風の噂で、ミストレが一人の女の子に本気になったと聞いた。
どうせ、今回も彼の本性を知らない誰かがそんな勘違いをしたのだろう。何せ、あいつはよく平気で女の子の気持ちを踏みにじるようなことをしてくる。構ったと思えばあっさり捨てたり、心にも思っていないような甘い台詞を吐くような奴だ。だから、今回もどうせそんなことだろう。なにも知らない純粋無垢な少女が彼に食われませんように、アーメン。

ところが、その噂は数ヶ月たっても消えなかった。意外に寿命が長い。性格に難があるといえども、容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、三拍子揃ったミストレに惚れないなど、スリードくんに本気で恋している女の子くらいだ。しかし、次々と更新される彼女の情報にそんなことは入ってなかった。
最新の噂はこうだ。その女の子曰く、「私以外に関係を持っている彼氏とか最低以外の何者でもないよね。」はい、ミストレくん完璧アウトー。
なぜならあいつは常に数人の女の子と付き合っている。
しかも、それぞれまるでコレクションのようにタイプが違う。
先月、彼と科学準備室で二人きりだったあの子は正統派美少女。
先週廊下で彼のとなりを歩いていた子はクールな感じ。
昨日彼が呼び出されていたのは元気ですこし男勝りな子。
よくもそんなに色々な子が寄ってくるものだ。あんな性格ブスなのに。
まあ、私もそんな彼に惚れてしまった馬鹿者の1人であるのだが。
私はさしずめプライドの高い難攻不落の優等生というポジションだろうか。まあ、それはともかく。女の子百科事典を持っているミストレが今更、言っちゃ悪いけど普通の女の子に惚れ込む訳がない。もしかして、永遠に埋まらないページ、「オレに惚れない女」でも埋めようとしているのだろうか、バカらしい。そんなのだから、スリードくんに勝てないのよ。万年二番め。


さて、例の噂から半年ほど。
そろそろ皆飽きる頃合いであるにも関わらず、それはしぶとく生き残っていた。これだけ長いのだと、真実味を帯びてくる。
まさか、本当に彼は誰かに一途になってしまったのだろうか。いやいや、有り得ない。彼は生粋のナルシスト。つまり、自分自身しか愛さない。大勢の女の子を侍らせるのだって、自分が如何に魅力ある人物であるかを確認するためだ。そこに他人への恋愛感情など一片たりとも無い。そんなこと天地がひっくり返っても、軍隊がサッカーを許しても、あるわけ無い。
しかし、最近は尾ひれがついたのかこんなことまで言われる。

「ミストレくん、最近女の子振りまくっているらしいよ。」
「ふーん」
どうせ同じ時期に色んな子に飽きただけじゃないの?

そう思った直後、携帯が震えた。
**

「話がある」そう呼び出されたのは、真夜中の海辺。因みに、ミストレとの初デートの場所。今宵は満月。夜空には一片の曇りもなく、人口灯の少ないここにも、ある程度の明かりがある。中途半端な光度の中、波立つ海面は黒曜石みたいにきらめいていた。それはもう、私を嘲笑うみたいにたいそう美しく。ああ、嫌になっちゃうな。この前来たときは昼でも死んだような色をしていた癖に。それは、季節柄だろうか(この前は冬だった、今は初夏)。どちらにしろ、しんと静まり返ったこの水面の下に命があるとは不可思議なことに思える。
どうせ、彼はしばらく来ないだろう。手持ち無沙汰に待っているのも趣味じゃない。幼い子供のするように水面を覗き込む。まあ、常識からして潮干狩りのできそうな浅瀬に魚がいるわけ無い。代わりに私が視たものは、生気を失った自画像だった。学校でのバダップ・スリードに次ぐ軍隊の鑑のような緊張感はどこへ行ったのやら。年齢よりも老けてさえみえる。この私がたった一人の男にこんなにも掻き乱されるなんて。
きっと私は恋をして醜くなった。振る舞いが、他人へ向ける感情が。
それなのに、捨てることなどできない。そして、そうこうしているうち私は捨てられようとしている。なんとか防ぐ術はないのか。
そんなものがあるのなら、とっくに行っている。結局は、わたしもただの年頃の少女だった訳だ。
ポケットの中に放り込んだ指環の感覚を確かめる。ミストレに唯一もらった思い出の品。振られた直後に思い出と共に海に投げこもうと持ってきた。もしかして私はミストレのお小遣い一ヶ月分にも満たない御粗末でちんけなこの合金の物体を肌身離さず身に着けて、知らず知らずのうちに期待を掛けていたのかもしれない。
指環ひとつ貰っただけで、彼の特別になれた気になっていた。
馬鹿みたい。あいつには最初から自分一人が別枠だと知っていたのに。

