01 春たおやかに微笑んで


本当はどこにも行きたくないのだと、あの初夏の日にそうのたまったユキ先輩は。
それでもやっぱり、どこかに行かなければならなくて、冬の終わりとともにこの高校を去っていった。そう、それは当然の摂理。

春が訪れ、柔らかい風が吹き、草木が芽生え始め、ようやく三年生の教室に慣れた頃。
俺はがらんとした写真部の部室で、ケータイを片手に十数分悩みに悩んでいた。

「………………」

母親がものすごく勧めるものだから買ってみたスマートフォン。
その液晶には、「幸村若葉」と表示されている。

いや、これは決して、ユキ先輩になんとなく電話かけてみようと思ったはいいけど電話かけたところで何話そうとかそもそもあの人大学生だしこの時期忙しくて電話で出れないんじゃないのかとか、そんなことを悩んでいるわけじゃない。

俺の近況報告だなんてたかが知れているし、意外に人見知りなユキ先輩のことだからまだ友達もろくにいないだろうし。

そう、きっと電話してみたところで、気まずくなるだけだ。
それでも液晶をずっと睨みつけているのは、

「…………」

別に、寂しいとかじゃない。
ただ、どことなくしっくりこない、それだけなんだ。

ユキ先輩がいない。
ユキ先輩がアホなことぬかして、アサギ先輩にシバかれて、時々マサラ先輩たちが乱入してどうしようもないカオスな事態になったり。
椿原さんをからかってばかりいるように見えて、実は椿原さんを前にすると内心では動揺しまくっていたり。
三上にゲームでフルボッコにされてはアサギ先輩に泣きついて、次の日けろっと忘れて通信大戦挑んで、ぼこられてのエンドレス。
それで、はっと思い出したように「シロ、数学手伝って!!」と手伝いと言いつつ全部俺にやらせたり、俺の英語や古典の宿題を全部やってくれたり。

ああ、もう俺をシロと呼ぶ人はここにはいないんだ。

そう気付いたら、やっぱり寂しかったことに気付いて、でもなんか悔しいから知らないフリをする。
そしてヤケのように思い切って通話ボタンをタップしようとしたら、突如画面が切り替わり、けたたましい着信音が鳴り始める。
なんでマナーモードにしてなかったんだよ俺のバカ! 授業中にメールも電話もこなくて良かったな! と混乱しつつ、かけてきた相手を確認する暇もなく受話器のマークを連打した。

『やっほー、シロ、お元気ー?』

間延びした、間抜けな声。
間違えようもない、この声は。

「ユキ先輩っすか……?」
『僕以外に誰がいるっていうのさー、シロの友達が僕並に少ない事なんて先輩はばっちりお見通しだぞ!』
「あ、俺三年に上がってから友達百人できたんで」
『……シロ、それ言ってて悲しくならない?』
「………………」

ユキ先輩に同情された。割とガチで。

「……なんの御用っすか」
『ご用事? 僕は黒ヤギさんでも白ヤギさんでもないからそんな大層なものはないよ!』
「切りますよ」

ついでに着拒したい。

『うわあ、やめて! うそ、うそだから! 寂しかったの!!』
「はいはいそう言う冗談はアサギ先輩にでも言ってあげてください」
『ほんとだって! シロがいなくて、寂しいの!』
「……は?」

珍しく、迂遠な言い回しもひねくれた表現も無しに直球で伝えられた感情は、どうやら本音と冗談の比率を9:1と見積もっても間違いではないらしい。

『だってー、数学なんかもうやらなくていいしー、英語とか文学史とかドイツ語とかスペイン語とかラテン語とか、楽しいし、予習復習もちゃんとやってるし、』
「語学の量異常じゃないすか」

おかげであのユキ先輩が予習復習を行っているという天変地異を聞き逃すところだった。

『倫理思想史とか、哲学とか、楽しいんだよ……楽しいんだ』
「楽しいなら、いいじゃないですか」

あの、ユキ先輩を煩わせる人たちも、今はいないだろうに。

『僕、こんな弱くなかった』
「そうすか」
『平和で静かで穏やかで楽しくて、怖いんだ』
「そうすか」
『だってまた、僕ここからいなくならなきゃいけないんだよ』
「そうすか」
『シロと離れて、写真部でいろいろやってたこと思い出して、寂しくなるんだ』
「そうすか」

俺はスマホを右手から左手に持ち替えて、鼻で笑った。

「ユキ先輩は、アサギ先輩がいれば、他はどうでもいいくせに」

桜の花が散る。ひらひらと地面に降り積もるそれは、ほんとうのことなんてその柔らかい色で覆い隠してしまうんだ。

『……そうだね』

ユキ先輩が電話の向こうで微笑んだのが雰囲気で判った。
失笑でも苦笑でも嘲笑でもなく、微笑。

「ユキ先輩の嘘吐きなとこ、嫌いじゃないっすよ」
『だって僕は、正直者だからね』

擦れ違ってるんだか噛み合ってるんだか判らない言葉を最後に、電話はかかってきたとき同様唐突にぶつりと切れた。


back top


シリアル。
130709



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -