03 サボリとしあわせの方程式


今日の体育の時間は体育祭に向けての練習だったのだけれど、サッカー初挑戦の俺は見事に足を滑らせて膝をすりむいた。
……決して運動音痴なわけではないと思うのだけれど。
とにかく、そういうわけで今俺は保健室に来ていた。

「あ、どんまい」

保健医の檜皮まどか先生は俺を見るなりそう言って笑った。
ケガ人相手にそれはないっすよとか思いつつ大人しく消毒してもらう。
さすがにこの年になって消毒液嫌いとかではないが、消毒液のしみる地味な痛みには慣れない。

それでも顔をしかめつつ地味な痛みに耐えていると、先生はてきぱきと消毒し終わったそこに絆創膏を貼りぽんっと軽く叩いた。

「……痛いっす」
「がまんしろ少年。よしこれで終わりだ、戻ってもいいけどまた転ぶなよ」
「転びませんよ。わざわざご心配ありがとうございます」
「いや、消毒液もったいないだけだから。心配とかじゃないからな」
「………………」
「冗談だって。ほら、今流行りのツンデレ風に言ってみただけ」

あんた何歳スかと言いたいのをぐっとこらえ、ありがとうございましたーと言って立ち上がる。
確か今年で二十六歳を迎えるその先生はまだじゅうぶん若いくせに、若いっていいねえとかなんとか言いながら閉まっているカーテンに向かって声をかけた。

「おーい幸村、もう三十分経ったぞーい」

なんですと。

思わずくるりと振り返ると、カーテンの向こうからもぞもぞとした気配が伝わってきた。

「…………あと五分かけることの四、寝かせてください」

やっぱりというかなんというか、それは紛れもないユキ先輩の声だった。

「あいよー」

とりあえず、先生そんなにあっさりしてていいんすか、とかあと五分かけることの四ってもう授業終わるじゃないすか、とかいろいろ突っ込みたいことはあったけど俺はひとまず保健室を後にした。

絶対あれはサボリだよなあ、と思いつつ。




「うん? ああ、サボリだよ」

放課後写真部の部室でいつものように宿題を交換してやっている時、先輩今日保健室で寝てましたけどあれサボリっすか、と聞いてみたところ先輩はあっさりと頷いた。

「やっぱりサボリなんですね。てか五分かけることの四ってなんすか。素直に二十分って言ったらどうスか」
「いやあ、面白いかなーって思って」
「そんなユーモアいらないっす。明らかサボリなのに丸々一時間寝かせてくれる先生も先生ですけど」
「あー、まどか先生ゆるいよね。一応建前で『とりあえず三十分』寝かせるってことにしてるらしいけど、大概のやつは延長して丸一時間寝てくよ。あとこれだけは言わせてもらうと、明らかサボリではないのだよ」
「何だって言うんスか」
「『文学部の部誌の編集で徹夜したので寝かせてください』」
「ああ、そういえば部長さんでしたっけ。 ……で、ほんとの理由は何ですか?」
「リレー及びドッヂボールの練習がめんどくさかった」

ユキ先輩はちっとも悪びれずにあっさり白状した。
……そういえば、隣のグラウンドで三年が練習してた気がするな。

いや、きっと部誌の編集で徹夜したのも本当なんだろうけど。まったく、物事を自分の都合の良いように利用することにだけはやたら頭の回る先輩だ。

「正直っスね」
「僕は自分に正直に従順に素直に忠実に生きてるんだよ」
「そうっすか」

無駄に誇らしげなその顔に消しゴムのカスを投げつけてやりたい。

「てか、練習サボって大丈夫なんですか」
「だいじょーぶだいじょーぶ。リレーにドッヂなんてたかだか二、三日練習したところで上達しないから」
「今俺を含む全校生徒の努力を否定しましたね。また同級生に嫌な意味で囲まれても知らないっすよ」
「まあ、なんとかなるよ。若干一名、うるさいのがいるけど」

「……うるさいの、とは随分なご挨拶だな」

唐突に会話に参入してきた、地を這うような低い声。
先輩が俺の肩越しに入口の方を見遣った。

「あ、ツバキちゃん」
「椿原だ阿呆! 何回言ったら覚えるんだ!? それともあれか、お前は俺が女子みたいな名字嫌ってるの解っててわざと嫌がらせのために言ってんのか?」
「うん」
「よし上等だ表出ろ幸村」
「だが断る、僕は平和主義なの」

