no title | ナノ

翔→←冬

 あの日は夕方から酷い土砂降りになったのだった。俺たちは事務所の窓から雨で煙る外を見て、帰りまでに止むといいなと言い合った。だけどその頃は梅雨だったしとんでもない雨量だったから、止むわけないと知ってもいた。俺は傘を持ってきていなかったが、差したとしてもどうせ濡れてしまう勢いだった。だから諦めて濡れて帰ろうと思ったのに、ちょうど俺たちが事務所を出るタイミングで綺麗に雨はあがった。ラッキーだと思った。
 あとはほんのちょっとしたことばかりだ。唐揚げ食いたいと思ってたらケータリングにあったり、欲しかったプレミア付きフィギュアが偶然買えたり。些細なことの積み重ねだが、最近なんだか妙にツイている。
 要するにこれが俺の使えるささやかな魔法というわけだ。

□ □ □

 事務所の中にまで蝉の声がうるさく響いてきている。窓から見える空は抜けるように青く申し訳程度に浮かぶ雲も眩しいほど真っ白だ。絵に描いたような夏。今すぐ飛び出して海にでも走っていきたいほど。
 来週一日オフ入れます、とプロデューサーが言う。急な話だ。俺の魔法がかかったんだろうか。俺の魔法はせいぜいちょっと望んだことが現実になるくらいのもので、実際何度も重なってみなきゃただの幸運で済ませられるものばかりだ。妄想じみてはいるが、実感としてありえないくらい叶っているのだから魔法と言う他ない。
「こうも暑いと出掛けるのも大変ですよね」
「そうか?」
「冬馬は……うん、平気そうだよね……」
「馬鹿にして……ないよな……?」
「してないしてない」
 北斗は笑って首を振る。
「分かるよー、冬馬君自体が熱いもんね」
「まあ、それはな」
 褒め言葉と受け取っておく。翔太はにこにこ笑っていて、真意はよく分からない。けど褒められたと思っておく方が健康的だ。
「コンクリートがあっついんだって。山とか海とかは涼しいのかもね」
「山か……」
「え? 冬馬君、山行きたいの?」
 全く興味なさそうに言ったわりに、俺がなんとなく繰り返した言葉に敏感に反応して首を傾げる。真剣に山に行きたいわけでもなかったが、かっこつけて「おう」とか答えた。
「じゃあ僕も! 僕も連れてって」
「え、なんで」
「行きたいからに決まってんじゃん」
 分かんない?って顔をされる。いつの間にか山登りをすることが確定事項みたいになってしまっている。山なんてそんなに詳しくないから、いつだったか聞いた知識を慌てて思い出そうとする。割と穴場で、人が少ない登山道があるとかいう話だ。見つかって騒ぎになるのは面倒だし、確か日帰りできるとも言っていた。それを話したらちょうどいいじゃんって翔太は目を輝かせる。
「北斗は来るか?」
「うーん……保護者が必要かな? 山だし」
「どっちかって言うと北斗君の方が遭難しそうじゃない?」
「いや、そんなに難しいルートとは聞いてねーが」
 日帰りできるくらいだ、大した山ではない。それに俺には魔法があるし、多分危険はないだろうという自信があった。おかしいと思われるだろうから魔法のことは話さないが。二人でも平気と言ったら北斗は小さく肩をすくめて、二人で行っておいでと言った。
「じゃ、当日翔太ん家まで迎えに行くから。絶対起きろよ。あと携帯は充電しとけよ、あと水分と塩分と……」
「はーいお母さん」
「お母さんじゃない」

KQ春旬

 ここはもちろんパラレルワールド。春名と旬の執務室に、突然ジョーカーの四季が魔法で飛び込んで来た。
「大変っす大変大変大変大変大変大変態変態変態変態〜〜!!」
「途中から変態になってますよ。落ち着いてください」
「何が大変なんだよ?」
「露出狂が出たっす」
「それは……変態だな……」

翔→冬
翔←モブ♀

 私は、翔太くんが好きです。ファンレターはそんな一文から始まっていた。封筒を確かめても宛名は315プロ天ヶ瀬冬馬さんへとなっていて、それが間違いなく自分宛であると確認してその綺麗な女性の文字で綴られた手紙を読み進める。
『ライブの終わり、翔太くんが、あなたをどんな目で見つめるか、あなたはきっとご存知ないのでしょう。想像さえ及ばないでしょう。私がどれだけ願ってもその視線を得ることはできないのに。どうか気付いてほしいと思う一方で、絶対に気付かないでいてほしいとも思うのです。それがどんなに価値があるか、知らなければないのと同じだから。』
 だからこれは呪いです。

