海 | ナノ

※CP要素薄め

 夏も終わりかけ、窓を開け放つことも少なくなった事務所には、いくつかの夏の思い出が残されている。窓辺には蝉の脱け殻が飾られ、何やら貴重らしいキノコの標本が本棚に立て掛けてある。そんな中で際立って目立つのは子供の頭ほどもある大きな巻き貝だ。海洋学者の彼が拾い補修したものらしい。その大きさへの物珍しさもあって時折人が集まっては耳に当てる。海の音を聴こうとしている。
 本当のところ、翔太にはあの轟々した音が海の音とは思えない。貝殻の側に置いてある、シードラムというらしいこれも海洋学者の彼が置いた円盤状の楽器の方がよほど波の音がすると思う。三人で鳴らしてみたことがあったが、冬馬はこの楽器を鳴らすのが下手だった。せっかちな性格のせいかザラザラとテンポ良く振るってしまうようだった。
 大きな貝殻を撫でながら海の音を考える。幸福そうに大きな貝殻に耳を傾けるあの学者の姿を思い出す。はきはきとした丁寧な口調で親しみやすいが海への知識量も経験も圧倒的だ。それをひけらかさない謙虚さもある。
「貝殻の補修とか、学者さんの仕事じゃないのにね……」
 例えば翔太と同じユニットの彼は女の子との話題のために幅広くアンテナを張っている。その辺の草の花言葉や手相占いや政治情勢まで。何かを一途に追えば更に何かに詳しくなる、そういう仕組みがある。
 貝殻を持ち上げる。ずしりと重い。触った人が怪我をしないようにとよく磨いてある。耳に当てても相変わらず海の音には聴こえなかった。血流の音なんだっけ、とうろ覚えの知識を思い出す。あれだけの知識量の彼が、中学生でも知っていることを知らないはずがない。血の音を、海だと願って聴いている。あるいは自分自身に海があると確認している。幸福そうな横顔。
「海の音したか?」
 冬馬が覗き込んでくる。微かにスパイスの香り。耳元で轟々鳴っている血流が余計うるさくなった気がした。
「うん、波っぽい、ザーザーいってる」
「でかいよな、それ」
 大きいというだけでロマンに感じるらしい彼の目は嬉しそうに光っている。次貸してくれよ、と手を差し伸べてくる。信じたければ血流は海になる。
 少年は神様に。
20190904


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