アノニマスゲーム

 ―『今の人生、これで何回目?』
疲れ切った表情に脂っこい男がカウンターにもたれて煙草をふかしている。
「さあ?数えるのはやめたよ。今は見ての通り、冴えない詐欺師さ。顔色が悪いのは寝てねえからさ」
 話し終えると、また煙草を吸いだす。呼吸は鼻と口でしているのではなく、煙草でしているみたいに忙しなく煙草をふかし続ける。
 『今の人生、何しているの?』
陶磁器のような滑らかな白い肌に、ギリシャ彫刻のように端正な顔つきの男は、机に肘を置いて答える。
「今は聖人をしているよ。そろそろ殺されるだろう。何やら政治家たちの迫害がひどくなってきたからね」
 青い瞳は悲しみも諦めもなく、ただ青く澄んでいるだけ。何かを映しているようで実は何も映ってはいない虚ろな瞳。
 『今の人生、いつまで続くの?』
灰色のごわついた長い髪をひとつに束ねた老女は椅子の背もたれに寄りかかりながら、掌の染みを数えながら呟く。
「そのうち終わるだろうねえ、だってあたしゃあ魔女だもの。医学の知識をかじっただけなのに殺されちまうのさ。こんなことになるなら誰も助けなきゃよかった」
 鉤鼻の下にある唇はかさかさに乾いて、まるで水をしらないようだ。
 『今の人生、終わったらどうなるの?』
 詐欺師は宙空を見つめる。
「今で何回目の人生か分からねえが、もう悪人は御免だ。確かに俺は悪人として最初の人生を生きた。家族を殺しても何とも思わなかった。次の人生でも悪事を働いても何とも思わない、そんな悪人になりたいと願ったさ。だって良心なんて持っていても自分が傷つくだけだろう」
 聖人は組み合わせた指先を眺める。
「悪人も聖人でもない、人間ではなく野性の掟のままに生きる動物になりたい。善人として生きた最初の人生は苦難の道で身体も心もぼろぼろに打ちのめされたけれど、救いの光を感じられた。それからずっと光を探して、善人として生きているけれどもう光は見えない」
 魔女は足元に視線をさまよわせる。
「もう終わりにしてほしいね。最初の人生は人に尽くして病を癒す女として生きたけど、人生が新たに始まるたびにあたしは信用されなくなっていくんだから。天使、聖女といわれていたあたしは今じゃ魔女扱いで明日の命だって怪しいもんさ」
 『血の臭いが染み付いてきた魂に嫌気がさした?』
詐欺師は唇を片方だけ吊りあげて皮肉な笑いをこぼす。聖人は祈るべき神の名を迷う。魔女は小さく頷いた。
「だって何回生まれ変わっても何も分かりゃあしない。何が正しい?何が間違っている?正しい行いをしているつもりなのに殺されてしまうんだ。だったら最初から誰かを助けようなんて思わない方が良かったのかね」
 魔女は薬瓶を叩き割る。薬品の香りが室内に漂うが、詐欺師も聖人も何も言わなかった。
 『生まれ変わり続けて楽しい?』
 聖人は血に塗れた掌や足を見つめて黙り込む。詐欺師の身体は汚い切り傷だらけ。魔女は烙印の醜い火傷が引き攣れている。
「悪人として生きるのは楽だと思っていたのに」
「善人として生きるのは真の幸福だと思っていたのに」
「誰かのために生きるのは喜びだと思っていたのに」
 三人の視線が交わる。
そして気が付く。
「ああ、何だ。どちらでも俺達は同じ目に遭うのか」
「血は流されるのか」
「裏切られるのは同じかい」
 『ああ、人生を繰り返すのはもうやめるのかい?』
 三人は緩慢な動作で頷いた。
『残念だけれどこの駒ではゲームはもう出来ない。質問はやめて作り直すことにしよう』
宇宙という屋根の下で、地球を盤上にしたゲーム。
 プレイヤ―は、理解できない存在を理解するのをやめた人類が生み出した者たち。
神様で悪魔で天使で魔王で、宇宙人で地球人で何者かであり何者でもないもの。
駒を手に彼で彼女の何かは息を吹きかける。
 三つの駒が盤上から転げ落ちるのと同時に鈴の音が鳴る。
“三つの駒、ゲームオーバー”
 誰かが遊ぶ無限のゲーム。汚れた駒が盤上から消えて、また新しい駒が置かれる。
 『次はどんな人生にしよう?面白いゲームにするためにはどんな駒がいい?
恋人に何度裏切られてもまた信じてしまう愚かな女?自分のためなら大勢の人間が死んでも平気な政治家?それとも女を足蹴にして生きるくだらない男?自分の親を刺し殺す子ども?』
どんな人生だって終われば同じ。傷ついて悲しんで、終わってみれば悪人も善人も似た傷を全身に負って同じ顔をして立ちつくしている。
 さあ、鈴の音がなったら人生がまた始まる。エンドレスゲーム。
 『あなたはどんな駒になりたい?』
 悪魔で天使で生者で死者の何かは嗤う。嗤いは風となって盤上を吹き抜ける。
 何処かで赤ん坊の泣き声があがった。



               〈了〉


企画小説酸欠様:『鈴の音が鳴る』提出作品



作者:藤森 凛


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