(この後ライブのアンコール終わりにふっと翔太くんに目をやると目が合って一瞬ぽかんと固まる二人まで見たいんですが……誰か……)

翔→冬

「冬馬君、僕のことで他の誰も知らないことって知ってる?」
 冬馬の家の冬馬のベッドの上で冬馬の枕を抱えて冬馬に話しかける。ローテーブルの前で雑誌をめくっていた本物は顔を上げて首を傾げる。
「え? どういう意味だよ」
「冬馬君しか知らない僕のこと、みたいな」
「あー……ない」
「酷ーい」
 考える様子もなく首を振られて頬を膨らます。そう答えられる予想はしていたが、実際に人の口から聞くと本当にプライバシーなどなくなったような感覚に陥る。もう少しまともに取り合ってほしい。
「ファンならだいたい知ってんだろ、なんでも」
「そうかなぁ」
 翔太の様子が不満げに見えたのか、「分かった分かった」と冬馬はひらひら手を振った。
「じゃ探しておく」
「お願いしまーす」

 それからやたらと視線を感じるようになった。当然それは冬馬のもので、時折思い付いたことを報告してくる。
「すぐ床に落ちるよな」
「母さんなら知ってる」
「意外と前髪短いとか」
「家族なら知ってるし結構下ろしてるよ僕」
「左利き」
「事務所のサイトに書いてあるよ?」
 呻き声を上げて冬馬は両手を上げる。しばらくそうして事務所の天井を仰いでいたが、やがて無言で立ち上がって翔太が座るソファーの後ろに回る。そのまま翔太の髪をかき分け始めたので、ぎょっとしてもの凄い上目遣いで様子を窺った。
「何してんの?」
「つむじ探してる」
「一応言っておくと姉さんも知ってるからね、僕のつむじくらい」
「あーそうか姉さん……」
 冬馬は髪を触る手を止めて腕を組む。なんとなく寂しくなって、どうせならもう少し黙っていれば良かったな、と思う。普段から姉に散々いじられてはいるが、その誰とも違う手つきだった。集中してさっきの感覚を覚えておこうとしている後ろで、冬馬は腕組みしたままぶつぶつ言っている。
「足……足の裏……」
「なんか変質者みたい……」
「うるせ、おまえが言い出したんだぞ」
 冬馬が再び髪を弄び始めたので、今度こそおとなしくされるがままになる。「なんかねえかな、なんか……」とぼやきながらいじり回されているところに北斗が入ってきた。
「おはようございます」
「おー北斗、おまえはなんか翔太のこと知ってるか?」
「え、何?」
 冬馬の説明を聞いて北斗は頷く。
「なるほどね。簡単なことだよ。伊集院北斗といる時の翔太のことは俺しか知らないはずだろ? 冬馬もね」
「……なんかずるくねえ?」
「だって事実じゃないか」
「いやもっとこうさあ……俺だけが気付けることがいい」
「それじゃ俺には教えられないね。頑張って」
 北斗は二人にウインクしてみせる。翔太の隣に並んで腰掛け、「良かったね」とこっそり耳打ちしてくる。熱心に髪をいじり続けている冬馬に気取られないよう曖昧に唸る。確かにさっきの言葉が聞けたのは北斗の手柄かもしれないが、かといってそれに感謝するのも違う気がする。北斗は明るく笑って分かりづらい返事を受け流す。
「じゃあ翔太は? 冬馬のこと何か?」
「お、そういやそうだな」
「えー……教えてあげない」
「なんだよそれ!」
「痛い痛い痛い引っ張ってる!」
「あ、悪い」
「知らないんじゃなくて、教えてくれないんだ?」
「うん」
「ホントかよ?」
 疑い深く髪を引いて尋ねてくる冬馬に、さあどうだろうね、と適当に返す。

Jupiter(前載せてたのから一部抜粋)

「こいつ重くなったな」
「寝る子は育つって言うしね」
「なんっかうぜえな……」
(中略)
「オイ、翔太そろそろ起きろって」
「むにゃ……」
「もう着くぞ」
「もう食べられないよー……」
「……おまえ起きてるな?」
 目を瞑ったまま、翔太はにやにや笑う。冬馬がその頬をつねると目を開けてぎゃあぎゃあ言い出したので言い返して掴みかかって応戦されてと暴れると車が揺れて運転中のプロデューサーに怒られた。一応謝ったけれど、絶対に翔太の方が悪いと思う。

翔太と九十九

「だって僕が冬馬君を好きになったの、アイドルになる前だもん」
 だからいいの。ただの僕が好きになっただけだから。少年はそう言って軽やかに笑う。きっともう彼の中で何度も考えた末に結論が定まった問題なのだろう。その割り切り方は羨ましくもあり不快でもあった。
「……ただの翔太さん、ね」
 嫌味のように言っても相手の涼しげな表情は崩れない。
「そう。どこにでもいる普通のとってもかわいい翔太君」
「……どこにでもはいないだろう」
 下手くそな苦笑を浮かべてそう返すのがやっとだった。普通の少年が恋していいのなら、ではどこにもいなかったゴーストには許されるのだろうか?

