すべて偽りのマリア



 虎杖悠仁が特級相手の任務で死亡した。その知らせの電話を受けた時、五条さんと私は出張で遠方に出ていたのだ。「急いで帰ろうか」とそれだけ彼は告げたけれど、その口元はいつものように釣り上がってはいない。生徒の一人が死んだのだから当たり前だろう。いつも車内では煩わしいほど話しかけてくる彼は黙って窓の外を眺めていた。ミラー越しから見える横顔は厳かで静かで、心の奥底に沈み込んでいく空気の重さが見える。

 高専に到着し、車を降りて歩いていく彼を引き止めたのは気まぐれだ。ピタリと歩くことをやめてその場に止まった彼の背中は誰よりも大きい筈なのに今はひどく傷だらけに見える。胸が細かく裂けてそこに冷たい風が吹き込んで、ざわめくような感覚だった。

「珍しいね。普段そんなことしてくれないからドキドキしちゃうよ」

 彼の腹に腕を回して、背に頬をつければやっぱりそこはひんやりと冷たい。その体温がなんだか少し怖いのは、どうしてだろうか。いつものように軽薄な声色にほんの少し混じっている哀愁な色が痛いぐらいに胸に突き刺さってくる。彼から感じる激しい怒りと共に存在する確かな悲しみを見逃したくないのかもしれない。彼が皆んなを守り育てるのならば、彼の事は誰が守るのだろうか。彼が感情を吐き捨てられる先はどこかにあるのだろうか。

「心配しなくても大丈夫だよ」

 不意に降りてきた声は優しかった。ぎゅっと心臓を握られたような感覚になって顔がぐしゃりと歪む。鼻先に集まってきた熱、今自分がどんな顔をしているのかわからない。絶対に見られたくはない、彼の背に顔を何度か擦り付けてから離れて背を向けた。

「心配なんてしてないよ」

 そう、心配なんてしてない。自分ですらこの感情に名前をつけるのは嫌なんだ。分かりきったように優しい声で宥めたりなんかするな。なんだかすごく気分が悪い。車内に戻って車を走らせていたけれどこの感覚が消えることはない。奥歯を噛み締めても滲み出てくるような苛立ち、ハンドルを握る手が小刻みに震えた。車から降りて街を彷徨っていたけれどムズムズと疼く体がパンクしてしまいそうで途端に路地裏に逃げ込んだ。

(ダレデモイイカラ、コロシタイ!)

 右手先の血管が張り裂けんばかりに膨らんで爪が鋭く伸びる。この手は人の肉を切り裂く恍惚とした瞬間を待っている。反対の手でそれを押さえつけていたが、後ろから感じた一つの気配にゆっくりと振り返る。そこには以前私を攫って拷問していた男の一人が立っていた。皮膚が継ぎ接ぎの若い青年は暗闇から嘲笑っている。

「この前は逃げられちゃったけど…また会えたね」
「…今すごく機嫌が悪いの、次は殺しちゃうよ?」
「ふっ、あははっ!おかしい!どう考えても君ってこちら側じゃないかぁ!」

 腹を抱えて笑う青年の声が鼓膜を揺らすのさえも不快だった。ピクリと眉が動くのと同時に限界だと疼いていた爪が青年の首を落としていた。血飛沫が上がるが、地面に転がった頭は笑い声を上げたままだ。死んでない。人間の形をしているれど呪霊なのか?

「まあ、どうでもいいけどね」

 頭から切り離された体を何度も切り裂いて、バラバラになった肉片。爪が柔らかい皮膚を裂く気持ちのいい感覚、臓器に指先が当たれば潰さないように綺麗にもぎ取っていく、感覚が皮膚から脳へと伝達していき、限りなく満たされていると感じたのはいつぶりだろうか。気づけば地獄絵図のような悲惨な空間と化していたが、額から体の芯へ溶けていくのは穏やかな感情だった。いつの間にか青年の頭はどこかに消えていた。心底どうでもいい。これは私だけの快楽。私を満たしてくれるのは肉塊だけだ。



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