09 本棚の大群に囲まれる


「So ist das Leben!」
「………………」

さて、今回ユキ先輩はいったいどこがおかしくなってしまったんだろう。
実に不思議だ、あの頭はもうあれ以上おかしくなりようがないはずなのに。
俺は顎に手を当てて考える。
ぞーいすとだすれーべん? やっぱりとうとう頭おかしくなりすぎてユキ語でも開発してしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、図書館の一角、ひっそりと置かれたうちの学校の文学部の部誌を手に取りドヤ顔をしているユキ先輩をじっと見つめていると、本棚の向こうからやって来た図書委員のマサラ先輩が整理中の本でユキ先輩をごすっと小突いた。

「図書館では静かにね、ワカバちゃん」
「いえっさー……」

いやに笑顔で本(というか広辞苑)をチラつかせながらたしなめるマサラ先輩に、ユキ先輩は涙目で頷いた。
俺はマサラ先輩が別の棚の影に消えたのを見ると、恨めしげに口を開こうとしたユキ先輩の先手を打った。

「言っておきますけど、自業自得っスよユキ先輩」
「うっ……」
「だいたい何語すかあれ。暇を持て余して火星語とかナスカ語とかアトランティス語とか開発しちゃったんすか?」

俺がそう言うと、ユキ先輩は妙に勝ち誇った顔をした。その顔イラつくんで殴ってもいいですか。いいっすよね。

「学が浅いぞシロ、あれはドイツ語だ!」

どやっという効果音が聞こえた、気がした。
そして今度は隣の列の棚から現れたアサギ先輩に、ユキ先輩は肘のあのぶつけると地味にしびれるところを的確に狙って殴られた。声も無く悶絶しているユキ先輩を見て何故か胸がすっとする。

「図書館では静かにな、ユキくん」
「あいさー…………!」

今更思ったけどユキ先輩って実はかなりアホなんじゃなかろうか。
そしてマサラ先輩といいアサギ先輩といい、ユキ先輩の周りのツッコミ要員が多くて助かった。
呆れた顔でユキ先輩の肘をうりうりとつつくアサギ先輩。
ユキ先輩は「だらっしゃー!」と小声で叫びアサギ先輩から逃げるように立ち上がる。
なんだこのプチコント状態。

「……んでさっきのドイツ語、どういう意味っすか?」

ほんの少しユキ先輩がかわいそうになったので訊いてみる。
するとユキ先輩は目をきらきらとさせて答えた。

「『それが人生さ!』」

ごすっと鈍い音が鳴り響く。
今度はアサギ先輩にプラスして再び現れたマサラ先輩とのクロスカウンターだった。
前言撤回、この人は紛れもないただのアホだ。
頭を抱えてしゃがみこんだユキ先輩にサラウンドで先輩たちは言う。

「「図書館では、静かに」」

「……さーせんした…………っ!」

ユキ先輩に同情して話題を振ったのが間違いだった。
それにしてもなんでまたドイツ語。しかも『それが人生さ!』とか。何かの格言だろうか。
さすがのユキ先輩でも人生に疲れたりするんだろうか、いやまさか。

「……それで、今日の英語の授業中に独和辞典読んでて見つけた文なんか叫んでどうしたんだいユキくん」

丁寧なご説明ありがとうございますアサギ先輩。授業中に何やってんスかユキ先輩。
しかも英語の時間にドイツ語とか。先生もまさか真面目くさった顔で生徒が読んでる辞書がドイツ語の辞書だとは思うまい。

「いやー、忌々しいテストも終わったことだしさあ、ここでひとつ勉強でもしようかと」
「どうせなら引き続き数学に励んでくださいよ!」

思わず突っ込む、もちろん小声で。
結局ガリガリ君でユキ先輩を釣り続け必死に公式その他諸々を詰め込ませたことは記憶に新しい。
あれは地味な出費だった。これで2ケタいってなかったらダッツおごってもらおう。というか俺はほんとに何をしてるんだろう。俺はどことなく空しくなりながら考える。ユキ先輩のテストが早く返ってきて欲しいような、永遠に返ってきて欲しくないような。

「もー数学は一生見たくない。そんなことより言葉遊びして生きていきたいよ」
「まあユキくんは言葉いじくり回すの好きだからなぁ」
「そういうアサギくんはなんであんなすごい絵がかけるのか不思議だけどね。僕が同じことやろうとしてもただの無様な点と線だもん。憧れるよ」
「やめろ照れる」

二人の会話が脱線していきそうなところで、マサラ先輩がこほんとわざとらしく咳をする。

「夫婦漫才はよそでやってくれるかな」
「「……すんません」」

そう苦笑して言うマサラ先輩だが、目がちっとも笑っていない。
ユキ先輩はともかくあのアサギ先輩までもがどことなく青い顔をして謝った。
…………かくして、俺たちは図書館から追い出されたわけで。
毎回思う。いつも俺先輩のとばっちりばっかり受けてる気がするんですけど。気のせいっすよね、誰か気のせいって言ってください。



