主よ、その潤んだ唇に



 肉塊に埋もれた血塗れで生臭い私の指を愛おしそうにクロロが触れた。その手は少し冷たくて、驚くほどに白い。ゆっくりと手のひらを伝っていき、やがて大きく骨張った手で覆われる。指を絡めるように強く握られれば、彼が隣にいる、私の側にいるのだと実感できた。彼を見上げてみれば汚れた私と違って真っ白なシャツを着ていて、線の細い輪郭に高い鼻筋、顎先から耳朶までのラインが驚くほどに綺麗な横顔だった。どこを切り取ってもきっと彼は美しい。彼の長い睫毛の先は以前の形を無くした肉塊を見ていた。

「こんなものが好きなのか」
「さあ、いつかクロロもそうなっちゃうかもね」

 ふっと彼が口元を緩めたかと思うと自然と胸が高鳴った。「滑稽だな」と太くも細くもなく、子宮を揺らすような声で彼が囁く。彼が好きで、好きで堪らない。こんなに人を好きになったのは初めてだった。彼のせいで感情の起伏が激しくなるし、寂しい夜は抱きしめてほしい、黄金色に染まった夕焼けが見えた時にはこの美しい景色を一緒に見たいと願う。でも彼を愛しているのだと気づいてしまえば、私はこの男を殺したくて堪らない。切り裂いて、抉り出して、私を満たしてほしい。

 瞼を開けばそこには自室の天井が見えた。気怠い体を起こせば、カーテン越しに光が差し込んでくる。コーヒーが飲みたい、と立ち上がった時ベットサイドに置いてあった携帯が鳴り響いた。急用かもしれないが携帯を取らずにそのままキッチンへと進んだ。どうせ見なくてもわかる、五条悟だ。

===

「なんですここ怪しんですけど」
「いいからいいから」

 五条さんに背中を押されて連れてこられた扉の前。先日まで落ち込んでいたのが嘘のように声色は明るい。これはまた何かあったな。分厚く重たそうな扉が開けば、中は薄暗い。奥のテレビの光へ視線を向ければその手前のソファに誰かが座っている。桜色の髪が見えたと同時に彼は振り返ると満面の笑みを見せた。

「あれっナマエさんだ!」
「は?」

 死んだはずの虎杖悠仁が生きている。本物か?嬉しそうに近づいてきた彼は前と全く変わらないように見える。手を伸ばして胸に触れてみれば心臓が脈打つ音がしっかりと感じられた。「色々あって生き返ったんだよね」と後ろで五条さんの声がする。呆然と身動きできないまま暫くそうしていたら、目の前の虎杖君は「え」と小さく呟いて、面食らったように口を開けながら私を見下ろしていた。

「俺のために、泣いてくれると思わなかった」

 その言葉に初めて自分の目から零れ落ちていた涙に気づく。乾き切ったスポンジに水が染み渡っていくように自然な感情だった。人前で泣いたのは何年ぶりだろう。胸の中で広がっていく安堵感は身体中の筋肉を和らげて、張り詰めていた感情を溶かしていく。次第に込み上がった笑いを押し殺すように目を閉じたが、唇は微笑で震えている。私の泣いたり笑ったりと奇妙な反応を不安に思ったのか「ナマエさん?」と虎杖君が私を心配そうに覗いていた。

「生きててよかった」

 本音だった。彼が生きていたことに心の底から安堵している。こんなに自然に微笑むことができるのは彼が存在してくれているおかげだ。

「っ……やっば、俺ときめいちゃった!!」
「悠仁、勘違いするなよ」
「ぐえッ、苦しい先生……」

 虎杖君の首を絞めるように五条さんの腕が回って、低い声が響く。ギブギブ、とその腕を虎杖君は叩いているが一向に離す気配はない。彼の耳元に寄せられた唇、しかし五条さんの視線は私を射抜くように見ていた。「ナマエは僕のために泣いたんだよ」と太く紡がれた言葉がすうっと胸に染み込んでいく。不思議な感覚だった。

「はぁ?どう考えても俺が生きててよかったの涙でしょうが!」 
「違うね、僕にはわかる。ナマエ、僕のこと好きだろ」
「す、スッゲェ発言。流石に引くわ……」

 この男はこんなにも自己中心的で、自由奔放で、軽薄なのに彼の言葉には重みがある。命の重みだ。血が通った人間が、人間のために、誰かのために生きることを選ばなければこんな重みは到底出せない。彼の言葉には私の奥深くを掻き乱す力がある、そして私はそれを望んでいるんじゃないか。だからきっと彼の背中が傷だらけに見えたんだ。

「そうかもね」

 目の前にいる二人の男は同時に腑抜けた声を上げて同じような顔をしていた。

「愛せないけど、好きだよ」





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