■八月十二日


「ちゃおっす、ヒバリ」
沈んだ気分のまま、それでも沢田がやって来る前に仕事を終わらせようと机に向かっていた僕の前に姿を見せたのは、赤ん坊だった。
ここ数日の暑さのためか、今日はさすがに黒のスーツではなくアロハシャツ姿で、コーヒーを片手に(何処から持ってきたのだ)応接室の窓枠に座っていた。
「全く、考えたもんだな。学校からの呼び出しじゃあ、アイツを行かせない訳にゃあいかん」
「・・・何の話」
まあ赤ん坊には僕の差し金であることはばれているだろうとは思ったが、とりあえず惚けてみる。
すると彼は案の定何でもお見通しという顔をしてにやりと笑った。
「まあいい。この分なら、夏の課題も終わりそうだからな。お前に任せることにする。・・・ところで今日は、もう一度この前の質問をしに来たんだが・・・」
そこで言葉を切ると赤ん坊は窓枠から飛び降り、小走りに近づいて僕の顔を覗き込んだ。
「その分じゃ、もう自覚はあるんだろ。の割にゃあ、浮かねえ顔つきだがな」
何を考えているのか分からないこの黒い瞳が、以前は面白いと興味を持ったけれど、今は苦手だ。なんだか全て見透かされている気がする。
赤ん坊はそのつぶらな瞳で僕を見据えながら言った。

「ボンゴレ十代目には、しかるべきところから嫁をもらうからな。お前はまあ、愛人くらいにはならせてやってもいいが」

・・・愛人?

途端に笹川の妹の顔が頭に浮かんだ。
何それ、あれが本命で僕が二番目ってこと・・・?
赤ん坊は彼女の名を出したわけではなかったのだが、そのときの僕には彼女のことしか思いつかなかった。
腹の底の方からふつふつと怒りが湧いてくる。
「愛人?冗談じゃない。僕が二番目なんてありえない。ていうか、僕が何処にどれだけ愛人を侍らせようが、あの子に浮気をさせる気なんてないから」
「・・・お前、自分が何言ってんのか判ってんのか?」
じわじわと湧き上がってきた怒りがすでに頂点まで達し始めていた。
そうだ、あの子が誰を好きだろうと、僕が引かなければならない理由が何処にある?
今は気持ちが僕に向いていないとしても、いずれ彼の中は僕だけで満たしてやる。
力ずくでも。

「なんか今、アブねえ事考えてなかったか?」
「ねえ、ボンゴレの伴侶は勢力のあるところから取れれば良い訳?」
なんだか、自分でも訳が判らないほどのやる気が湧いてきた。
「なら、僕がこれからボンゴレに匹敵する程の地位を手に入れれば、文句はないよね?」
「匹敵って・・・お前わかって」
「判ってるよ」
ボンゴレがどれだけ大きな組織であるのか、そんなことはとっくに調べが付いている。
だからなんだというのだ。

赤ん坊は暫く黙って僕を見ていたが、やがてにんまりと笑顔を見せた。
「おもしれえ」
ぼそりと呟くと、突然和やかな表情に変わった。
「まあ何処まで出来るか腕の見せ所ってとこだ。ツナもあれでつええ男に憧れてる節があるからな。お前が強くて権力もある最高の男になったら、他に目が行かなくなるかも知れねえしなあ。」
ドキリ、と胸が高鳴った。
そうだ、ありえない話ではない。
あの子は”ヒーロー”みたいな僕を”お父さん”として慕ってきたのだ。
強い男が自分の”恋人”になったならば、どんなに喜ぶだろう。

「まあとにかくがんばれ」
俄然やる気になっている僕を見て赤ん坊はにまにまと笑みを浮かべながら、励ましの言葉をかけたかと思うと、「若いっていいよな・・・」とぶつぶつ呟きながら窓の外に飛び降りて行ってしまった。

赤ん坊が去った後暫く腕を組んで考えていた僕は、おもむろに携帯電話で草壁を呼び出し、いくつかの指示をした。
やらなくてはいけない事は沢山あった。
目標が出来ると男は燃えるのだ。

いろいろと先の計画を考えているうちに、控えめなノックの音が聞こえた。
夢中になっていて気付かなかったが、もうそんな時間になっていたのか。
僕は素早く席を立ち応接室の扉を開けると、突然開いたドアに驚いている沢田に言った。

「日曜日九時、並盛公園の噴水前」

そう、やらなくてはいけない事はもう一つ残っているのだ。





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