「………………」

そしてまた、右には本、左にも本。さっきと明らかに違うのは規模だけだ。
ここは文学部の部室の隣の資料室なのだが、文学部所有の本やら大量の部誌やらで埋め尽くされていて、実質文学部専用の物置と言っても過言ではない。

そして部誌を引っ張り出してはぱらぱらとめくり、また戻すを繰り返すユキ先輩。
部誌に用があるなら最初から図書館じゃなくてここ来れば良かったでしょうに、というかアサギ先輩はともかく俺を連れてくる意味はどこにあったんですか、なんて言っても無駄だということを十分理解している俺は、諦めて手元の某首無しライダーが主人公のラノベに目を落とす。文学部のOBが残していった本はジャンルの幅広さがすさまじい。

ちなみにアサギ先輩は同じく文学部のOBの遺産である某悪魔と戦う聖職者マンガを読みふけっている。マンガまであるのってどうなんだ。

「ユキくん、あったか?」
「んー、見つからないなぁ。せめて何年前の部誌か見当つけばいいんだけど」
「……ユキ先輩は、何を探してるんですか?」

この人のことだから、ガリガリ君の当たり棒を栞代わりに挟んだまま忘れてしまったとか、そんな気もするけれど。

「んー……」

当のユキ先輩から返ってきたのは生返事。
さっきアサギ先輩の言葉には普通に返事してましたよね、その格差ひどくないすか。泣きますよ俺。泣きませんけど。
そんな微妙な顔をした俺を見て、苦笑したアサギ先輩はユキ先輩の代わりに言う。

「部誌の中でなんか気に入ったフレーズがあったみたいで、ヤマブキにも教えたいと思ったはいいけど肝心のそのフレーズを忘れたから探しに来たんだそうだよ」
「……はぁ、」

俺が連れて来られた理由は解ったが、なんでまた。
特に文学好きでもない俺に。
その不可思議に思う気持ちが顔に出ていたらしく、アサギ先輩はおかしそうに笑う。

「ま、自分の好きな食べ物を人に分けたがる子供みたいなもんだと思え」
「……ぷっ」

アサギ先輩の言い草に、思わず吹き出してしまう。
ほんとにまあユキ先輩は良くも悪くも子供っぽい。そんなお子様なユキ先輩は「見っからないー!」と情けない声で叫んで大きく伸びをした。

「……ま、気に入った言い回しとかフレーズがあるっていうのはいいことだと思うぞ」
「座右の銘、的なものっすか」
「うん、そうだねー。シロはあるの? 座右の銘的なもの」

小休止することにしたらしいユキ先輩が会話に参入してきたが、俺はそんなもん無いっすよ、と首を横に振って逆に訊く。

「そういう先輩方は?」
「『俺に被害が出ない範囲でオトモダチでーす』」
「『赤信号みんなで渡ってみんな死ね』」
「ちょっと待てあんたら」

訊かなきゃ良かった。
訊かなきゃ良かった。大事なことなので何度でも言う、訊かなきゃ良かった。

「『赤信号みんなで渡れば怖くない』を物騒に言い換えてるユキ先輩も大概ですけど! アサギ先輩のも問題ありまくりっすよ! なんすかその人間関係に波風立てそうな座右の銘は! ってか先輩方、座右の銘の意味解ってますか!?」

俺がそうまくし立てると、アサギ先輩とユキ先輩はきょとんと顔を見合わせたあと、にやりと笑って小芝居を始める。

「アサギくんひどい……! 僕のことそんな風に見てたの? 僕のことは遊びだったんだね……?」
「いやだなあユキくん、君のことなワケがないだろう。俺はいつだって正真正銘ユキくんの友達だそ」
「アサギくん……!」

きらきらとした背景を背負って熱い眼差しで見つめ合う先輩たち。うん、お腹いっぱいっす。

「……夫婦漫才はよそでやってください」

何が怖いって、わざとだと、ふざけて演技していると判りきっているのに違和感が全く無いところだ。

俺がもういっそ地面に膝と手をつきたい気分になっていると、小芝居に飽きたらしいユキ先輩が再び部誌をぱらぱらとめくり出す。一般的な本に比べれば安っぽい見た目の部誌だが、そのページをめくる手には確かな本への慈しみが感じられる。
本をただ流し読みしている姿さえ様になるのは、やはり仮にも文学部部長と言ったところか。
普段なかなかお目にかかれない文学少年なユキ先輩に、この人にもまともなところがあるのだと俺は若干認識を改める。

「…………あ、」
「あったか?」

小さく声を漏らしたユキ先輩の手元を覗き込むアサギ先輩。
ユキ先輩はうん、と頷くと部誌のページのある一行を指差し、それはもう輝かしい笑顔で言った。

「『腐ったりんごは腐らない』!」


ああ、ここが図書館なら、マサラ先輩がこのドヤ顔に広辞苑の鉄槌を下してくれるのに。
やっぱりユキ先輩はどこまで行ってもユキ先輩だと、そう再認識した初夏の日の放課後だった。



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記念すべきこのサイトの100ページ目。全然本棚の大群に囲まれていないであります総長閣下。
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