06 プールに飛び込み
やっとの思いで磨き上げたプール。
どぼどぼと音を立てて水が張られていくのを眺めながら、あれ結局何で俺こんなことしてたんだっけかと首を傾げた。
事の始まりはもはや言わずもがな、ユキ先輩である。
つくづくこの人に関わるとロクなことがあったりなかったり。
不精のくせにアクティブってどんだけ矛盾してるんスか、そのやる気のベクトルを少しばかり右とか左とかにずらせば椿原先輩の心労もちょっとくらいは減っただろうに。
しまった、思考が脱線した。
そう、事の始まりはニート予備軍のくせに意外とフットワークの軽い毎度おなじみユキ先輩である。
部室でたまには写真部らしいことでもするか、とデジカメの電源を入れようとしたらまさかの電池切れでテンションが下がったところにユキ先輩がやって来て、「シロくん、みかみん、アイスが食べたくはないかい!?」とやたら笑顔で訊いてきたのである。
「ああ……まあ、くれるって言うんならもらいますけど……」
そう曖昧な返答をする俺の腕を「よっしゃ!」とがっちり掴み、「みかみんは?」と訊いたユキ先輩に、三上はゲーム画面から1ミリも視線を動かさずに「……遠慮する」と答えた。
その時点で微妙に嫌な予感的なものはしていたが、ユキ先輩にずんずん引っ張られて連れて行かれたのは校庭の隅にひっそりあるプール。
そこで待機していたアサギ先輩と、どこかで見たことはあるが名前が解らないもう一人の先輩に「男手一名確保であります!」とユキ先輩がにこにこしい顔で言った瞬間、俺は悟った。
ああ、担がれた。
三上のやつ絶対こんな感じの展開になるのが予想ついてたな、と思いつつその後俺はサンダルとデッキブラシを渡され。
「いやあ助かったよ、風紀委員みんな今出払っててさー」と笑うユキ先輩の知り合いらしい先輩に、そういえばこの人風紀委員長だったと思い出す。
「じゃなくてですね! どういうことすかユキ先輩!」
と憤慨して抗議すると、
「うん? トキワがねえ、プール清掃手伝ったらアイスくれるって言うから。それでアサギくんも誘ったんだけど、人手は多い方がいいってことでシロを誘いに行きました!」
とキラキラした笑顔で答える先輩に俺は頭を抱えたい気分になった。
そして今に至る。
いやっすよ先輩たちジャージだからいいですけど俺に制服で掃除しろって言うんですかと悪あがきしたものの、じゃあ俺の短パン貸してやるよとまさかのアサギ先輩の裏切りを受け逃亡失敗。
その後は潔く諦めて早く掃除を終わらせることだけに専念した。
その甲斐あって小一時間の内に掃除は終わり、今テストでプールに水を張っているところだ。
「ところで、」
じんわりと上がってくる水面を見ながら先輩に問う。
「ユキ先輩と風紀委員長はどういった経緯で知り合ったんすか」
「ん? 一年生の時僕めちゃくちゃ追試にひっかかってたんだよね。その時知り合った」
あっけからんと言い放つユキ先輩。
追試とか。なんというか、ユキ先輩である。
「いつも思うんだけどプール清掃って明らかに風紀委員会の管轄じゃないよな」
アサギ先輩がデッキブラシにもたれかかりながら言ったそれに、俺は心の中で激しく同意する。
「いやあ、うちの学校保健委員会が死滅してる上に風紀委員会なんてきょうび仕事そんなに無いからねー、思わぬところでお鉢が回ってくるんだよ」
「……ご愁傷様です」
まあ確かに今の時代、風紀委員会の仕事はほとんどなくなっている。
というかこの学校に来た時は風紀委員会の存在に驚いた覚えがある。
「まあでもこないだ何故かボクのとこに君らについての苦情が来たよ」
「へ? なんで?」
「身に覚えがありすぎるが風紀に行くような話あったか?」
トキワ先輩の突然のカミングアウトにユキ先輩とアサギ先輩が首を傾げる。
「そのいち、体育祭中応援に参加しなかった生徒がいる。そのに、体育祭中のクラスのウェーブを止めた協調性のない生徒がいる。そのさん、体育祭中ずっと数人で固まってゲームをしていた生徒がいる」
「あー、あれかー」
「むしろそれ生徒会とか体育祭実行委員会に言うべきことじゃないか?」
「………………」
ちっとも悪びれてねえよこの人たち。
しかも一応取り締まる側のトキワ先輩まったくその気なさそうだよ。
てか高校生活最後の体育祭に何してんですかあんたら。
「うーん、一応体育祭中のゲームはボクんとこの管轄っちゃー管轄なんだけどねー。それで取り締まるなら、音楽プレーヤーケータイその他電子機器類全部取り締まらなきゃいけなくなるよって言ったら引き下がったし、他はそれこそ先生にでもチクっとけって話だよねー」
にしても君達、もーちょいこそこそとゲームしなよ、と言うトキワ先輩に適当に返す二人の先輩。
風紀委員長さん、つっこみどころそこじゃないです。
「だって体育祭つまんないんだもん。他人の応援して何が楽しいのさ」
「ユキ先輩……それ言ったらアサギ先輩の立場が」
「いや……それとこれとは別?」
「ちょっとそこの応援団長さん何言ってるんですか!?」
ほんとにこの人たちと来たら。
「でも管轄外でもそんなに適当にあしらって大丈夫なのか?」
「まあチクリに来たの、君らと同じクラスの相田とか柳とか栗田とかだしねー。私情の絡んだ件には関われません、どうしてもって言うなら公平を期すためにその生徒たちも連れて来いって言えばノープロブレム」
問題有りまくりだよ、むしろ問題しか残らねえよ、とはさすがに初対面の先輩には叫べない。
