きみの世界は | ナノ

きみの世界は

※夏来がかなり存在感ある

 アイロンのあてられたシャツはお手本みたいに真っ白で、ぴんと伸びて少しの乱れもない。その上の灰色のセーターにも毛玉なんて一つも見えない。しかしそれを着ている彼はそんなことは気にも留めずにいる。彼はその価値を知らない。聡くて愚かな少年はまわりにうすい壁を作っている。他人と自分を隔てる高い壁、身分、成績、才能、そうして彼はせまい檻を世界と偽って暮らした。自分を閉じ込め、もう一人の美しい少年を道連れにして。


 ジュン髪伸びたな、きっかけは隼人のなにげない一言だった。
 部室の椅子に座って楽譜を眺める旬の後ろに立って、その頭のあたりで曖昧に手を動かしながら隼人は言った。うっすら橙に染まった陽が黒髪を引き立たせるように照らしている。
「最近全然暇なかったもんな。いつもどこで切ってんの?」
「家の近所ですけど……。そんなに長いですか?」
「うーん、耳のとこだけ切った方がいいかも。俺詳しくないけど」
 隼人は振り返って春名を見やり、目線で招いた。春名が動き出すより先に隣にいた四季がさっと近付き覗き込む。
「言われてみればそうかもしれないっすね。襟につきそう」
 もともとの髪型もあって目立たないが、確かに少し伸びている。春名が近付いて見ていると二人分の視線が刺さった。
「二人が良ければハルナっちに切ってもらったらどうっすかね。うまいって聞いたけど」
「あ、俺切ってもらったけど普通にうまかったよ! シキも切ってもらったら?」
「いやあいくら先輩でもそれはカンベンっす。オシャレは大事っす」
 当人二人を置き去りにして盛り上がる二人に思わず苦笑いして、しかしそれほど嫌でもなかったので呆れた笑顔のまま旬の顔を覗いた。
 やれやれと旬は頭を振って、春名と目を合わせた。
「どうしましょう。目立つようなら、お願いしたいんですが」
「ああ、別にオレもいいよ。鋏持ってるし」
 では、お願いします、旬が言うので春名は櫛と鋏を用意し、隼人たちはビニール袋をかき集めて広げて旬の肩の横で構えた。
 さてと、と旬の後ろに立つ。伸びてはいるが整った毛先を見た瞬間に一瞬訳の分からない不快感に似た思いに襲われた。どうしたんだ、と頭を振って、慌てて気合いを入れ直した。
 指先が震える。鋏を入れる、ただそれだけ、髪を切るだけ、なのになんだか妙に落ち着かなくて、少し伸びた襟足を何度も指で掬った。指先をさらさら零れ落ちるそれは微かに甘い香りがした。
 いっそ思い切りめちゃくちゃに切ってしまおうか、一瞬よぎった考えのあまりの甘美さに驚いた。綺麗に揃えられた先端をこの鋏でこの指先でぎざぎざに切り刻んでしまったらきっと恐ろしく気持ちがいいのだろう。
 誰かが彼に与えたものをこの手で壊してしまいたかった。誰かが彼に与えたことが、与えられることが許せなかった。
 彼が無意識に持たされているもの全部捨てさせたい。ただの高校生になって、それで、オレのものになればいいのに。


 旬の生きる世界は春名のそれとは違いすぎた。煌びやかで華やかで美しくて空虚で無機質で届かない。彼の家を訪ねる、彼と演奏をする、話す、笑う、何をするにも違いはくっきりと浮かび上がってそこにあった。それは春名を苦しめ、しかし旬には見えない。当たり前だ。彼に着せられた豪華で重たい衣装はただまわりとの差を示すものであって旬がそれを認識する必要は無かった。きっちり整えられた服装、髪型、言葉使い、それが押し付けられたものであるなんて彼は気付かない。
 当たり前に全てを与えられる彼が妬ましかった。嫉妬して憐れんで憧れて憎しんでそしてそれがぐちゃぐちゃになって恋心の名前の中に収まってしまった。あまりに醜く歪んだ、だからこそ酷く純粋な恋だった。


「よし、こんなもんかな」
 鋏を置き、手で細かい髪を払いながら春名が言うと、見ていた隼人と四季が拍手をした。彼らの手元のビニールは切り落とされた旬のかけらで黒く染まっている。春名が作ったちいさな暗闇。
 今度ちゃんと切り直してもらえよ、言おうとした言葉はしかし迷った末に飲み込んだ。少しくらい、爪痕を残したっていいだろう。まっすぐな独占欲。
 手鏡を渡して春名の持つそれと合わせ鏡で切り終えた後頭部を旬に見せる。道具が揃っていないせいで完璧には出来なかったが、鏡に映った旬は嬉しそうだった。或いは春名の希望的観測かもしれないが。
 彼は壊されたがっているのかもしれない。気付いていない訳ではなく、抗う術を知らないだけかもしれない。そしてそれが出来るのは。
「うん……ジュン、似合ってる、よ……」
 あらぬ方向に向かいかけた春名の思考を遮ったのはさっきまではしなかったはずの声。
「ナツキッ、気配消して話しかけるなよっ」
「うん……? ごめん……。でも、ずっといたよ」
 胸のあたりを押さえて怒ったように振り向く旬と、首を傾げて応える夏来、さっきまで髪を切っていたという繋がりはあっさり消えた。
 二人だけの世界。違う、世界が二人だけのものなのだ。二人にとって。


 二色きりのせまい世界で、きっと暮らしてきたのだろう。白と黒、白鍵と黒鍵、善いことと悪いこと、夏来と旬。広い世界を見せてやりたかった。その世界を彩って、輝かせて、眩しい光の下に連れ出してやりたかった。檻の中に閉じこもって二人きり暮らす彼らが、外の世界を認める時はいつだろう。遠くないはずだ、いや、そうさせてやる。オレたちと同じ世界で同じ景色を見せてやる。そしていつか輝く場所で告白しよう。きみの世界の一人として。
20160214
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