来れば、自ら飛び込んてくるじゃろ」

でも訳が分からないのは相変わらずだ。
羽風先輩や深海先輩という共通の話題が見つかり、他愛もなく暫く歓談する。そういえばここに来てから妙にゆっくり時間が流れている気がするけれど、軽音部の部室は他とは別の次元に存在していたりするのだろうか。というか、私は妖精のお姫様の格好で午後の授業を受けなければいけないのだろうか。
まるでお見合いでもしているみたいな私と朔間先輩の横で、イタズラ好きの双子はひと仕事終えたとばかりに呑気にじゃれついている。役目が終わったなら教室へ戻ればいいのに――

「ちょっと待って」
「どうしたんです?苗字先輩」
「怪盗リトルツインズ兄。……君、今日まだ何もやってないよね」

あんずちゃん曰く「悪巧みをする時は一心同体」なこの二人がわざわざ別行動を取っていたのには、きっと理由があるはずだ。ゆうたくんが私を連れ回している間に、おそらくひなたくんは何かを仕掛けた。そしてそれは多分、私が彼らに対する警戒心を少しずつ緩めたあと――たとえばこんな時に、いきなり襲いかかってくるのだろうと。
急拵えの推理を肯定するように、ひなたくんがにっこり笑う。

「言ったでしょ、『お楽しみ』はこれからって!」
「おおそうか……プリンセス。残念じゃが、お迎えが来たようじゃよ」

ちっとも残念そうじゃない朔間先輩の言葉と共に、勢いよく扉の開く音がした。



「ッ、名前先輩!」



☆ミ



「……おお、みどりくんだ」

息を切らした必死の形相でその場に現れたのは、見紛うことなき私の『王子様』だった。
走って来たせいなのか髪はぐちゃぐちゃ、制服もぐちゃぐちゃ。お世辞にも格好良い登場とは言えない、けど、なんだか不思議と感動する。

「せんぱ、な、その格好、えっ、ちょ」
「大丈夫だから落ち着いて」

とりあえず私の無事を確認して安心したのも束の間、状況説明を求めようとした矢先に意味不明のお姫様コスプレを目の当たりにして二の句が告げず……というような感じで崩れ落ちる翠くん。心配になって駆け寄ってみれば、その手には小さなメモ用紙が握られている。

『大事なものは預かった
 返してほしくばお菓子(甘いやつ!)を持って、軽音部部室まで来られたし
 怪盗リトルツインズより』

そういえばひなたくんと同じクラスだったっけ。
ゆうたくんの役目が私をここに連れてくることだとすると、大方彼はこの脅迫状を準備して翠くんの机の中に忍ばせるのが仕事だったのだろう。傍らに落ちている白いビニール袋を覗き込めば、中身は購買で買ったと思しき飴やチョコレートがいっぱいに溢れていた。

「ちょっと、うちの後輩からカツアゲするのやめて貰えます?」
「そう言われてものう。彼をここへ呼び出すことに関しては完全に葵くんたちの思いつき故、我輩はノータッチじゃし」

戯けた口振りでステップを踏みつつ、朔間先輩は拾い上げたお菓子の袋からチョコレートを取り出し、口へ放り込んだ。

「やはり紅茶にはこっちの方が合うの」
「吸血鬼にも食に対する美学なんてあるんですね。血が飲めればそれでいいのかと思ってました」
「個人差はもちろんあるとも。因みに、我輩はどちらかというと甘党じゃ」

嬢ちゃんの血は、それはそれはもう甘くて美味しいのじゃろうな。
耳元で低く囁かれ、背中が粟立つ。妖しく光る瞳は完全に捕食者のそれだ。腰を引き寄せられ、頤に指を這わされて

「触らないで貰えますか」

逃げられない、と思った瞬間、後ろから伸びてきた長い腕に攫われた。
翠くんに肩を抱かれながら感じるのは、異様に高い体温と、私が好きな彼の匂い。鼻からいっぱいに吸い込めば、取り落とした平常心が少しずつ戻ってきた。

「このひと、俺のなんで」

朔間先輩の遥か背後で、双子がキャーとかヒューとか言っているのが聞こえる。けれど、そんなことは今問題じゃない。
上級生を前にいつになく強気な態度の翠くんからは、いつもの気怠げで後ろ向きな印象は微塵もしなかった。ドキドキ、というより、最早ひたすら感心するしかない。だって彼から「だるい」と「死にたい」を取ってしまったら、そこにはもう、「格好良い」しか残らないんだから!

「ようやっと『王子様』らしい顔つきになったの。しかし我輩も…」
「翠くん」

朔間先輩の言葉を遮り、振り返って首に手を回した。思い切り背伸びをして、どうにか耳元へ唇を寄せる。

「一緒に逃げて」

その意味を瞬時に理解した彼が私の身体を抱き上げた瞬間、動揺した朔間先輩からお菓子の袋をひったくった。



「「あーッ!」」



声を合わせた双子の制止を振り払い、翠くんが走り出す。彼らと違って追ってくるつもりなど更々なさそうな朔間先輩は、優雅に手を振りながら棺桶へと戻っていった。それから、猛スピードで軽音部室が遠ざかっていく。
廊下を全力疾走する翠くん。重たいドレスを着たままいとも容易く抱えられる私。これが本物のお姫様だっこってやつだ。因みに、偽物はまだされたことがない。

「ごめんね。手間かけさせて」
「心臓止まるかと思いましたよ!あんな手紙見せられて、まさかと思って2年の教室まで行ったらいないし、慌てて購買部でお菓子買って来たらなんかドレスとか着てお見合いさせられてるし!」
「やっぱり翠くんもお見合いみたいだって思った?」
「どこの国のお姫様なんですその格好!ああっ、もう、名前先輩可愛いな!」

急ピッチで血液が身体中をかけ巡る高揚感からなのか、なんだか今日の彼は口調に活気がある。というか、デレデレすぎて先輩どうにかなっちゃいそうなのですが。
すれ違う人という人がみんな私たちを見ていた。そりゃあ、やたらとデカイ一年生がドレス着た女子を抱えて飴やらチョコやら撒き散らしながら走っていたら気にもなるだろう。私だって見る。――翠くんの方は、まだ必死すぎてそんなことを考える余裕もないみたいだけど。
良い機会だから、しばらくはお姫様気分を楽しませてもらおう。せめて、集まる視線に気付いた内気な彼が、いつもみたいに「死にたい」って言い出すまで。

「あ、制服返してもらうの忘れた」 
 
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