ユキ先輩のどうみてもおちょくってるとしか思えない態度に、当然のごとくこめかみを引きつらせている椿原とかいう先輩。
なるほど、今初めて見たけれどユキ先輩とは最悪に相性が合わなさそうだ。
椿原、さんの反応を見る限りユキ先輩の言う「うるさいの」とは椿原さんのことなんだろう。

「何が平和主義だ、どこぞの武将の名前を名字にしてるくせに」
「あいにく僕の名字を決めたのは僕じゃないのだよ。ていうか真田幸村を戦闘狂みたいに言わないでくれるかな」
「大概のゲームだと熱血の戦好きだろ」
「ツバキちゃんゲームのやりすぎ」

……前言撤回。意外と似た者同士かもしれない。

「とにかく! 次練習サボったら承知しないからな!」
「承知しないも何も、今日で体育祭前の体育は最後だと思ったけど」

しれっと言うユキ先輩に椿原さんは数秒固まったあと、ぷるぷると震えだした。たぶん、怒りで。

「……やっぱり表出ろ。今日こそ引導渡す」
「やめたげてくださいー。僕の周りってなんでこんなに実力行使派ばっかりなんだよー、ねえシロどう思う?」

突然ユキ先輩が俺に話を振ったため、椿原さんの鋭い眼光までこっちに突き刺さる。
あれに巻き込まれたくはない。

「……先輩の日頃の行いが悪いからじゃないっすか」
「うわ、シロひどいよ! 僕の心が木っ端微塵に砕けちゃうよ!」

先輩の明らかにふざけた返しに、椿原さんの怒りのボルテージがますます上がっていく。
あれ、これ俺にも死亡フラグ刺さってないか、と若干危機を感じ始めた時に救世主がやって来た。


「椿原ー、委員長がお前のこと探してたぞ」


とりあえず、アサギ先輩ありがとうございます。
おかげで俺は死亡フラグを回避できそうです。ユキ先輩は知りませんが。

「チッ……桜庭か。わかった、今行く」
(舌打ちしたよこの人)

顔面をフルに使って不満を表した椿原さんだが、くるりと踵を返すと部室を出て行った。

「おーアサギくん! マジ助かったありがとう愛してる」
「はいはい」

アサギ先輩に飛びつくポーズをするユキ先輩に、ひらひらと手を振るアサギ先輩。

「で、委員長が探してたってどこまでほんと?」
「半分。椿原がいたらいいのに的空気を発してたから」
「ああ、委員長ツバキちゃんのこと大好きだもんねー」
「…………」

なんというか、まあ。
さすがはユキ先輩の悪友と言うか、類は友を呼ぶと言うか、なんと言うか。

「でも椿原、今回は相当キレてたな」
「うーん、僕のことなんてほっといてくれればいいのに」
「ユキくんが練習サボるからだろ」
「あれ、アサギくんも怒るです?」
「いいや全く。ちっとも。微塵も。これっぽっちも。正直俺もサボりたい。そんなことより日本語が若干おかしいぞ文学部部長」

なんか少しだけ椿原さんがかわいそうになって来た。
ジト目でユキ先輩を見ていると、何を勘違いしたのかユキ先輩はいらん解説を始めた。

「あー、さっきの高血圧っぽい彼は椿原悠介と言ってね? 一瞬僕が所属してたバスケ部の元同僚なんだよ。何かしらある度にああやって僕のとこに説教しに来てね、一時期僕はツバキちゃんをサドンデスツバキと呼んでたよ」

もちろん心の中で、と笑うユキ先輩を前に、俺は頭を抱えたくなった。

「まあ構ってくれるだけありがたいことじゃないのか。愛されてんなお前」
「あんな塩分過剰に内包してそうな愛いらないよ。ツバキちゃんそのうちこめかみプッツンしちゃうんじゃないの」
「そう思うなら椿原を労わってやりなさい」
「労わってやりたいのはやまやまだが、しかしツバキちゃんの血圧を下げるために僕がしなければならない行動は僕の幸福度を著しく下げる。よって現状維持をここに提案する」
「つまりは何もしないと」

呆れたような声で言いながらも確実に面白がっているアサギ先輩と、真面目くさった顔でふざけたことをのたまうユキ先輩。

ああ、この怠惰イコール幸福の先輩および確信犯の共犯者な先輩と関わりを持つ限り、椿原さんは高血圧がスタンダードなんだろうな、と俺は今日会ったばかりの椿原さんにいたく同情するのであった。



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