久しぶりに家に帰ろうと思った。何故かは分からないけど唐突に帰ってもいいとかもしれないと思えた。少しは足がすくむものかと思ったけれど不思議と恐怖も無く足がとまることもなく、むしろ進む度に肩が軽くなっていく気がした。

「……?」

いつもあるはずの貼紙がない。漂うだろうと予想していた生ゴミとか、酒のにおいが全く感じられない。
なにか、おかしい。

まさか借金取りによからぬことを…と思い焦って扉を開けると、そこにいたのはあの乱暴なお父さんじゃなくて、スーツを着た普通の男性。
見覚えがあると思った。

「あ、おかえり。あず。」

おかえりとわらう顔。少し天然パーマの茶色の髪に白い肌。
記憶にうっすら残る母の顔。

「お兄ちゃん?」

10年前に出て行った私の兄、空良だった。



明るくてかっこよくて優しい私のお兄ちゃん。お母さんによくにてて綺麗でかっこよかった。

でも10年前お父さんの暴力を見兼ねたお母さん側の親戚が保護という名目でお兄ちゃんを連れていってしまったのだ。

『いつか、いつか絶対迎えに行くから!!!』

そうは言われたものの、母が死んでからはぷつりとその親戚との連絡も途絶え結局兄の消息はわからなくなってしまったのだ。



「それでほんとに迎えに来てくれたの?」
「うん。やっと社会人になったからさあ。」

へえ、と返事を返してお兄ちゃんが作ってくれた少し遅めの昼食を口一杯に頬張った。

「お父さんは?」
「先に新居に送ったよ。」
「そう……」

安心した。どっかにぽいしたのかと思った。

「小豆。」
「ん?」
「あのな、お父さんのことだけど。」
「……うん。」
「ちゃんと、話してないことがあるんだ。」
「……そっか。」
「だから、お父さんとあったら、もう大丈夫だから、ちゃんと話を聞いてあげてほしい。」
「……うん。わかった。」

お父さんの話してないことってのはなんとなく想像つくけど、今は聞くのは止めておこう。
今は、これからの生活のことを考えていたい。

「新居ってどこなの?」
「ん―…言いにくいんだけど。」
はい?



ついでに買い出しを済ませて店に戻った。いまはまだ開店前で人気はない。

「――あ。」

千尋さんが、いた。

「よ。」

一礼してカウンターに入る。冷蔵庫にグラスを入れはじめるとやけに沈黙が際だった。
時計のカチカチという規則的な音とグラス同士が擦れる音。
それが妙に大きく虚しく響いた。沈黙を破ったのは、千尋さんだった。

「……ほんと、だったんだな。」
午後八時半。

「えぇ。」

あの人が来る時間はとうに過ぎた。

また、沈黙。

「小豆、おれさ、東京に行くんだ。本社に移動になって、さ。」
「あら、おめでとうございます。」

千尋さんを振り返って私、笑えてる?
「あず、「私も、ここから離れるんです。」

再び訪れた沈黙を破ったのは千尋さんで、それを遮ったのは私だった。
一拍遅れて動揺した声が響く。

「兄が帰ってきて、アメリカに移るんです。」

あぁもういや。
一体なんだってのよ。
なんで一気にみんないなくなるかな?

「あずき。」

もうやだ。

「はなして、」

はなして。はなして。
こんな冷たい腕で、あのひとを抱いたこの手で、私を抱かないで。

卑怯よ。
あなたみたいに卑怯な人っていないわ。
あなた、令さんがいなくなった淋しさを、私で埋めてるだけじゃない。



卑怯よ。


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千尋は今さらながらに
自分の中で店の存在が
でかかったことに
気が付いたわけです。

小豆、怒ってるんですよ。
これでも。


20110719








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