「先輩たちは……なんと言うか、自由っすねー……」
「好き勝手やってるだけだけどな」
アサギ先輩の言葉に、フリーダム先輩ズin体育祭のひとコマが脳裏に浮かぶ。
「そういえばユキ先輩、ドッヂボールそっこーでアウトになってましたよね?」
「うん、いやー五組の石川さんマジ強かった」
「俺には先輩がボールを叩き落としてたように見えたんすけど」
つまりはわざとアウトになったということだ。
「……あれーおかしいなー、耳が突然聞こえなくなったよー?」
「白々しいぞユキくん」
「アサギ先輩はアサギ先輩でスタート時から外野にずっと立ったまま結局一度もボールに触れませんでしたよね?」
「……ナンノコトカナー」
「君ら自由すぎるだろ」
俺の言葉に明後日の方向を向きだす先輩たちに、トキワ先輩が呆れたように呟いた。
「で、でもアサギくんは卓球で大活躍してたよ! かっこよかったよ!」
何故かアサギ先輩のフォローに回るユキ先輩。おそらく、自分にはフォローできる点が見つからなかったのだろう。
「……でもアサギ、僕も君の応援に行ったけど、君すごいスマッシュ打ってたあれ、相手の後方にいる自分のクラスの男子を狙ってたように見えたんだよね」
「え? ああ、ノーコメントで」
なんつー先輩だ。
俺も見てたけど。応援してる男子たちの方にやたら球が飛んでくなあとは思ってたけど。
素直に打球すげえ、かっこいいと思った俺の感動を返してください。
「ま、まあリレーも強風と雨のおかげで中止になったし、良い体育祭だったよね!」
「ユキ、君が教室に得体の知れないものを吊るしてたもと聞いたけど」
「得体の知れないものじゃない、ズーボルテルテだ!」
「なんすかそれ」
「逆さまに読んでみたまへ」
ズーボルテルテ。テルテルボーズ。
……いやまさかいい天気を祈るてるてる坊主を逆さまに吊るして悪天候を祈ろうだなんてそんな発想はいくらなんでも。
「にしてもてるてる坊主逆さまに吊るしただけで天候悪化するとかすごいよねー!」
えへへと笑うユキ先輩。
そのまさかかよ!! と突っ込みたくなる気持ちを懸命に抑えつける。
「ほんと、何やってんスか……」
「まあ、普通の生徒からしたら異常だよねー」
「そう言うシロは真面目に体育祭エンジョイしてたね。よきかなよきかな」
「あれ、ユキくんほとんどずっと俺たちと教室でゲームしてたくせにシロのこと見る機会あったのか?」
「うん、ほら、マサラの障害物競走応援しに行ったでしょ? 障害物にシロも出てたんだよ。ね、シロ?」
「はい……」
そうですけど。出てましたけど。
でもあれはなあ……と思う俺をよそに、ユキ先輩は楽しそうにその時のことを語る。
「障害物最後借り人でしょ? シロがね、借り人の時僕のとこに来たんだよ」
「そういえば突然ユキくんがいなくなって突然戻ってきてた気がするな……あれ借りられてたのか。で、借り人の題は何だったんだ?」
アサギ先輩が俺の方を向いて訊いた。ああ、答えたくない。
「……『クラスTシャツ着てない人』です」
俺がそう言うと、アサギ先輩、トキワ先輩は一瞬硬直したあと盛大に腹を抱えて笑い出した。
「あ、はははははは!! そうだよね、体育祭だってのにクラT着てないのなんて君達くらいなもんだよね!」
「ぶっ……、そりゃあ確かに選択肢かなり限られるな」
「ね、体育祭にノリ悪い人がいるのもダメなことばかりじゃないでしょ。たぶん僕たちいなかったらシロは障害物クリアできなかったよ!」
「確かに……そうなんですけど……」
例えば椿原さんとか、さっきの話に出てた相田さんだか柳さんだか栗田さんだかが今の話を聞いたら、確実にもうひと悶着起こりそうなんですけど。
「あ、水溜まった!」
ユキ先輩の嬉しそうな声にプールを見ると、確かに水が溜まっていた。
終わった終わったー、帰るぞーと帰り支度をする先輩たち。
「あ、そういえばアイス何おごってくれんの?」
「ガリガリ君」
アサギ先輩の問いにさくっとそう答えたトキワ先輩に、先輩けっこうちゃっかりしてるなあと思っていると、唐突に腕を掴まれ引っ張られた。
え、と驚く暇もなく、次の瞬間には浮遊感。
そして。
ばっしゃーん、だか、どっぱーん、だかいう音を聞いた気がして、気付いたら水中にいた。
「!!?」
自分がプールに落ちたのだということを理解し慌ててじたばたと水面に顔を出す。
ぷはっと大きく息を吸い込むと、あーあ、と呆れているアサギ先輩と、けらけらと笑いこけているトキワ先輩の声が聞こえた。
俺は全ての元凶であるユキ先輩の姿を探して辺りをきょろきょろと見回すと、すぐにドヤ顔のユキ先輩を1メートルくらいの距離に見つけた。
「何するんですかユキ先輩!!」
「うん、一度やってみたかっただけ。プールに飛び込むの」
でもあんまり楽しくないねえ、服濡れるし、と笑うユキ先輩に、俺は今度こそ叫んだ。
「俺を巻き込む意味はどこにあったんスか!?」
虚しい叫びは、スカイブルーが鮮やかな初夏の空に反響して、溶けて消えた。
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ズーボルテルテの起源は「ボ/ク/ら/の/太/陽(ゲ/ー/ム/ボ/ー/イ/ア/ド/バ/ン/ス)」。
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