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テレビ画面と隣の横顔を交互に見つめる日曜日の朝。片や全身全霊で子供達のヒーローを熱演している最近人気急上昇中の若手俳優守沢千秋、そして片や襟ぐりのくたびれたTシャツ姿で寝ぼけ眼を擦っている私の恋人。
今日の千秋はなんだか様子がおかしい。半分以上眠った状態で起き出してきて私の作った朝食を食べ終えた頃にようやく覚醒、というのが低血圧な彼のいつものパターンではあるけれど、それは平日に限った話だ。週末のスーパーヒーロータイムを誰よりも楽しみにしているこの男は、とっくのとうに勢いよく飛び起きてテレビの前にかじり付いている――はずだった。

「ちあき」
「んんん」
「千秋じゃま。テレビ見れない」

はずだったのだけれど。
さっきまで隣に三角座りでうつらうつらと舟を漕いでいた千秋は、ついに私の身体へ腕を回し首元に顔を埋めて眠り始めた。おかしい。
画面の中のヒーローは相変わらずの暑苦しさで、正義の名の下になんとかとか悪を挫いてかんとかとかお決まりの台詞を叫んでいる。彼のこういう底が知れない熱量は普段私を辟易させることの方が多かったけれど、今となってはこの凛々しさを目の前のへなちょこヒーローに少し分けてやりたいくらいだ。
一体、どんな悲劇が千秋を襲ったのか。

「ていうか、今日は早朝入りだって言ってたじゃん」

実は私はその答えをもう手にしていた。

「モデルさんとの一夜はドウデシタカ」
「…知っ」
「忍くんが朝イチで電話くれたんだよ。『お二人はもう別れてしまったんでござるか!?』って」

千秋の眉間に、見慣れない皺が寄った。珍しい顔だ。彼の行動が100パーセント厚意によるものだと分かっているから、余計に遣る瀬無いのだろう。
今日発売する週刊誌らしい。結構大きめの記事に男女二人が同じマンションへ帰っていく写真が掲載されており、見出しはこうだ。「若手俳優守沢千秋、雑誌モデルと熱愛発覚か!?」ちなみに私はただの平凡な会社員である。

「あ、あれはだな」
「知ってる。嵌められたんでしょ」

浮気が出来るほど器用な男ではない。ただでさえ困っている人を見れば放ってはいられない彼のこと、最近誰かに尾行されてて…だのベランダのハチの巣を退治して欲しくて…だの、自宅に呼び出すそれらしい理由はいくらでもある。スキャンダルで謹慎を食らったのは確かに痛いけれど、むしろ、モデルの売名行為に利用されるくらい有名になったのだと喜んでもいいとさえ思っていた。

「……すまん。不意打ちだ」

今、この瞬間までは。
てっきり私は女性の部屋へ行ったことよりも、仕事がキャンセルになったことを謝られると思っていたのだ。そこで『何か』が起きていた可能性なんて露ほども疑っていなかった。

「一度だけ、唇が触れた」

馬鹿正直に話してしまう千秋の真面目さを、今日ばかりは呪わずにいられない。
本当は信じたくなかっただけだ。この人の固い胸に誰かが身を寄せたなんて、大きな背中に誰かが腕を回したなんて、私へ愛を囁く唇に――

「……千秋のバカ」

そりゃあ、こんなに良い男、チャンスがあれば唾付けてみたくなるでしょうよ。
あまりのショックに耐えきれず、立ち上がってキッチンへ向かう。ここで千秋に泣き顔を見られるのはどうしても嫌だった。彼のことなら何でも理解しているみたいな顔をして、余裕のある大人の女を気取って。勝手に裏切られたような気持ちで、子供みたいにみっともなく癇癪を起こすところを見られるのは嫌だった。

「名前」
「なに。言っておくけど、働かない男に食わせる朝ゴハンはないからね」

我ながらこれはない、と思う。この男がバカで軽はずみなのはいつものことだ。だけれども、千秋はなんにも悪くない。突然の休日を一番気に病んでいるのは、今まで仕事に対し人一倍真摯に向き合ってきた彼自身だとちゃんと知っている。本当は励ましてあげたいのに、どうして上手くいかないのだろう。
ストーカーに遭ったらすぐ警察へ通報するし、ハチの巣なら業者に処理してもらえばいい。大抵のことなら一人でなんとか出来る可愛げのない自分。でも

「名前」

恋だけは、千秋がいないと出来ないのに。

無理矢理肩を掴んで引き寄せられ、向かい合う体勢になった刹那キスをされる。ぎゅうぎゅうと力任せに押し付けられた唇が離れ、ふと週刊誌に載っていた女性の顔が頭を掠めたと思ったら間髪を入れずまた降ってきた。息継ぎをする間も与えんとばかりに何度も何度も繰り返す。
がくりと膝の力が抜けた身体を千秋は片腕で支え、そのままベッドへ放り投げた。二人分の重みでスプリングが軋む。

「本当に、すまない」
「……いいよ。もう」
「俺はこういう男だから……これからもこんなふうに、お前を悲しませてしまうことがあるかもしれない。だが」

躊躇いがちに伸ばされた指先が、私の涙をそっと拭った。

「俺は、名前がいないとだめなんだ」

欲に溺れた男の顔。子供達のヒーローよりも、こっちの方が断然格好良い。
シーツの海に沈みながら、千秋がテレビの電源を落とす音を聞いた。



☆ミ



「……もうお昼過ぎてるじゃん」

あれから妙に気分が盛り上がってしまい、いつもより三割増し情熱的な行為の後、二人揃って泥のように眠っていた。右腕を私の枕にしながら満足げな寝息を立てる彼の首には、その激しさを思わせる赤い痕が複数残っている。こればかりは、千秋の仕事が休みでよかったと思うしかない。
上半身を起こしてベッドの脇に落ちていた下着を拾いあげると、長い腕がお腹に巻きついてきた。

「何か食べたいものある?」
「……フライドポテト」
「重すぎでしょ」

ただ、重い男はそれほど嫌いじゃないとついさっき気付いてしまったので。

「たまには、二人で出かけよっか」

せっかくの休日を楽しんでみるのも、いいかもしれない。 
 
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