翔冬

(何だか忘れたけど仕事中に逃走する翔太)
 風で前髪がばさばさして酷く邪魔だった。押さえようと思ってポケットを探るのにヘアバンドは持ってきていなかった。舌打ちする。身軽さが仇になるなんて。だけど御手洗翔太君を探す人から逃げるにはむしろ好都合なのかもしれなかった。ただ一人にだけ見つけてもらえればそれでいいのだから。
 聞き慣れた足音がした。振り返って、僕は顔を歪める。笑った顔になっているか自信は全然なかった。
「……僕、今、北斗君じゃなければ良かったって思っちゃった」
「ああ、俺も、お前を迎えに行くのはあいつがいいと思う」
 北斗君はちょっと肩をすくめてあっさり言った。その言い方があまりに彼に似ていたものだから、僕らは顔を見合わせて笑った。

四季冬美中心HJ

 四季が増えた。
 季節がひとつ加わったとかいう意味じゃない。俺たちの後輩である伊瀬谷四季、彼が増えたのだ。物理的に。
 休日の部活だった。最初は俺、次に旬と夏来、それから春名、と順番に部室にメンバーが集まっていき、そして一番最後に彼が来た。というか彼らが。四季と四季は二人揃って入ってきて、ぴったり揃った声で言った。「オレが最後っすか? 練習始めましょ!」
 俺たちが唖然として見ていたら二人は諦めたように息を吐いた。「こいつのことは無視していいっすから」
「いやいやいや……え? ドッキリ?」
 代表して俺が訊いたら二人は首を振った。
「知らないけどなんかいたんすよ。オレが本物っす」
「違うっすオレが本物。こいつは偽物っす」
「偽物のくせに嘘つかないで欲しいっすねえ」
「そっくりお返ししますう」
 四季と四季は俺たちの方を向いたままお互いのことを見もせずちくちく刺しあっている。嫌いなんだ、と思った。四季はもう一人の自分のことが。四季が誰かを嫌うことがあるなんて思いもしなかった、と俺は増えたことよりそっちの方がびっくりした。
「説明してください」
 旬がいらいらしながら言うと二人はシュンとなった。二人とも全く同じ人間に見える。いつもと同じ四季だ。二人いるけど。事務所にそっくりな双子がいるからか、そんなに違和感はない。
「なんか知らない間にこいつがいたんす! 歩いてるときに!」
「違うっす! 先にオレがいてこいつが急に出てきたの!」
 指差しあって旬に訴える四季二人。旬がため息を吐くとビクッとするところも二人とも揃っていて、いつもと同じだ。夏来がなだめるように旬の背中をさすっている。俺は首を傾げた。
「こういうのって、病院?」
「僕ら全員でですか?」
「集団幻覚? みたいなやつなかったっけ」
「ありますけど、それとは違うんじゃないかと」
 旬は俺を部室の隅へと引っ張った。夏来と春名がそれぞれ四季の相手をしている。
「シキ、嫌いなのかな。シキのこと」
 呟いた言葉はおかしな文章になったけど、旬はあっさり頷いた。そりゃそうです、と。
「アイデンティティの問題です。彼は今自分の唯一性が脅かされているんですから、好きになれるわけないでしょう。これは別に四季くんだけじゃなく、ハヤトでも僕でもそうなると思いますよ」
「そうなのかあ」
 これは俺たちの悪癖というか、とにかく俺たちは旬の言うことを鵜呑みにしてしまうところがある。だから俺は今回も頷いた。

翔冬

「……でよ」
「え?」
「大人になんてならないでよ。僕とずっと子供のままでいよう? ねえ」
「……そういうワケにはいかないだろ」
「なんで? なんで大人にならなきゃいけないの?」
「なんでって……そういうモンだろ、ずっと子供のままなんか無理なんだから」
「冬馬君でも無理とか言うんだ」
「翔太」

