02 慣れと油断


放課後。東棟、写真部の部室。
まだ誰も来ていない部室の窓を大きく開け放ち、初夏の風に目を細めていると、西棟から渡り廊下に出てきた人物が、何人かに囲まれて何やら言い合っているのが見えた。

(てかあれ、ユキ先輩だ……)

今度は何をやらかしたんだあの人。

数学の課題だとか補習だとかで、しょっちゅう先生に追いかけ回されてる先輩。
だけど、先輩を囲んでいるのが教師じゃなくて同級生らしき人であることに気付き俺は眉を寄せた。

ほんとに何やらかしたんだあの人。

三階の部室まであまり声は届かないが、どうも穏やかな雰囲気ではないようだ。
風に乗って切れ切れに聞こえる声は、めんどくさいだとか無責任だとかそれはお前のエゴだとか僕の勝手だとかなんとか。

訳も解らずぼんやり先輩とその周辺を眺めていると、不意に先輩がこっちを見た。
その目は明らかに「助けろ」と言っているが、俺はにこやかに笑って、

「無理っす」

と口パクで伝えた。

瞬間、ぴきっと引き攣る先輩の顔。
さて先輩はどう出るかと見ていたら、「とにかく僕、部活行くから! またいつかにして!!」と叫んで同級生たちを振り切って駆け出した。
同級生の人が「おまっ、どうせ暇人部のくせに!」とか「いつかっていつだよ!」とか言っているのが聞こえる。

先輩は「永遠に来ないいつかだよ!」と言い返して校舎の中に消えた。

しばらく先輩の去った方向を見ていた同級生さんたちだが、部室まで追ってくる気はないらしくすごすごと西棟に引き返していった。
……と、部室の外からダダダダッと誰かが駆け上がってくる音がして、部室の戸の方に振り向いた瞬間、バァンッとすさまじい勢いで戸が開いた。

「シロのはくじょーものっ!!」

真っ赤な顔で僕を睨むユキ先輩は、どうやら全力疾走で階段を駆け上がってきたらしい。
普段ものぐさなくせに、こういうところで無駄なエネルギーを消費するからますます無精になっていくんだ。

「お疲れ様でーす」

とりあえず俺はそう言って、コンビニで買っておいたガリガリ君を先輩に向けて放り投げる。これはユキ先輩の悪友兼親友のアサギ先輩から教わったユキ先輩懐柔法だ。曰く、「安い菓子でもやっとけ」。
本当は先輩に古典の特別課題をやってもらおうと思って部室の冷蔵庫(※本来は現像液その他保管用)に入れておいたものだが、へそを曲げると意外に面倒くさい先輩をなだめるためだと思えば、まあ、いいだろう。

案の定、先輩は顔を輝かせてガリガリ君をナイスキャッチした。

「え、なにこれ僕食べていいの!?」

ガリガリ君の袋と俺の顔を交互に見遣って期待に満ちた面持ちをしている先輩はさながら犬のようだ。もっと具体的に言うなら「待て」をされてる大型犬。

「どーぞ。でも俺の古典の課題手伝ってくだ「ありがとうシロ!」」

俺が言い終わる前にそりゃあもう嬉しそうにガリガリ君のパッケージを開封する先輩。
やっぱり古典の課題までやってもらおうとしたのは甘かったか。

それにしても、あだ名で見れば俺の方が犬みたいだが、実際のところ先輩のほうが犬っぽいと思う。

「…で、なんでまたリンチ一歩手前みたいな状況になってたんすか?」
「むー、ほふにひれーふぇれふー」
「口にもの入れたまましゃべらないでください」

リスのごとく口いっぱいにアイスを頬張ったまま喋り出す先輩に俺が呆れてそう言うと、先輩は数秒間口を動かして中身を飲み込んだあと、再び喋り出した。

「僕に選抜リレー出ろってさー、あとバスケかサッカー」
「出ればいいじゃないスか」

心底憂鬱そうにため息をついた先輩に、なんだそんなことかと思って適当に返すと、何言ってんのこいつ信じられないと言わんばかりの顔をされた。

「だって面倒くさい。全員リレーとドッヂボールだけで僕もう死にそうなのに」
「でも先輩けっこう足速かったですよね? 中学ん時はバスケやってたしスポーツなら何やらせてもそこそこできるとも聞きましたけど」
「誰がそんな世迷言を言った」
「アサギ先輩っす」
「アサギくんあのやろー……!」

早くも半分ほどになったガリガリ君の持ち手部分をギリギリと握りしめて先輩は恨めしそうに呟いた。僕が足が速いなんてとんでもない嘘吐きおってからに、とか、大体アサギくんの方が僕よかよっぽど足も速いし運動だってできるだろー、とかなんとか言っている。
そんな先輩を見ながら、ああ今日も平和だなぁなんて思っていると、再び部室の外からダダダダっと足音が聞こえた。

「聞きましたよユキさん! 高校生活最後の体育祭を前に何してんですかー!!」

甲高い声と共に開いた部室の戸。
茶髪ポニーテールの小柄な女子、もといユキ先輩に恋してやまない桜庭みどり、かっこアサギ先輩の妹かっことじ、が仁王立ちしていた。
ユキ先輩は「げっ」と声を漏らすと、一瞬で残りのガリガリ君を口に詰め込み、にじり寄ってくる桜庭妹を華麗に躱して部室の外に飛び出していった。
桜庭妹も負けじと先輩を追って走り出す。「その腐ったサボリ根性に今日こそ鉄槌くだします! ユキさんはやればできる子なんです!」とか叫びながら。

「僕はやらなくてできない子でいいの!」

そんなことをのたまいながら走り去っていく先輩に、あれじゃ体育祭出るのと変わらないくらい走るんじゃないのかとか思いながら先輩が放り投げていったガリガリ君の棒を拾う。

「あ、」
「当たりだな、オメデトーさん」

拾い上げた棒が当たりだったことに気付き声を漏らすと、唐突に背後から声がして驚いて振り返る。

「アサギ先輩、どうもこんにちは」
「おー。たぶんあの様子じゃユキくんは当分帰ってこないから、それ交換しに行って食べちまえ。どうせコンビニ学校の目の前なんだし」
「そうします。元は俺の金ですし。まったくユキ先輩と来たら……毎回追いかける桜庭妹も大概ですけど」
「みどりのアレは半ば病気みたいなもんだからほっとけ。あと、お前もあまりアイツらのこと言えねぇぞ」
「へ?」

アサギ先輩の言葉にびっくりして間抜けな声が出る。

「お前もだいぶ、ユキくんに毒されてんぞ。ユキくんに関わりのあることに下手に首突っ込んでめんどうなことになるの避けようとする癖が身についてきた辺り、ユキくんの無精が伝染ってきたのかもな」

お前最初の頃、なんだかんだでユキくんにイベントとかでやる気起こさせようとして毎回撃沈してただろ、と言われて俺はフリーズする。
俺はあんな「動きたくないでござる」の権化のような人間ではないです、と言い返そうとしたが、思い当たることがちらほらありすぎて。

顔を両手で覆って蹲ると、アサギ先輩がによによと笑っているのが気配だけで判った。



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