バッドエンドエピローグ | ナノ

バッドエンドエピローグ

 これは神様のお話だ。
 神話にはならないけれど歌はあり、星座はなくても星である、そういう神様のお話。

 明日、冬馬が学校に来るらしいよ。どこでどう情報を仕入れてくるのか、昼休みの頃にはその噂は密やかに、でも確実に教室中に広まっていた。もしかしたらクラスも学年も飛び越えて、学校中に。
 冬馬くんは私たちのクラスメイトだ。多忙な人気アイドルであるためにめったに学校には来ないし、来ても午前だけみたいなことが多い。だから冬馬くんが学校に来るのはそれだけで十分ニュースになった。あの天ヶ瀬冬馬とタダで一緒に過ごせるなんて幸運なんてレベルじゃない。
 とはいえ私と冬馬くんに接点なんて無い。席も遠いし。冬馬くんに話しかけに行くのはクラスの中でも目立つ子たちばかりだ。キラキラしたクラスの中心メンバー、みたいな。誰も口には出さないけれど、冬馬くんに話しかけるのには見えない資格みたいなものが必要で、そして私はそれを持っていなかった。
 それでも私はこっそり浮かれていた。冬馬くんが学校に来る!
 多分周りの女子のほとんどがそうであるように、私も冬馬くんのことが好きだった。恋をしていた。冬馬くんはとにかくカッコいいのだ。テレビの中でも教室でこっそり眺める横顔も、いつでも、全部。クラスの他のアホ男子とは比べものにならない。奇跡みたいにカッコいい男の子が、現実の、私の生活に現れる。少女漫画みたいだ。私は主人公になりたい。
 ドキドキした気持ちを抱えたまま家に帰り、課題は後回しにして制服にアイロンをかけた。間違っても皺のよったスカートなんて履けない。それから爪も磨いて、無駄なあがきとは知りながら太ももに効くエクササイズをして、普段の倍の時間をかけてお風呂に入った。ああ、馬鹿みたい。こんなことしたって冬馬くんが振り向いてくれるわけなんてないのにね。分かっていたけど、でもはしゃぐのは楽しかった。
 翌朝、新しい靴下をおろして家を出た。スカートはいつもより一回多く折った。髪も念入りに櫛を通した。たとえ通学中にトラックに跳ねられようが何がなんでも学校に行ってやる、そういう気持ちだった。世界で一番無茶で強いのは女子高生なんじゃないかと思うときがあるけど、その上私には「恋する」という言葉がくっついている。無敵だった。
 教室の中は普段より華やいでいるようだった。気のせいかいい匂いがする。それが教室の真ん中にいる冬馬くんのものなのかその周りで笑う女の子たちのものなのかはよく分からなかったけど。私は自分のことは棚に上げて彼女たちを嫌悪した。媚びていていやらしい。馬鹿みたい。
 その日の授業は相変わらず退屈だったけれど、後ろに冬馬くんが座っている、それだけでくすくす笑いたくなるようなくすぐったい時間に変わった。ほんの少しでもあの子可愛いなって思ってくれたらいいのにって何回も無意味に髪を触った。チャイムが一回鳴る度に、楽しい一日が終わりに近付いていく。最後の六限は体育だった。男子が一人サボった他はいつも通りに、男女に別れての授業だ。せっかく冬馬くんがいるのに。休憩中にこっそり探したら冬馬くんは上着を腰に巻いて楽しそうにボールを追いかけていた。ダッサい学校指定のジャージさえカッコよく見えた。
 最後のチャイムが鳴る。一日が終わる。掃除当番だったから慌てて着替えて教室に戻ったけど、冬馬くんはさっさと帰ってしまったようだった。今日もカッコよかった、と私は床を掃きながら思い返す。そういえば冬馬くんって掃除のときちゃんと角まで掃く。そんなところまでカッコいい。そうやってぼうっとしてたせいかじゃんけんで負けたので、ゴミ捨てに行かされた。大きなゴミ袋を校舎裏のゴミ捨て場まで持っていく。ひと気のないそこでひと息ついていると、生け垣の向こうから冬馬くんの声がした。
 分厚い植物に遮られて姿は見えない。その向こうは学校の敷地外の道路だ。何を言っているのか聞き取りたくて私は生け垣に身体を寄せた。
「──かよ」
「ひっどいなあ、冬馬君! 迎えに来てあげたのに」
 軽やかな声には覚えがあった。冬馬くんと同じグループの翔太くんだ。仲良いんだ、と私は一人でこっそり笑う。
「頼んでねえよ」
 言葉の割に嬉しそうな声だった。
「冬馬君はどうだった? 学校。楽しかった?」
「まあ……フツー。おまえは?」
「フツーだよ」
「そっか」
 これ以上盗み聞きしているのは悪いかなと私は気付かれないようにじりじり後ずさり始める。
「おまえも十分親みたいなこと訊くよな」
 冬馬くんがぼやくと、翔太くんはへへって笑った。
「親みたいっていうか、彼氏のつもりだったんだけど?」
「ばっ……変なこと言うな!」
「声大きいよ冬馬君」
 冬馬くんが叫ぶので思わず私まで辺りを窺ってしまった。生け垣のこちら側には私しかいない。向こうはどうなのだろう。
「……誰もいないね」
「言っとくが、外では絶対何もしねえからな」
「分かってるって」
 そして二人は遠ざかっていく。私は言葉の意味を必死に考えていた。考えなくても察していたけど。なんたって恋する女子高生なのだ、好きな人のことくらい分からなくてどうする。それでも考えるふりは必要だった。
 そっか、そうなんだ。冬馬くんはあの子を選んだのか。同性愛者というやつだろうか。でも多分冬馬くんは性別とか関係なしに、彼が良かったから彼を選んだんだろう。それが分かるくらいには、私は冬馬くんのことが好きだ。
 吐き気がした。おろしたてのまだ馴染まない靴下も普段より短いスカートも光るまで磨いた爪も何もかもが気持ち悪くて仕方なかった。私はしゃがみこんで、しばらく心臓を抑えていた。涙は全然出なかった。