翔冬

「北斗君ってたくさん写真撮るよねー。見せてよ!」
「いいよ。この辺りかな。ほら、この間博物館に行ったときだ」
 北斗君はスマートフォンを操作して、僕の方に画面を傾けてくれる。顔を寄せて覗き込んで、北斗君の指に合わせてめくられていく写真を眺める。……?
「……全部一緒に見えるんだけど」
「ちょっとずつ違うよ。ほら、こうやって動かすと動いてるように見えるだろ?」
「えー……」
 連写したためにコマ撮りみたいになっている。北斗君が素早く指を動かすと、画面の中の僕と冬馬君は少しずつその距離を縮めた。
「一枚だけ残して消せばいいのに」
「そうなんだけどね。もったいなくて」
「ふーん? 分かんないなー」

パロHJ

 ここはもちろんパラレルワールド。男だが理由あって女王の位についているジュンは今日も書類の山と戦っていた。ひとつひとつの書類に目を通し、分からないものは資料を当たり、としているとかなり手間がかかる。それでも生来の真面目さゆえに確認は怠らず、王家の判を次々と押していった。
「ラーメン屋の新設。許可。カフェの増築。許可。ナナシ中だより。なんで。夏祭りの開催……もうそんな時期か。許可。ニホンゴ……オツエテ……なんだこれ?」
 途中途中に紛れ込んでいる回覧板やら学校便りやらにどう反応すべきか悩んでいると、扉が開き、ナツキが入ってきた。彼はジュンの幼なじみかつお付きの騎士でもあり、自由に彼の仕事部屋に入ることが許されていた。
「ジュン……お疲れさま。無理、しすぎないで」
「ああ、ありがとう。今日の分はそろそろ終わりそう」
「そう……」
 ジュンは伸びをして、書類を見せる。
「そろそろ夏祭りなんだって。今年はステージとかあるのかなあ」
「そっか……楽しみだね」

九十九中心旗

 君はビジュアル担当だから、と言われる度不安になる。お前は歌もダンスも足りていない、そう言われているようで。

 休憩にします、ダンスレッスンの講師が言い、一希はそっと息を吐いた。そろそろ本番のライブも近く、稽古も熱が入っている。何曲も続けて踊るレッスンは体に堪えたが、しかしライブはもっと長いのだ。これだけでばてているようでは体が保たない。
 肩で息をしながら隣を見やると、二人の仲間が談笑している。息を弾ませてはいるが、笑っている。二人が立ったままでいるので、一希も座るわけにはいかず膝に手をついて息を整えた。
「じゃあ、休憩中だけど簡単に気になったところ言います。まず大吾くん……」
 講師の言葉に真剣な表情で頷く大吾を見るともなしに見つめた。彼はダンスが上手い。もともとの身体能力が高いのか動きは軽やかで、体力もあり、なによりとても楽しそうに踊る。集中すると自然無表情になってしまう一希にすればそれは尊崇すべきことに思えた。
 その隣に立ち、ハンドタオルで汗を拭っている涼だって、けしてダンスが下手な訳ではなくむしろ慣れている分動作がこなれていて綺麗だ。おまけに歌も上手い。昔からのファンもたくさんいて、客席を煽るのもうまければファンサービスだって完璧だ。
 おれだけだ、と思う。おれには何があるんだろう。歌もダンスも、上手い訳ではなく、練習中だって気を遣わせてばかりで役に立てない。おれは彼らに何か返せているのだろうか。邪魔ではないだろうか。おれは、おれは、
「次、一希くん」
 はっとして顔をあげた。講師が歩み寄ってくるところだった。
 講師の言葉をいつものメモ帳に書き取っていく。このライブの稽古だけでもかなりの量になってしまった。書き取りながら、以前も同じことを言われていたと思い目を走らせると、確かにほとんど同じことが見慣れた文字で書かれていた。覚えていない訳ではないのだ、体がついてこないだけで。もちろんそれが甘えだと分かっている。
 駄目出しを終えた講師がぱんぱんと手を叩いた。レッスン再開。メモ帳をポケットに押し込み、二人の隣に並んだ。
 イントロと共に動き出す。大吾が前に飛び出す。入れ替わって、涼が前へ、ソロパート。そして次が一希の番、疲れて重くなった足がもつれた。
 派手に転んだ一希の元へ二人が駆け寄った。音楽が止まる。
「大丈夫? 一希さん」
「先生、疲れたか?」
 顔を覗き込む二人に頭だけ頷いた。
 二人が立ち上がって位置に戻っていく。座り込んで俯いたまま、かすれた声で言った「ごめんなさい」は誰にも届かず消えた。
 なんだ。自嘲気味に唇が歪んだ。いつも動かない顔はこんな表情ばかり簡単に作ってしまう。
 自分の想いを、自分の言葉で。誰にも届いていない。変わっていないじゃないか。

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