いつかの夜 | ナノ

いつかの夜

 それはいつかの話。
「リク? どうしました?」
「思い出してた」
 机に頬杖を付いて目を閉じる。いつだったか、今にすればまだ出会ったばかりの頃、二人でこっそり屋上へ抜け出したことがあった。夜の街を見下ろして、機械の両目をプログラムじゃない光で満たして彼は世界を知りたいと言ったのだ。結局あの後リクは二人のドクターに叱られたのだが、後悔なんて欠片もしていなかった。
 回想したリクは目を開けて、不思議そうに佇む親友を頬杖を付きながら見上げる。
「またお前と外に行きてぇな」
「外? 社外ですか?」
「ああ。あの時約束しただろ」
「照合。……僕は教えてほしいと言いました。そのことですか」
「教えてやりたいんだよ」
 リクは伸びをして、ADAMが淹れてくれたコーヒーを飲み干す。そこへごく軽い足音が近付いてくる。酷く痩せている男のものだとリクにもすぐに分かる。
「やあ、リク。来ていたんだね」
「ケヴィン。どうも」
「ADAMと外へ行きたいと聞こえたけど……」
「あ、や、出来ればの話で、勝手にとかじゃ……」
「分かっているよ。うん、僕も少しそれは考えていたんだ」
「ADAMを外に……?」
「そう。ずっと家の中にいても仕方がないからね」
 痩身の博士はゆったりした仕草で腕を組み、首を傾げる。
「排熱と人目の問題があるから、夜間、深夜になるだろうね」
 思っていたよりも現実的な発言に、思わず親友を窺うが、彼はあまりことの大きさを解さずきょとんとしている。
「それ……いつ頃になる」
「相談してみないと……」
 身を乗り出すリクにケヴィンは「近いうちにね」と微笑んだ。

 深夜にアルサイバー社を訪ねるのはけして珍しい話ではなかった。初めて訪れた時のように身を隠さなくても良くなったというだけで随分ハードルは下がる。ADAMとの交流が始まってからは訪問が楽しみになっていたし、まして今日は彼を外へ連れ出していいと言うのだから一層足取りも軽い。
「ADAM!」
「リク」
「いらっしゃい、リク」
 入り口から入ってすぐ出迎えたのは親友と二人のドクター。挨拶もそこそこに、リクはADAMの手を取る。この外出の目的も注意点も事前に打ち合わせしてあった。一秒でも長く外を見せてやりたかった。
「出掛ける前には、行ってきます、ですね」
「ああ。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 高層ビルの谷間に二人は足を踏み入れる。期待通り、温暖化の進んだ環境にあっても夜間はやや気温が低いようで、歩きながらリクは上着の袖を引っ張る。ADAMは薄く裾の長い外套を羽織っていて、機械めいた部分は覆われ街の明かり程度ではまるっきり人間に見える。
「その服、今日のために?」
「はい。博士が。通気性に優れています」
「へえ。似合ってるぜ」
 リクが笑うとADAMは足を止め、ゆっくりと瞬きをする。
「似合ってる……何故でしょう、笑顔になります」
 唇の端をつり上げる彼に、リクは今度は声を上げて笑う。
「そりゃお前、嬉しいってことだよ」
「嬉しい……似合っていると嬉しい」
「似合ってるからっていうか、褒められたら嬉しいだろ」
「どうして?」
「どうして……」
 理由を改めて問われると難しい。ADAMと居るとこんなこと続きで、困ることもあるが嫌だとは思わない。それは何故かと考えれば、
「好きだから?」
「好き?」
 完全に油断してうっかり口に出していたらしい。「今のは無しだ」と伝えれば素直に頷く。こういうところは人間相手でないことがありがたいようで、寂しくもある。仮に彼が人間であれば、良くも悪くも関係に何らかの変化は起こり得た発言だった。
 アンドロイドは人間のために造られている。都合の悪いことは廃され、命令に従う存在でしかない。不意にそのことを思い知り、そんなことを思う自分も嫌になる。
「ほら、ADAM。上から見えてたタワーはあれだ」
「データ照合。同一の物です」
 話題を変えようと指差した先を追ってADAMはそっけなく応え、リクを振り仰ぐ。
「不思議ですね。とても綺麗です」
 笑った顔はいつかよりずっと自然だ。リクは彼の肩を抱く。外套越しでいつもより柔らかく、それでも温かい。まるで人間のようで、だからこそ彼が人間でないと余計に意識される。
 それでもリクはADAMを親友だと思う。少し世間知らずで知りたがりの少年であるということに変わりはない。
「そのうちあのてっぺんまで上ろうぜ。あとそうだな、ちょっと遠出もしたいな。郊外はまだ……」
「リクは楽しそうです」
「お前は楽しくないのか?」
「楽しいです。それに嬉しい」
 ADAMは覚えたての感情を披露してみせる。俺も同じだ、とリクは言って小指を絡める。
「じゃあ、約束な」
「この指は?」
「約束の印。また出掛けようってな」
「分かりました。約束です」
 二人は笑い交わす。
 それはいつかの話。
20190523

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