 よろよろしながら家に帰ってもまだ気分は晴れなかった。失恋というにはあまりに滑稽だ。だって私は何もしなかった。テレビの中のスターに憧れて、それがたまたまクラスメイトで、そして都合良く恋していただけだ。
 スマートフォンを取り出す。検索窓に『天ヶ瀬冬馬 スキャンダル』と打ち込んでみる。出てきた一番上のウェブページを適当に開くと、『今回目撃された伊集院北斗は、天ヶ瀬冬馬・御手洗翔太とユニットを組んでおり──』というような内容だった。戻って次々開いてみても同じだった。北斗くん撮られすぎでしょ。これでも氷山の一角って感じがするけど。コメントも『また北斗か』みたいな感じで、なんだかんだ許されてるみたいだった。
 冬馬くんと翔太くんのことを知っているのは私しかいない。
 今までも、クラスメイトという立場から冬馬くんの意外な面なんかを知ることはあった。それは私に優越感をもたらしてくれた。だけどこれはそういうのとは違う。こんな主役望んでない。冬馬くんと翔太くんは付き合ってる! 叫び出したくなるのを必死に堪える。怖くて悲しくて悔しくて恐ろしくてぐちゃぐちゃになって爆発しそうだった。
 今日の冬馬くんを思い出す。周りを人に囲まれて冷めた目をしていた彼。授業が終わるなり帰っていった彼。そして翔太くんへの嬉しそうな声も。──思い返すと腹立たしくなってきた。私だって普段の学校なんて好きじゃないけど、冬馬くんがそう思うのは許せなかった。私たちは冬馬くんのことをあんなに楽しみにしていたのに。チャイムのひとつさえ鳴らないでと願っていたのに。彼にとってあのチャイムは忌避すべきものなんかじゃなく、学校から出してくれる救いだったんだ。
 要するにいつもの私たちだった。退屈な授業が一秒でも早く終われと焦れるのと何も変わらない。冬馬くんも普通の学生だったってこと。普通に授業を受けて、普通に薄っぺらな友情を築いて、普通に恋をする高校生。
 ため息をついてみる。冬馬くんのことも、Jupiterのことも、嫌いになんてなれなかった。きっとこれからも応援するんだろう。CDを買って、とんでもない倍率のライブに応募して、テレビに出れば欠かさず録画する、そういう今まで通りのファン活動を続けるんだろう。
 冬馬くんに何を求めていたのか今となってはよく分からない。彼が普通の人間だって別に構わない。神様じゃなくたって歌は歌えるしスターになれる。誰と好き合おうがアイドルはアイドルだ。今までと変わらない。変わったのは私の方だ。もう彼に恋はできない。私の神様ではなくなってしまった。
 これは神様だった、一人の少年のお話。
20180222
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