僕たちの愛しかた | ナノ

僕たちの愛しかた

 綺麗なものを見つめて

 何故あのとき冬美旬があんなことを言ったのか、若里春名は知らない。青ざめた顔をして、まるで懺悔のごとく彼は告げた。好きです、付き合ってください。真っ青で怯えているかのような表情に相応しくなく、その言葉はあまりにありふれた告白だった。
 震える唇と揺れる瞳を見下ろしながら、春名はぼんやり綺麗だと思った。だから彼は頷いた。旬はそれでも青い顔をして、ありがとうございます、と言った。
 そして二人は付き合うことになった、らしい。旬は相変わらずいつでも夏来と共に行動するし、これといって変わった行動を示そうとはしなかった。だから春名も特に何もしなかった。
 放課後、秋風の吹き込む教室で初めてのキスを交わした。旬の顔は赤かった。要するに恋愛下手だったのだ。そんな彼が可愛らしく思えて、ああ、と思った。なんだ、オレ、結構ジュンのこと好きだったんだ。良かった。
「……急ぎますよ」
 春名を突き飛ばすように離れて旬は言った。照れ隠しだと分かっているから春名は笑った。夕日の色の後ろ姿を綺麗だと思った。

 旬がピアノを弾いている。きらきら光っていると錯覚しそうなくらいそれは美しかった。
 ジュンは綺麗なものをたくさん持っている、と春名は気付く。それはピアノの才能であったり傍らで注がれる幼なじみの眼差しであったり周りの賞賛であったりした。どれも春名が持ち合わせていないものだ。妬みはしなかったが、ほんの少し惨めになった。どうやったって手に入らないものは確かにあるのだ。それも山ほど。持つ者は充分すぎるくらいに持っているのに。
「ジュン、……すごく、良かった」
 夏来の声ではっと現実に帰った。「ありがと」と旬は返して、ピアノの蓋を閉じた。さっきまで溢れていた音は黒い板の下に閉じ込められて布で覆われる。綺麗なものはいつまでもその姿を保てない。
「……春名さん?」
 気付くと旬が覗き込んでいた。黒い瞳があのときと同じように揺れている。
「どうでしたか?」
「ああ、良かったよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
 そう言って笑った彼の表情は間違いなく特別なものだった。春名はそれに気が付いて、嬉しくなった。自分も綺麗なものを持っていると。綺麗なものに愛されるのが、こんなに優越感をもたらすなんて知らなかった。
 人を愛するということは、もっと美しいものだと思っていた。
 春名が旬を愛したのは、彼が持つ者だったからだ。そして春名を愛してくれたからだ。
 手にした綺麗なものを眺めて春名はこっそり懺悔する。ごめんな、ジュン、愛してごめん。

□ □ □

 手に入らないものを数えて

 若里春名は軽音部の最年長だ。諸々の事情から二回の留年を経験し今に至る。高校生にしては社会経験があるせいか、大人の余裕を見せる頼れる仲間だと旬は思っている。
 しかし時々本当に大人のような目つきで仲間を眺めているときがあって、それは旬を酷く不安にさせた。まるで一人だけ遠いところにいるかのようで。その度旬は慌てて春名に声をかけた。春名さん、課題は終わってますか。ドーナツ食べすぎです。寝ないでください。春名さん。春名さん。春名さん!
 いつの間にか彼を見つめる時間が増えた。彼は旬にとっての特別になった。
 大人びた視線で自分たちを微笑ましく見つめる春名を何度も見かけて、旬は決意した。彼を手の届くところに置いておこうと。
 そして彼は告白をした。好きですと。嘘ではなかった。けれど全くの本心でもなかった。それに承諾されることを半ば確信してもいた。旬はなんでも持っていた。
 放課後の教室でカーテンに隠れてキスをした。全く知らない体験だった。頬に添えられた手の慣れた仕草に少し腹がたった。知らないものがあったからか、それとも。
 赤くなった顔のまま春名を突き飛ばして、旬は乱暴に鞄を掴んで教室を出た。春名が笑った気配がした。それが嬉しかった。自分の側で年相応に笑ってくれるのが。

 ピアノを弾く。左手も良好だ。傍らには幼なじみが立っている。側では春名が座って聴いている。
 春名がまたぼんやりしている。弾き終わって真っ先にそれが気になった。幼なじみに生返事をして、春名の前に立って覗き込んだ。
「……春名さん?」
 春名の目が旬に焦点を合わせる。ようやくこっちを見た。ずっと僕が側に居られれば、そんな顔させないのに。
「どうでしたか?」
「ああ、良かったよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
 春名が自分を見ているのが嬉しくて、旬は笑った。
 良かった、と思う。彼の目が自分を見ている限り、あんな恐ろしい思いはしなくて済む。彼がどこかに行ってしまうような錯覚。旬はなんでも持っていたし、思い通りにならないものに恐怖を感じた。
 ああ、と旬は愕然とする。僕はただ彼を手に入れたかっただけだったのか、と。ここにある愛じみたものは、そんな美しいものではなかったのかと。だけど旬は確かに彼を愛していた。自分のものになったから。
 人を愛するということは、もっと美しいものだと思っていた。
 春名を見つめて、旬は密かに思う。ごめんなさい、好きになって、と。

□ □ □

 ほんとうのことなんか誰も知らない

「うわー、夕日やべー!」
 軽音部の部室で、ふと顔をあげて春名が声を上げる。キーボードをしまっていた旬も顔をあげ窓の外を眺める。空も街もそして部室の中も、一様に明るい橙色に照らされている。オレンジの世界に二人きり、春名と旬は見つめ合う。どちらともなしに抱きしめあった。
「ジュン、……好きだよ」
「僕もです。好き、です」
 腕に力がこもる。きつく抱きしめあって苦しさに言い訳して涙を流した。声を殺して、引きつった音を漏らしながら。二人の輪郭は夕日に溶けて一つになる。激情のやり場をしらない大人びた子供が二人、静かに静かに溺れている。本物を偽物だと信じて。証明する術を知らずに。

 秋風がカーテンを揺らす。厳しい冬の気配を感じさせながら、それでもその先には間違いなく春が来る。
20160801
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