サクサクと砂を踏む軽い音がする。
考えている間も見つめていた水面に影がさらに色濃く映る。

「ねえ、待った?」
きれいな悪魔の声がした。
事態は私の友好的な協力によって順調に進んだ。
ものの数分で関係を精算して別れたら、今までのことが嘘みたい。
しかし、それでも夢から無理に覚まされたような不快感は沸き上がり、結局返せなかった指環を握りしめ、その拳を海に向かって振り上げた。


…………
それからは、普通の日々が過ぎた。
頭のなかはいかに成績を上げるのか、将来に続くコネクションを手に淹れるか。ほんの少し前までの桜色の思考は、遥か彼方スクラップにされた。今後掘り起こしてどうこうする気も起こらないだろう。まだ早すぎるのだろうけど、人生最初で最後の恋に別れを告げた気になっていた。
視界に彼を入れないことで、彼の存在をあたかも無いかのように振舞い、勉学に一層励み何も考えられないようにして。全てを過去に置いてきた気になって。
ずっと忘れた気になっていたのに、それは一瞬で崩される。
偶々彼と彼女が仲良さげに寄り添っている所を見てしまったのだ。そのとき、私は視界がショートして、動けなくなった。それから、ミストレが私を見つけた。私は我に返って脱兎の如く、逃げ出した。先生に頼まれた書類も全部投げ出して。失点が、説教が、今まで培ってきたイメージが、そんなことはもう大気圏から飛び出した。ただただ、落ち着ける場所、自分の部屋を求めた。
一息吐いたあと、私は首のチェーンを引っ張った。その先には小さく光を反射する安物の指輪。結局、あのとき私は捨てられなかったのだ。彼がきれいな思い出になれば問題ないのではないか。そう思って捨てるのが惜しくなり、相変わらず身に着けていたのだ。
しかし、そんな行為さえ、ミストレへの未練だったと分かった今は、ただ忌まわしいだけのものだった。また捨ててしまおうかと思ったけれど、やはりそんなことはできなくて、小さな箱に詰め、クローゼットの奥の奥にしまいこんだ。


その数か月後、また風の噂で彼が婚約したという話を聞いた。
上級の家ではそんなことがあるのは珍しい話ではない。だから、密かに私はざまみろと思った。漸く一緒になれた意中の子と別れざるをえないからだ。しかし、それをバメルに得意げに話したら「婚約したのは現彼女だぜ。」と返ってきた。
なんて運のいい奴。数多の女の子を不幸せにして、自分は幸せになるなんて!
神様の割り振る運の不公平ぶりに私は眉間に皺をよせ、怒りを込めてため息を吐いた。
さっきまでの上機嫌からの豹変ぶりに驚いたのか、バメルは「あー」だとか「うー」だとか言って落ち着きない。何よ、男のくせに。
いらいらいらいら
バメルの些細な言動さえ苛立ちのもとになる。それもこれも、ミストレの所為だ。あいつが絡むと、忘れたはずなのに、今も神経が過敏になる。
「な、なあ。」
「なに。」
ぎろり、とあらゆる殺意を込めて彼を睨むと、委縮した。だから、いつものディベートの勢いはどこへ置いてきたんだ。このチキンが。
「あの、さ、お前もう一回ミストレと話してみたらどうだ?」
「話す内容なんて無いわ。今更……。」
自分から言っておいて、何故悲しくなっているのだろう。なんとなく後ろめたくなってバメルから視線をそらし、俯いた。
そんな私にバメルは
「人伝いでじゃ、分からないこともあるだろ?」
と優しく説得にかかった。
「いや、でも……」
「別れてから以来、お前も色々スッキリしないこととかあるだろ?白黒つけてこいよ。」
「うん、わかった……。」
「じゃあ、今すぐミストレに連絡しろよ。」
「え?」
「お前途中で放棄とかしそうなんだよ。」
「え、ああ……そう。」
携帯を開き、メールを作成。短い、無愛想な文章を半年も使っていなかったアドレスに送る。
送信完了の知らせを見ると、バメルは満足そうな顔をした。反対に私は苦虫をかみつぶしたみたいだろう。
負けず嫌いの私がこんなに逃げたくなったのなんて初めてだ。
そんな心中を察してか、バメルは「逃げるなよ?」と念を押した。
分かっているそれくらい。分かっている。だけれども……



