肉塊になった君へ



 暑すぎず、冷たすぎず暖かい温度、花や木や土が入り混じったような春の香りがする。やけに穏やかな草原が広がっていて、クロロと住んでいたあの場所に似ていた。青い小鳥が足元を彷徨っていて近づいてみれば小さな翼を羽ばたかせて地面を離れた。自然と飛び去った小鳥を追うように顔を上げればこの場所に不似合いな兄の姿があった。夜に染められたような長い黒髪が風で舞い、その男の刺すような視線がこちらへと向く。

「針、抜いたんだね」
「粉々にしたよ、あんな物」

 薄い唇を開いて、白々しく兄さんは「俺を恨んでる?」と呟いた。相変わらず能面みたいに変わらない表情で、感情の見えない声色だった。けれどそんな様子が懐かしくて、少し切ない。

「自分でも驚いてる…兄さんのこと今はあんまり怒ってない」

 事実だった。兄の操作がなければ私はもっと楽に生きれたかもしれない、くだらない苦痛に晒されることもなく、もしかしたら親が定めた婚約者と結婚して子供を育んでいるかもしれなかった。そう考えると自然と兄を恨もうとは思えなかったのだ。きっと全ては繋がっていて、悟くんに会うための道のりだったんじゃないかと思えてくる。それもそれで都合がいい。いつからこんな考え方になったのだろう。

「お前、笑ってるの?」

 不思議そうな兄の声が鼓膜を揺らす。「うん、そうみたい」と返せば、兄は訝しげに眉を寄せてみせる。兄はあまり表情を変えないが、この顔は不機嫌な時にする顔だ、予想外の事が起こって計画通りにいかない時よくこんな顔をして「仕方ないな」とぼやいていた。

「気に入らないけど、もういいよ。思い通りにならない妹なんていらないからね」

 兄は私に背を向けると草原の向こうに歩いて行った。その先に何があるのか知らない、山があるのか、もしかしたら海が広がっているのかもしれない、兄の行先が少し気になったが私はまだそこには行けないのだと自然に思う。去り際に兄は視線も向けずに言った。「その子は殺し屋には向いてない」と、その言葉だけを残して。強い風が再び押し寄せて、視界が霞んで見えなくなった時、兄は既に遠くにいた。決して振り向くこともなく、ただ向こう側を目指して歩いていたのだ。



===

(あの兄さんの夢を見るなんて)

 暗い部屋の中に明るい光が細い線のように差し込んでくる。雨戸の合間から指す朝の光だ、うっすら濡れた目尻を手の甲で拭って、誘われるように雨戸を開けば部屋中が眩い光に包まれる。部屋の温度が増して、陽だまりの体温に包まれているような気がした。後ろから手を引かれてそのままベットに崩れるといつ間にか目を覚ましていた悟くんの大きな手がゆるりと腹の中心をなぞる。優しく、穏やかに、宝物を愛でるような手つきがこそばゆくて、じわりと熱が胸に滲んでいった。

「女の子かなあ…だったら黒髪でナマエにそっくりな子がいいな」

 まだ膨らみもしていない腹部に頬を擦り寄せて、重そうな瞼を少しだけ開いている彼の声は寝起きの子供みたいだ。朝日でキラキラと輝いている柔らかい髪に指を通しながら撫でていれば彼は気持ちよさそうに瞳を閉じた。

「黒髪はないよ、だって私元々は銀髪だし」

 「あ、目も青かった」と思い出したように呟けば再び寝落ちてしまいそうだった悟くんの瞼が力強く開いた。

「えッ、なんで?そーいうことは早く言ってよ、見たかったなぁ…銀髪碧眼のナマエ」
「兄さんの執着から逃れたくて特殊な念能力で黒くしてもらったんだけど、遺伝子はいじってないからきっとこの子の髪は色素が薄いと思うよ」

 兄は銀髪の妹と弟を操作したいと思い込んでいたが、結局髪と目を変えたぐらいではあの執着から逃れることなんてできなかった。分かってはいたが若気の至ってやつだ、あの頃はとにかく反発したかったのだと思う。歪んでいたが、兄は私と弟を深く愛していたんだと今は思える。

「ふうん、そっか。すごく楽しみだよ、早くパパって呼ばれたい」

 きっと悟くんがいたから、私はこう穏やかに過去を振り返ることができるのだろう。白髪であろうが、銀髪であろうが見た目はあまり変わらないだろうな。どんな容姿だっていいけどフサフサの睫毛に縁取られた彼の瞳にそっくりだといいと少し思う。朝焼けの湖のような煌めきが私には眩しくてならないけれど、私にない光だから、腹の中の子もそうであって欲しいと願う。

「男の子だよ」
「まだわかんないんじゃなかった?」
「わかるよ、私は」

 わかるよ。髪は多分銀色、瞳は悟くんにそっくりだけど目尻が少し吊り上がっていて、顔立ちは私に似ていると思う。挑戦的で、自由奔放な性格でふてぶてしい所もある。でもくしゃりと目元に皺を作って優しい顔で笑うんだ。その子の隣には悟くんがいて、いつも面白がって揶揄ってる。度が過ぎて大泣きされて「ほんのジョークなのにさぁ」っていじけた顔しながらきっと彼は私の肩に手を回す。

「ねえ、何考えてるの?僕にも教えてよ」
「……秘密だよ。そろそろ支度しないと遅れるよ」
「あー、そうだ。今日から海外出張だった……本当に一人で大丈夫?まだ間に合うからさ、一緒に行こうよ」
「平気だよ、何回も言わせないで」

 不服そうに彼は眉を寄せ閉口したが、軽く唇に触れてやれば観念したように肩の力を抜いた。「あの子達をよろしくね」と小さく笑う彼は私を信用してくれているのだろう、そう思えばきっとどこまでも強くなれる気がする。

「帰ってきたら悟くんの親友の話をしてよ」

 悟くんが虚を衝かれたように目を見開いたが、その顔がグッと近づいて彼の高い鼻が私の鼻に擦り付けられた。くすぐったくて瞳を閉じたが、どうしようもないように湧き上がってくる感情に胸が熱くなる。「やっと僕に興味でてきたんだ」と彼が呟いて柔らかく唇が重なれば愛で脳がヒタヒタになってしまいそうだ。

「うん」

 幸せってなんだろう。私の中を隙間なく埋め尽くすものだろうか、身体中の、骨と骨の間も、血液、内臓の隙間を満たしていくものはきっと幸せなんだろうな。彼のために何かしたい、最強を称する彼を癒せるたった一人になりたい、彼の側にいたい、怒らせたり、呆れさせたり、がっかりさせたり、泣かせたり、笑わせたり、彼の感情を喚起させたい、でもそれ以上に彼のために生きていたい。彼が私の心の内を震わせるように。私の胸の奥底を押し広げていくものはきっと愛だ。彼に対する、確かな愛なんだ。


===


 肉塊になった君へ

 私を覚えていますか。貴方が私を愛し、慈しんでくれたおかげで私はここにいます。きっかけをくれてありがとう。貴方を愛していました。そして今は彼を誰よりも愛しています。彼のために生きたいとそう思えます。






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