まだ遠い | ナノ

まだ遠い
※家出

 家出をしてきた、と彼は言った。
 春名が一人で暮らすアパートに制服姿で突然転がり込んできた旬は、なんだか酷く疲れた様子で、春名が質問してもいつのもようなはっきりした答えを返せずぼんやりとしていた。参ったな、と頭をかいた春名は、とりあえずと夕飯を振る舞うことにし、そして春名が台所に立つ間もずっと旬は何も言わずに座っていた。簡単に作った炒飯を差し出すと、旬はのろのろと手を動かして口に入れ始める。あまりの変わり様に恐ろしくなった。
 何か家であったのだろうとは察するが、旬がこんなにも疲弊しきって、そしてそんな姿を隠すことも出来ないでいるのが信じられない。いやそもそも真面目な彼が家出なんてことをするのもありえないことのように思われた。
「ジュン」
 炒飯をほんの少し食べたきりスプーンを置いてしまった旬に話しかける。大きな黒い瞳がこちらを向いた。薄暗い橙色の灯りに照らされ、いつもよりも輪郭がはっきりしない。
「その、何があったのかは知らないけど。今夜どうする?」
 春名さんさえ良ければ、泊まらせてください、答えた旬は不安げに春名を見上げる。そんな表情を見るのは初めてだった。春名にとって旬はいつだって強くしたたかで揺るぎない存在だったのだ、こんなのは聞いていない。子供のように怯えて自分に縋ろうとする旬は普段の落ち着きの反動のように幼かった。その姿は快くもあり、裏切りのようにも感じられた。
 幸いにも来客用に布団はもう一組用意があったので、泊まらせてやることは出来る。ただ親御さんはどう思うのだろう、たった一人の息子が、それも跡取りがいなくなってしまったら。自分の母親のことを想う。家に帰した方がいいのではないか、そう考えるが目の前で呆けたように座っている旬を見ているときっとそれは正解ではないのだという気がした。少なくとも彼にとっては。だってそうでなければ彼がここにいる訳がない。
「ナツキの家は、駄目なの」
 うすうす答えに気付いているくせに聞いた。
「ナツキは」
 うつむいて、旬は呟く。
「僕のことを考えすぎるから……僕のこと、大切に思ってくれてるから。家に帰そうとしますよ、きっと。その方が僕がしあわせになれるって知ってる。実際、そうなんだ。分かってる。でも、今は」
 違うんだ。
 だから彼はここに来たのだ。何もかも足りていることがすなわち幸福ということではないと、分かってくれると信じて。
 春名は仕方なく頷いた。
「泊まってけよ。それで、その後どうすんだ」
 旬は再び春名を見上げてぼんやりと笑った。媚びるような笑みだった。きっと、無意識に。
「どうするんでしょうね……」
 今は何も考えたくないんです、旬はまたうつむいて呟く。春名はため息をついた。
「あのさ、ジュン。分かってんだよな。お前が言ったんだぞ、泊まっていきたい、何も考えたくない、って」
 たとえ都合良く思われていてもいいと思った。この気持ちに気付かれていて、それを利用されていても。それが全部無意識でも。
 覚悟しとけよ、と春名は言い、旬は静かにそれを見ていた。
20160214
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