そして午後六時十五分。約束の5分前。踏ん切りのつかない気持ちで、人気のない夕暮れ時の教室で私はミストレを待っていた。
約束通り、彼は来た。
「久しぶりだね。」
「ええ、そうね。お変わりないようで何より。」
そうは言ったあと、彼は少し変わったようだと気づいた。なぜか悪い方向に。
外見に特に異常は無い。しかし、まとう雰囲気に覇気がないというか、疲れきったようなものが見える。
「何か疲れているの?悩み事でも?」
「別に。任務が続いただけだよ。」
「そう。」
「ところで、何の用?」
「ええと…」
プライドが邪魔してなかなか口が重い。
ああ、もう。あのときさっさと別れてサバサバした女を演じるんじゃなかった。今更重い女になるのがやりづらい。
「早くしてよね。時間ないんだし。」
「こ、婚約したそうね、おめでとう。」
「そりゃ、どうも。それだけ?」
「ええ、まあ。貴方みたいな人にもそんな人がいらっしゃるなんて、私とっても驚いたのよ。だから、嫌味の一つでもお祝いに差し上げようと思って。」
「ふうん。盗み見の次はこれ?全く。本当にいい性格しているよ。君って。」
「それはどうも。」
ああ、こんなはずじゃなかったのに。もっと穏便に話を進めて、正体不明の不快感を撃退するはずだったのに。
自己嫌悪に俯いていくと、ミストレの指に目が留まった。そこにあったのは、オレンジに小さく光るリング。初めてのデートで買った私とのペアリング。
ばっ、と顔を上げると、反対側の手でミストレは三つ編みを弄っていた。それは不機嫌そうな顔で。
彼が嘘をついていたり、自分に不正直でいたりする時にする癖。
「何。」
「いいえ、何も……。貴方が今本当に好きなのは誰?」
「しつこい女は嫌いだよ。少なくとも。君じゃないから。」
ちらりと視線をずらすと、彼はまだ、三つ編みを弄っていた。これは、私は思い上がっても良いのだろうか。
「そう。それじゃあね、ミストレ。時間とらせて悪かったわね。」
「ああ。」
私は今までとは打って変わった気分になって教室を出た。
後ろから鼻を啜るような音がした気がした。


私はまた、あの海に来ていた。今度は無理にクールぶった感情じゃない。
本当に、静かに波打ち際を歩いていた。

心だけではどうにもならないことがある。
どうしても、鎮めなければいけないものがある。

それを漸く理解できた私は今、素直な気持ちでこれを捨てられるだろう。
浜のちょうど真ん中あたりで止まり、海と向き合う。

そしてクローゼットから引っ張り出した箱から指輪を取り出す。

「さようなら」

思い切り振りかぶってなげると、それは遠くに小さな水しぶきをあげて沈んでいった。

そのまま緩やかに朽ち果ててなくなるのだろう。やがて私の想いがそうなるように。


指輪めた日

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