novel41 | ナノ

※血が出る

 水曜日だ。ナツキは朝から青い顔をしていた。普段から血色がいいとは言い難いが、毎週水曜日はいつも以上に血の気が失せた顔をしている。
 放課後、部室で練習をする頃になるとますます酷くなった。細かく震える手でベースを抱えながら、不安げに僕の方を窺ってくる。僕は頷いてみせる。大丈夫、あと少しの我慢だから。
 ナツキの様子を気遣ってか、ハヤトがいつもより早く解散を告げた。
「今日は帰ってさ、俺ももうちょっと歌詞練りたいんだ。シキ、ごめん」
「全然いいっす! メガ楽しみっす」
「歌詞ねぇとシキは練習できねえもんなー。どうする? ジュンかナツキか、残る?」
「あ……、俺……は」
「すみません、僕とナツキは先に帰らせてもらいます」
 ぐずぐずするナツキの袖を引っ張る。みんなは快く手を振ってくれた。お大事に、なんて言葉も添えて。ナツキの体調不良は完全にバレている。もう少し気を遣った方がいいと思うのだけど、こればかりは本人が隠せないほど体調が悪いのなら責められることではない。
 学校を出て、早足で駅に向かう。ナツキに無理をさせたくはないけど、早く帰った方がいいのも確かだから焦ってしまう。駅に着いたときちょうどホームに入ってきた電車に乗って、偶然空いていた席に座らせる。
「ジュン……」
「大丈夫か?」
「うん……」
 見上げてくるナツキは気分の悪そうな顔をしている。可哀想だと思う。早く助けてあげたい。そしてそれが出来るのは僕だけだ。
 電車から降りて、僕の家に向かう。ナツキの家は突然部屋に彼のお母さんや妹さんが入ってくることがあるから危険だ。その点僕の部屋ならそんな心配はない。お手伝いさんはノックしてくれるし、言っておけば入ってくることはない。
 一応、ただいま帰りました、と家の奥に声を掛けて、二階の部屋へ向かう。慌ただしく荷物を置いて、ブレザーを脱いでシャツのボタンを外す。ベッドに腰掛けたナツキの前に、首筋を晒した。
「ごめん、ジュン、ごめんね……」
 ナツキは震える声で言って、僕の首筋の絆創膏を剥がした。一週間前にもつけた傷痕に、ナツキはゆっくり爪を立てる。塞がりかけの傷口がまた開いてちりちり痛む。ナツキは僕の首に顔を寄せて、傷を舐めた。
「……大丈夫?」
「……うん。ジュン、ごめん」
「良いって。絆創膏貼っておいて」
「うん……」
 ナツキはウエットティッシュで傷口を拭って、それから絆創膏を貼ってくれた。もう何年も、僕の首には絆創膏が貼ってある。痣があるということにしている。実はわざわざ毎週傷をつけているなんて誰も思わないだろう。
 ナツキは吸血鬼だ。
 正確には純粋な吸血鬼ではない。微かにその名残があるというだけだ。毎週僕の血を舐めて、それで十分らしい。
 初めて気付いたのはいつだっただろう。僕がピアノを弾かなくなった頃だろうか。まだ幼い頃はごくたまに会うだけだったし、そのときに少し血を舐めさせるだけで十分だったのに、最近では毎週だ。身体も大きくなったし運動する機会も仕事の関係で増えたからか、必要量が増えている。そのうち毎日になるのかもしれない。
 ナツキにだったら、全部の血を吸われたっていいと、僕は本気で思っている。

 夏だ。ナツキは夏に弱い。暑いのも眩しいのも苦手だと言っているが、要するに太陽が苦手なのだろうと僕は思っている。吸血鬼というのはそういう生き物だから、ナツキにもその片鱗があるんだろう。
 ナツキが倒れた。
 珍しいことではない。夏になるとナツキはよく貧血を起こしてしまうから。だから僕はその知らせを聞いても慌てなかった。今日の部活は休みます、とハヤトにメールを送っただけだ。ハヤトも話を聞いているのか、分かった、お大事にって返事をくれた。
 放課後、急いでナツキの家に向かう。ご家族へのご挨拶もそこそこに部屋に向かう。そっとしておいてと言われるかと思ったが言われなかった。直接ではないとはいえ雇用関係にあるからかもしれない。都合が良かった。
「起きてるか……?」
 ベッドに横たわるナツキはびっくりするくらい青白い。それこそお話の中の吸血鬼みたいだ。整った顔もそれらしく見せる。
「あ……、ジュン……」
 ナツキはうっすら目を開けた。ゆっくり身体を起こす。僕はシャツのボタンを外す。手探りで絆創膏を剥がして、起き上がったナツキの前に首を突き出した。
「ごめんね……」
 謝らなくてもいいのに、ナツキはいつもごめんと言う。その度僕は良いってと返す。
「なあ、ナツキ」
 血を舐めた後、僕の首筋を拭うナツキに、シーツを見つめたまま話しかける。
「もっと……必要なら、飲んでいいんだぞ。好きなだけ、全部でも」
 ナツキが息をのむ音がはっきり聞こえた。顔を見なくてもナツキが青くなっていることが分かった。
「そんなの、出来ないよ……!」
 引きつった声でナツキが叫ぶ。分かってるよ、と僕は首を引っ込めて、シャツを着直す。
「ジュン……俺、本当に、そんなことしないから……」
「分かってるって。言ってみただけ」
 ナツキがそれを拒むことは分かっていた。だけど僕は本気だった。初めからだ。最初に知ったときからずっと、彼の為なら死んだっていいと思ってきた。ナツキは僕の血しか飲めないし、彼を救えるのは僕だけだ。
「じゃあ、僕帰るから。お大事に。ハヤトもそう言ってた」
「うん、ありがとう……。ハヤトにも……」
「うん。じゃあ」
 ナツキに手を振って、僕は彼の家を出た。

□ □ □

 ジュンが出て行ったドアを眺めて、俺はベッドに身体を倒した。口の中が鉄臭い。だけどうがいをするのはジュンに失礼な気がするから、我慢する。
 俺は吸血鬼なんかじゃない。ジュンがそう思い込んでいるだけだ。
 きっかけは多分、あの事故なんだろう。多量の出血をしたジュンは、そのことと俺を助けたことを結びつけて記憶したとか、そんな感じだろうか。正直俺にもよく分からない。
 あのときのことを思い出すのは酷い苦痛だ。本当はジュンの血なんてもう一滴だって見たくない。だけど俺がジュンの血を舐めることで彼が満足するのならそれでいい。ほんの一滴の血で彼の安定が保たれるなら。ジュンは少しずつおかしくなっている。これ以上血を流すのは彼の健康にも俺の精神にも良くない。でももし彼が、全部の血を俺に吸われたいと頼んできたら、俺はきっとそうするだろう。
 結局のところ俺はジュンに頼られるのが嬉しいのだ。俺を救うという名目で俺を必要とするジュンが愛おしい。だから俺はジュンの血を舐め続ける。
 いつか俺の血がそっくりジュンの血になったら、なんてことを夢見る。ありえないと分かっていても。飲み続けて、少しずつ置き換わっていって、同じ血が流れるようになる。
 想像するだけで、幸福なんだろうと分かった。おかしくなっているのはきっと俺も同じだ。お揃いであることが嬉しかった。
20180212
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -