欠けた牙で威嚇して3



 彼の目を直接見てないというのにヒシヒシと怒りが伝わってくるのは普段より数段低く厚みを帯びた声と、変化した一人称のせいだ。完全にキレてる。いつもヘラヘラしているせいでその変化が格別恐ろしく感じる。ここで嘘をついたら状況はさらに悪化するだろう。やむ終えなく先程の経緯を簡単に話した。しかしそれだけで済むと思うなと言わんばかりに悟くんは「明日から出勤禁止」と言い放つ。

「流石にそれは皆に迷惑だよ、ただでさえ人手不足なのに」
「迷惑?死んで呪いになるよりマシだろ。本当は結界の中に監禁でもしておきたいぐらいだ」
「……フェアじゃないよね。あなたは危険と隣り合わせで私は家でおとなしくしてろって?」
「フェアとかそういう問題じゃないんだよ。いい加減分かれよ、僕は最強だけどナマエは違う。危険なんだよ、この世界は」

 その言葉にピクリと片眉が動いた。悟くんは私が別の世界から来たことを知っているが、私がどんな世界で、どんな生活をしてきたか知らないだろう。血生臭い世界でどれだけの事を求められて、生きてきたか。

「……私が弱いって言いたいわけ?言っておくけど私は高専の学生みたいに学校に通った事もない。家で人を殺す教育ばかりさせられた。友達は必要ない、仕事仲間はギブアンドテイクの関係。優先するのは自分」

 違う、そうじゃない。本当はわかっている、彼の気持ちが、感情の根源が。

「自分の命を守ることだけを考えて生きてきたよ、でも、でも……私は、悟くんを、貴方の生徒達を守りたいと今は強く思う。もう自分だけ残る選択肢なんてしたくない、分からずやなのは悟くんの方だ!」

 心ない言葉を叫んでしまって一気に罪悪感に押し潰されそうになった。今更言い訳なんてできない。視線を合わせていられなくてギュッと力を込めた自分の拳を見つめる。ごめん、違うの、悟くんの気持ちはよく分かってるんだよ。そう言いたいのに何故だが声が出ない。しかし龍頭戯画の背に降りてきた彼の手が私の拳を覆って、薬指の指輪をそっと撫でる。その優しい手つきに結婚する前に彼が言った言葉を思い出した。

『僕と結婚することで、もっと危険になる。結婚しなくても一緒にいられる道もある、それでもこの指輪で君を縛り付けておきたいのは僕のワガママだよ』

 彼は得ようと思えばいくらでも得られるし、好きにできるだろう、悲しみなんて、孤独なんて存在しないのではないか。でも暴かれた瞳の奥が揺らいで見えるのは、何故だろう。

『僕のせいでナマエを危険に晒すっていうのにさ、こんな自分が時々……嫌になるよ』

 周りが足掻いたって追いつけないほどの力を持って、最強の悟くんには何が見えているんだろう。すごく大きな湖の中でぽつんと浮かんでいるボートの上に彼はいるんじゃないか、彼の心が乾き切ってしまって、異物のように孤独という塊が大きくなってしまうのが怖かった。
 
「私は悟くんの妻だよ。だから悟くんを守るのも、支えるのも私がやるの、私しかできないの。怖くないよ、怖いことなんて何もないって悟くんが言ったんだよ」

 彼の唇がうっすらと開いて瞠目していたかと思うと目を覆うようにして笑った。なんだか吹っ切れたように腹から笑っているように見えたのだ。

「本当に手強い。そりゃあそうだよね、この僕が惚れたんだからさ」
 
 彼の腕の中に引き寄せられれば気持ちの肩を預けているような安心感に包まれて心地が良い。私も彼も同じ、この心地の良さを失いたくなんてないのだ。私達は互いの命綱にならなければならない。

「悟くんの機嫌が良くなったのにすごく言いにくいんだけど」
「ん?」
「おじいちゃんに会いに行かなくちゃ」
「……却下」

===

 和室の一室で楽巖寺学長と歌姫が話し合っていた時、襖の向こうから「失礼します」と若い女の声がした。補助監督だろう、今学長と大事な話をしている真っ最中だ、歌姫が「後にして」と声を放とうとしたが学長が右手を上げて静止する。

「ナマエ、遅い。待ちくたびれたぞ」

 待ちくたびれたと言いながらも嬉しそうな声色が歌姫には伝わった。この名前、どこかで聞いたことがある。声と同時に襖を開けた先にいたのはやはり補助監督の服を着た女だった。こんな補助がいただろうか。続けて部屋に入ってきたデカイ男に思考は掻き消される。

(五条が何の用だよ……)

「五条の小僧と籍を入れることを許した覚えはない」
「おじいちゃんの許可なんて求めてないっつの」
「こら、悟くん口が悪いよ。ごめんね、おじいちゃん勝手なことして…」

(籍を入れた…だって?)

 あの五条悟が結婚したらしいという噂を耳にした事があるが、こんな野郎と結婚する馬鹿がいるわけがない。いたとしたらとんだ能無しだ、と歌姫は思っていたがどうやらその噂は本当だったらしい。驚きを隠せないまま刮目していれば不意に女と目があった。

「挨拶が遅れてすみません、補助監督のナマエです。よろしくお願いします、歌姫さん」
「あっ、こちらこそよろしく……」

 にこり、と微笑まれれば胸の奥がドクリと鼓動を大きく打つ。黒い髪に黒い瞳、透けてしまいそうなほど白く透明感が溢れる肌、真っ直ぐに伸びた背筋や指先までもしなやか。どこからどう見ても美人な女で、いかにも五条好み。同性の歌姫でも不意打ちを食らったような微笑みだった。

「こんな奴と一緒になるために戸籍を作ってやったわけではないぞ、ナマエ」
「この老ぼれそろそろシバいていい?」
「悟くん!静かにして!茶々入れるなら部屋から出て行ってよ」
「フン。さっさと出て行け小僧め」

 五条は大きく舌打ちしたがそれ以上突っかかるような言動をしなくなった。それに歌姫は大きな衝撃を受けたのだ。

(あの五条を手懐けてる?!)

 ただの補助監督が学長と親しい時点でおかしいのだ、それに加えてこの五条と籍を入れ黙らせているんだからこの女は只者ではない。一見美人なだけの補助監督に見えるが、何かを持っているのだと歌姫は確信したがイマイチその何かが分からない。彼女に関して知らない事が多すぎるのだ。戸籍を作ったとは一体どういう事なんだ。

「でもね、おじいちゃん子供ができたの。だからこの子のためにも身は固めておかないと」
「なんだと?!このクソガキめえ……わしのナマエを孕ませよって!」
「そこは喜んでくれないとナマエが悲しむよ?いいの?あーあ、可愛がってた子を泣かせちゃうなんて」
「ぐっ……もういい。詳しいことは改めてナマエから聞く、明日また来い、一人でな」
「うん、分かった」

 この場に五条がいるのでやはり話が進まないと判断したのか彼女は五条を引っ張って早々に部屋を出て行った。「ナマエっておじいちゃんキラー確定」「私のお爺ちゃんとなんか似てるんだよねえ」と何やら声が聞こえていたがすぐにそれは遠のいて行った。

「あの方何者なんです?」
「ナマエに関して詳しくは言えん。上とそういう決まりだ。だがあやつはこの呪術界の切り札になる」
「切り札…ですか」

 それは相当重要な役を背負っているのではないか。補助監督などやらせておいていいのか。加えてあの五条との子供を孕んでいるというのに。

「これを上に報告するわしの身にもなって欲しいのぅ」
「…あの五条が父親なんぞできると思えません」
「それは同意見だが……あやつらのガキは、革命児になるだろうな」

 そこまで学長に言わせる確信はなんなのか。しかし歌姫の頭の中である一つの記憶が蘇る。満ちた月を背景に艶やかな黒髪が舞い、闇から這い出たように冷ややかで底知れない強さを持った美しい女の話を聞いたことがあったのだ。

「もしかしてあの方、海外にいたっていう…」
「おお、そうそう。ああ見えてナマエは昔荒っぽくてな、九十九由基を瀕死にさせた事がある。ナマエに『サシで闘ろう』と言われたら死ぬ覚悟をせんといかんぞ」

 咽せるほどの衝撃を受けて歌姫は息を荒くした。それが本当なら相当ヤバい奴を呪術界の補助監督に置いている。そしてその獰猛さをひた隠してあの微笑みを向けられたかと思うと全身の毛が総毛立つ。その事実を知っているだけでも歌姫の背筋に嫌な汗が流れていった。


つづく





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