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『夢ノ咲学院アイドル科』の合格通知が家へ届いたのがつい昨日のこと。おれは現在、絶賛失意のどん底にいる。
夢ノ咲といえば有名な歌手や芸能人を沢山輩出している、いわばスーパースター養成所のような学校だ。当然のように両親は大喜び――自分たちの息子が本来普通科を受験するはずだったことも忘れ、赤飯まで炊いて祝福する始末だった。
滑り止めにもう一校くらい受験しておけばまだ選択の余地があったものを、なまじ偏差値的に余裕だったことが仇になってしまった。辞退したいのはやまやまだが、まさかしがない八百屋の息子の「高校浪人したい」なんて我が儘が、このご時世に通るわけもなく。
高峯翠、四月からアイドルになります。――自分で言ってて死にたくなってきた。

「おかえり」

本来聞こえるはずのない台詞を辿って視線を漂わせると、我が物顔でおれのベッドに胡座をかきプレステのコントローラーをガチャガチャ弄っている名前と目が合った。

「……なんで居んの」
「今頃会いたい気分だろうと思ってさ」
「なにそれ」
「だから、私の分のアイスも買ってきてくれたんでしょー?」

何もかも彼女の思い通りかと思うと少し癪ではあるが、手に提げたビニール袋の中のハーゲンダッツが一人で食べ切れる量でないことは事実だ。「ん」と満面の笑みで伸ばされた手のひらへ名前用の抹茶味とスプーンを乗せ、その隣に同じく胡座をかいて座る。

「これ食べたら翠も一緒にゲームしよ」
「おれ、戦力にならないけど」
「後ろでずっと魔法打っててくれるだけでいいから」

クラスの流行に乗って買ってみたもののあまりの難しさにクリアーしないまま放置していたゲームソフトは、ある時からすっかり彼女のお気に入りだった。名前がいなければ、おれがエンディングをお目にかかれる日は多分永遠に来なかっただろう。とはいえ、もう子供じゃないんだから男の部屋に堂々無断で上がり込むのはどうかと思うが。
滑らかな白をスプーンですくって一口。優しい甘さと、清涼な冷たさが広がる。

「翠はいつもバニラだよね」
「名前が『やっぱり抹茶かな、でもバニラもいいな』って言うからでしょ」

次の一口は彼女の口元に持っていった。待ってましたと言わんばかりに開かれる唇、真っ赤な舌が、溶けかけたおれの気持ちごとぺろりと攫っていってしまう。
「名前のため」という大義名分の半分は本当で、半分は嘘だった。
おれが、初めて学校をずる休みした日。彼女は家に来た。半ば無理矢理押しかけるみたいに、だけど中学生のお小遣いでは高級過ぎるアイスクリームを携えて。

「翠のものは私のものだもん」

どこかで聞いたような台詞を言いながら得意げに笑う。名前は何も変わっていない。あの頃も、今も

「……すごいじゃん。夢ノ咲」

おれが一人で泣きたい時に、決まって隣に現れるのだ。

「何もすごくないよ。おれなんか、見せかけだけで……そういうのってそんな長いこと誤魔化せるもんじゃないし。みんなをがっかりさせるの分かってて、目立つことなんてしたくない。キラキラの衣装着て、何頑張っちゃってんのあいつ、とか思われたくない」

すごく上手じゃなくてもいい。本当は昨日よりも少しだけ、大丈夫な自分になりたい。そういう意味で『アイドル』という存在に対し焦がれるものはある。届かないのが怖いから、まだ手は伸ばせないままだけど。
ずっと胸の中でぐるぐるしていた気持ちを吐き出したら、少しだけ軽くなった。情けない男だなんて今更だし、おれがどれだけ泣き言をこぼしても多分名前は笑わない。分かったような口ぶりで叱ったり、励ましたりもしない。

「相変わらずのハードモードですなあ」
「もう、ベリーハード通り越してダンテマストダイって感じ」
「それでも私は放り出したりしないよ」

翠の夢は私の夢だもん。
いっそ身勝手と詰りたくなるほど、彼女はおれを信じることを諦めなかった。何度負けようが挫けようが、気がつくと隣にいて、じっとこちらを見つめている。

「翠はすぐへこんだりふてくされたりするけど、その代わり他人のちょっとした傷にも気付いて優しくしてあげられるじゃん。そういう人を喜ばせるのが上手いところって、アイドルにとっても大事なんじゃないの?」

試すようなその視線に、おれのなけなしの勇気は奮い立つしかないのだ。

「今の自分を『すごくない』って言えるのは、とてもかっこいいことだと、私は思いますよ」

有りのままの自分を愛せるようになる日なんてきっと永遠に来ない。それでもたったひとつ胸を張れることがあるとするなら、「まあいいか」と思える気持ち。どんなに辛くても変わらず明日は来るのだし、どうにかやっていこうと決めたのなら、出来るだけしなやかに歩いていきたい。

「……おれ、アイドル、やってもいいのかな」

そうしたら、いつかは伝えられる日が来るだろうか。

「翠がやるって決めたことなら、いつだってそれが一番良いに決まってるよ」

吐血して、転げ回って、べそかいて、それでも容赦なく続く日常の上にいて、君のために歌えることがおれの幸せ。 
 
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