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ピアスを買った。金平糖みたく小さな星の形に、あの子の名前と同じきれいな翠色をした石が付いているのがすごく気に入って。自分の耳にそのための穴が空いていないことに気づいたのは、とっくに会計を済ませ家に帰った後のことだ。
アクセサリーの類なんて普段は滅多に買わない、付けない私であるから、放っておいたらすぐに失くしてしまいそうな気がする。大切なものは肌身離さず持っておく主義なのだけれど、傷ひとつないこの箱入り耳ではそれも出来ない。
高校生にもなってピアスホールを空けずに生きてきたことに、あまり深い意味はなかった。雑貨屋さんで「可愛いな」と足を止めたことはあっても、付けてみたいと思うことはなかったし、なんとなく痛い思いをするのはいやだったし。
行き場のないそれをぼんやりと天に翳して見る。部屋の照明が反射して、流れ星がきらりと光った。
「可愛い」物を「可愛くない」自分が身につけるのは、なんとなく、悪いことのような気がする。幸か不幸かこれまでの私が己の身の回りに無頓着でいられたのは、見せたい相手がいなかったからだ。可愛いピアスやネックレス、そういうものの力を借りてまで、自分を良く見せたいと思える相手がいなかっただけ。

『名前先輩は可愛いですよ』

どこまでも私を甘やかす優しい彼の言葉を、ばかみたいに手放しで信じられたらよかった。本当はずっと、そういう自分になりたかった。
思い立って机の引き出しを探る。奥から出てきた未開封のピアッサーは、「あんた、少しは自分の身だしなみにも気を遣ったら?」と瀬名くんからいただいたものだ。断り切れず受け取ってしまったは良いものの、今の今まで持て余していた代物だった。
鏡に映った自分を覗き込む。まっすぐ見つめるにはまだ勇気がいる。けど。
これ付けて、会いに行ったら。また言ってくれるかもしれない。彼が「可愛い」って言ってくれたなら、私は今より少しだけ、私を好きになれるかもしれない。



「だめです」

だけどやっぱり現実は厳しい。



ピアスホールをあけてほしい、と翠くんに頼んでみた。あっさり断られた。

「いや、普通に、だめでしょ。女の子が身体に穴あけるとか」
「人の処女奪っておいて何を」
「唐突に下ネタ入れてくるの混乱するんでやめて貰えますか」

週末のお約束お家デートも終盤に差し掛かった頃だ。思い切って鞄からピアッサーを取り出した瞬間、あからさまに翠くんの顔が強張ったのが分かった。確かに彼も、あんまり痛いのは得意じゃなさそうだとは思ったけど。

「自分でやるのは怖いんだもん……」
「だからやめましょうって」
「これ高かったんだよ!?」

相場もろくに知らないまま衝動買いした弊害だった。ひとつひとつ丁寧にハンドメイドされたピアスのお値段は、アルバイトもろくにしていない学生風情にはちょっとばかり手痛い出費なわけで。
なかなか首を縦に振らない彼に業を煮やし、強引にその手を取る。こうなったらもう最終手段に出るしかない。

「おねがい、翠くん」

視線で訴える。やりすぎない上目遣いで、なんなら小首も傾げて、眉を八の字に歪めた彼の目をじっと見つめる。
前に雑誌か何かで読んだ『おねだり』の顔。これなら、翠くんも多少はグッとくる――はずだ。多分。

「……それ、おれが断れないの分かっててやってますよね」

大きな大きな溜息は、つまり了解と、そう解釈してもいいのだろうか。

「そんなことないよ」

そうだったらいいな、とは、思ってたけど。



☆ミ



「名前先輩」
「は、はい」
「じっとして」
「はい……」

ピアッサー片手に、翠くんがああでもないこうでもないと念入りに位置を確認している。余程集中しているのか、長い指が耳朶を掠めるたびにくすぐったがって身じろいでしまう私を咎める声が低い。

「先輩」

一度腹を括ってしまった彼の行動は早いもので、スマートフォンでピアッサーの使い方を調べるや否や消毒や諸々の準備をするまでの動作が流れるように行われていった。むしろだんだんと怖気付いてきたのはこちらの方だ。

「先輩」

期待と不安の板ばさみ。身体中の全神経が右耳に集まっているといっても良いような気さえしてきた。指の先から血の気が引いて、頭がくらくらする。

「先輩、ちゃんと息してください」
「はっ」

何度目とも分からない呼びかけで、迷子になっていた意識と呼吸を取り戻す。ふと翠くんの方を見れば、ようやく納得のいったらしい角度で既にピアッサーを耳へ押し当てているところだった。
ごくり、と喉を鳴らしたのがどちらの音だったのかは分からない。
自分がこんなに意気地なしだったなんて知らなかった。いつもは翠くんを相手に「私が引っ張っていってあげなきゃ」なんて歳上ぶっている手前、情けない姿を晒すことに若干の気恥ずかしさもある。
でも、彼はそんなこと少しも気にしないんだろうな。

「……いきますよ」

ぎゅっと目を瞑る。それから、たっぷり一呼吸ほど置いて。
ばちん、と大きな音がした。一瞬だけ気を取られたあと急速に熱が右の耳朶へ集中し、鋭い痛みが――

「ん、っ、!?」

襲う、と思った瞬間、なぜだか翠くんの顔が目の前にあった。
後ろ頭を引き寄せて、空いたばかりの穴をピアスで塞ぐ。彼が何をしているのかきちんと理解出来たのはそこまでだ。
唇をこじ開けられて、ぬるりとした舌が上顎を舐める。咄嗟に引っ込めた自分のそれもやがて呆気なく絡め取られ、息を吐く間もなかった。角度を変えながら延々と続くキスの応酬。こうなると、もう何も考えられなくなってしまうのがいつものことで。

「っふ…ぅ、ん、んんッ」

結局唇が離れる頃には、痛みはほとんどどこかへ消えていた。



「キスって鎮痛効果があるらしいです」
「……そういう豆知識は前以て言っておいて欲しいんだけど」

その後左耳の穴を空ける際も翠くんの策にまんまと乗せられ、結局怖がっていたほどの痛みを感じることはなかった。それにしたって、どこか怪我するたびにいちいちあんなキスをされていたんじゃ私の心臓がもちそうにないんだけれど。
緊張の糸が切れて動かなくなった身体を彼に預ける。鏡の中の自分の耳にきらきら光る翡翠の流れ星を見つけて、思わず頬が緩んだ。

「やっぱり買ってよかった」
「急にお洒落したい気分になったんなら言ってくれれば……おれが」

プレゼントしたかったです、と不満げに彼は言うけれど。

「ねえ翠くん」
「何ですか?」
「私、可愛いかな」

心の奥のそのまた奥、大切にしまっておいた質問をそっと投げかけてみたら、翠くんは高校1年生の普通の男の子の顔をして笑った。

「……すげー、かわいい」

よっしゃ! 
 
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