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「案外気付かれないもんだねえ」

歌うような節回しと共に俺の伊達眼鏡を直しながら、名前先輩がにこりと首を傾げる。
地方各所のゆるキャラ達が一堂へ会する移動式遊園地『ゆるキャラランド』がついに地元へやってくる、というニュースを真っ先に報せてくれたのは彼女だ。「ふ×っしーに会いたいの」地元とはいえ電車で一時間程度の距離はあるし、紛いなりにも『アイドル』として活動している手前そんな人通りの多い場所へ白昼堂々行って良いものかと諦め半分で情報収集さえ怠っていた俺へ、恥ずかしそうにそう言った。ここ最近の流星隊はイベント続きで身体はともかく心の方の疲弊が著しかったので、彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
眼鏡と帽子でなんちゃって変装、という先輩の助言に基づきコーディネートされた姿は、朝鏡で確かめた時はなんだか自分じゃないみたいだったけど。いつもよりも心なしかふわふわした口調で「翠くん」と呼ばれる度に、少しずつアイデンティティーを取り戻していった。

「ちょっとお腹が空いたかも」
「じゃあ屋台通りの方行きましょう」

全くばらばらのコンセプトで作られたゆるキャラを無理矢理一箇所に集めたテーマパークであるから、園内の雰囲気は当然ながら混沌としている。タコ焼きの出店の隣でカボチャの馬車がくるくる回ってたり、コーヒーカップの前で侍の着ぐるみが写真撮影してたり。
先輩は、朝からずっとゆるキャラを見つけてはふらふらと向かっていく俺の後ろを、文句ひとつ言わずについてきてくれたけど。多分、ふ×っしー以外は名前も何も知らないのだろう。
飛んだり落ちたり回ったりする乗り物は苦手だし、出来ることなら人混みにも入りたくなかった。だけど今、「俺」は俺だけのものではないのだ。このままじゃ男が廃る、それくらいのことは分かる。

「あの……高峯翠くんですよね?」

ここはひとつ覚悟を決めて、いっちょ手でも握ってみようか。
そんな俺の勇気を無惨に打ち砕いたのは、知らない三人組の女の子だった。

「はあ、そうですけど」
「やっぱり!本当にゆるキャラ好きなんですね〜」
「私たち、流星隊のファンで、夢ノ咲までライブ見に行ったこともあるんです」
「あの…握手して貰っていいですか?」

なんだかアイドルにでもなった気分だ。
いつもだったらここで「翠くんはアイドルでしょ!」とツッコミを入れてくれる彼女は、いつの間にか忽然と姿を消している。先輩のそういう生真面目でそつのないところは嫌いじゃないけど、俺としては何も知らずにきゃあきゃあ騒いでいる女の子たちを少し恨めしく思ってしまうのが現状だった。
とはいえ、ここで「ファン」だと言ってくれる彼女たちを無碍にしてしまっては、それこそ名前先輩に面目が立たない。本来平凡ないち高校生でしかないはずの自分がこんなふうに街中で声をかけられるまでになったのは、どう考えても先輩のおかげなんだし。

(矛盾してるよなあ)

遣る瀬無い気持ちになりながらどうにか繕った笑顔で握った手は、ひとつの肌荒れも切り傷も見当たらずすべすべとして柔らかかった。



☆ミ



閉園準備のBGMが流れ出す中、ふ×っしーの顔出しパネルの後ろにしゃがみ込んで隠れている先輩を見つけた。一応謝罪の意味も込め、屋台で甘い物を色々買って来たりもしてみたが、どうにもかける言葉が見当たらない。

「あ、翠くん」

先に声を発したのは彼女の方。

「ちゃんとファンサービスしてきた?」
「……まあ、それなりに」

思っていたよりもあっけらかんとした口調だった。デートを途中ですっぽかされたことなんて最初からなかったみたいに、俺のアイドルとしての成長を心から喜んでますと言わんばかりの笑みを浮かべる名前先輩は、ふたりきりの時はついぞお目にかかっていなかった『プロデューサー』の顔をしている。
先輩が、無理をしたい時の顔。

「先輩クレープ食べますか」
「いただきます」
「イチゴのやつと、チョコのやつがありますけど」
「んー。どっちも食べたいから、半分ずつにしよ」

そう言う先輩にとりあえずイチゴの方を手渡し、倣う様に死角へしゃがみ込む。
おいしいね、と嬉しそうに笑う彼女の、留守になっていた左手をそっと握った。衣装作りやステージ設営のために傷をこさえた小さな手は、指先がちょっとかさかさしていて。押し寄せる愛おしい気持ちに、たまらなくなって頬を寄せた。
先輩は少しだけ驚いたような顔をしたあと、躊躇いがちに目を伏せ、弱々しく握り返してくる。

「本当はね」

いつかこういうことが起こるだろう、という漠然とした予感は、付き合い始めたころからずっとあった。どちらを選んでも彼女を傷付けることに変わりがないのなら、多分初めから「好きだ」なんて伝えるべきじゃなかったのだろう、とも。
それでも先輩を巻き込んだのは単なる俺の我が儘だ。ただ、俺がこの人を、他の誰にも渡したくなかっただけで。
思いもしなかった。

「あの子たちの前で、腕でも組んで、この世界一格好良い男の子は私の恋人です!って言いたかったんだよ」

彼女が俺と同じことを考えていた、なんてそんな、夢みたいな。
こぼれ落ちた弱音はきっと俺の心の隙間を埋めるためのもので、本当ならずっと隠し持っておくつもりでいたのだろう。ここまでお膳立てをしてもらって格好付けられなかったら、俺は本物の大ばかやろうだ。

「先輩、口。生クリーム付いてますよ」
「えっ、うそ」

嘘です、と言う代わりに唇を塞いだ。いいんだ、どうせパネルの影に隠れて俺たちの姿は誰にも見えていない。
一度目はちょんと触れるだけ。二度目は頤に手を添えて、柔らかい下唇を軽く食んだ。甘い香りが鼻を抜けていく。
もう少し。あと、ひとくち、だけ、



「わ、っ」

バランスを崩して後ろへ尻餅を付いた先輩の顔が、差し込んだ夕陽で赤く染まっていた。

「……たべられちゃうかと思った」

眼鏡を外して、帽子も取って、俺はようやく『ただの高峯翠』に戻る。情けなくて、欲深くて、どうしようもなく名前先輩のことを好きなだけの自分に戻り、彼女の背中に腕を回した。

「おれ、先輩のものです」
「うん」
「先輩もおれのものですから」
「うん、うれしい」

うれしくって、泣いちゃいそう。
震える声でそう言った、彼女のためなら俺はいくらでも道化になろう。本当の自分なんて、この人だけが知っていてくれればそれでいい。だから今は。

「もうちょっとだけ、こうしててもいいですか」

すん、と鼻を鳴らす音が、答えた。 
 
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