You had me at “HELLO!!” | ナノ

You had me at “HELLO!!”

※涼が女性と結婚する 

 かつて誰かのために文章を書いていたおれはもう死んだ。一人の少年がおれを生まれ変わらせた。あのきらきらした歌で以て、彼は新しい世界をおれに示した。当然彼が見ていたのはおれ一人なんかではなかったが、それで良かった。
 彼は全ての人々に平等なのだと、信じていた。そんな彼のことをおれは愛していた。
 例え彼が誰かと結ばれようと。

 もう小説は書かないと決めたけれど、何かを表現するのにおれには文章が一番合っているらしい。せっかく歌という新たな手段を得たと言うのに、それは少しだけ悔しい。
 自室の机の、一番上の引き出し。鍵のかかるそこに、おれが書いた文章がしまってある。小説ではない。単なる想いの連なりであり、それは間違いなく恋文とかラブレターと呼ばれるものだ。十九にもなって初めて書いて、それから何年もかけて増え続けている。
 宛先は秋月涼という少年、あるいは偶像だ。どちらでも構わない。どうせ届けることなどないし、そしてどちらだとしても大きな違いはないのだから。秋月涼はおれの光で、そしてみんなの希望で、夢を与える存在で、それさえあれば名称はなんだっていい。涼は涼だ。
 秋月涼におれが抱く感情を、一言で表すのはあまりに難しい。だから文章にする。感謝しているとか誇りに思うとか愛しいとか、それらしい言葉をいくら連ねてもどうしても違うような気がして、だから正しく表そうと紙束はどんどん増えていく。渡すつもりもない恋文を何通も何通も書いては弄り回し仕舞い込んで、なんて愚かしいと思わないわけでもないが、これでいいんだ。涼を傷つけたくはないから。涼は同性から向けられる好意を嫌がっているようだし、そもそも数年前からとある女性と交際している。これはプロデューサーを含めたごく僅かな人間しか知らないことだ。ファンに誠実でありたいと願う涼は公表を望んだが、周りが許さなかった。二つの事務所に所属する身であり影響が大きいこと、過去に大きな発表を行い世間を騒がせた経験があること、大きくこの二つが理由だ。
 だがそれももう終わる。涼は結婚する。
「無理に祝福してほしいとは思いません。批判も受け入れます。僕は、これを隠すべきだとは思いたくありません」
 両事務所の関係者たちの前で、涼はきっぱりと、公表する決意を示した。反対する者はいなかった。涼がずっと、秘密を抱えることを気に病んでいたのをみんな知っていたから。そして止めても聞かないだろうことも分かっていたから。しんと静まり返った会議室で、おれは真っ先に拍手をした。すぐにそれは広まり、少ない人数ではあったが部屋の中は拍手の音に包まれた。
 涼の決断を、傲慢と言う者もいるかもしれない。アイドルなのだから隠し通すべきと言う者もいるかもしれない。だがこれこそが秋月涼だとおれは思った。おれが救われたあの日の姿がまたここにあるのだと。それが嬉しかった。
 秋月涼は確かにあの場所にいた。

 涼の直筆メッセージを各テレビ局などに送ると、想像通り翌朝から一大ニュースとなっていた。鳴り止まない電話、事務所前に押し寄せる報道陣の対応に追われつつインターネットの反応を見ると、おおよそ好意的なものばかりだった。あの告白を経て、秋月涼は想像以上に人々から愛されていた。
 そして今日が、いよいよ結婚式の当日だった。
 「隠し事はしない」という涼のスタンスのもと、会場には大勢の記者たちが集っている。もちろん両事務所の仲間たちや新郎新婦の親族もいる。かなり大きなパーティーだ。
 式は滞りなく進んだ。おれと大吾、そして876プロのアイドルたちは、友人代表としてスピーチをした。それから社長たちも。かなり時間を取ったが個性的な人ばかりで、飽きることはなかったんじゃないだろうか。
 そしてお色直しの後、涼はステージに立った。
 何をするのかは聞かされていなかった。彼一人で考えたサプライズだろう。だが何をするのか聞かずともはっきり分かった。分からないはずがない。おれがあの日を忘れるはずがない。
「聴いてください」
 あの日とおなじ目で、涼は言った。きらきらしたイントロが流れだす。あの日と同じ歌を、あの日より低くなった声で、涼は歌った。
 唐突に気付いた。あの日も涼は、こうして誰か一人のために歌っていたのだと。当然それはおれではない。だがおれは救われた。誰かのための歌で、全く関係のない人間を救うことができるのか。それは涼だから、それとも、あるいは、おれも──
「……ありがとうございましたっ」
 歌い終わって、涼は照れくさそうに笑った。真っ白なタキシードが目に眩しかった。どんな衣装より彼に似合うと思ってしまって、それが少し悔しかった。

 家に帰ってすぐ、庭で焚き火をした。キャンプで使う焚き火台で、ちょうどいい大きさを保って。
 ぱちぱち音をたてて炎が燃える。火の粉が弾ける。おれは傍らの紙束を持ち上げた。一番上の引き出しからずいぶんと久し振りに取り出された、おれの恋心。
 そっと焚き火に手紙を翳すと、すぐに燃えうつって炎は白い紙を赤と黒に染めていく。指先に達する前に落とすと手紙だったものはあっという間に炎に飲まれて消えた。
 そうやって何枚も何枚も燃やした。よくここまで書いたものだと我ながら思う。途中で面倒になって残りを丸ごと火にくべた。塊は一瞬炎を消しかけたが、やがて逆に勢いを増す燃料になった。
 大きくなった焚き火をぼんやり眺め、ふと横を見ると貰ってきた引き出物が紙袋に入ったまま置いてあった。涼の笑顔を思い出す。幸せそのものみたいだった彼ら。一片の曇りもなく幸福であり、そしてそうあることを望まれた二人。
 燃やしてしまおうと思った。くだらない、子供みたいな嫌がらせだ。嫌がらせにもならないか。ただのおれのわがままだ。おれだって、涼を愛していたんだから、これくらいいいだろう。誰にともなく弁解し、引き出物の包みを開く。包装紙を破くと出てきたのは銀色に光るやかんだった。
 とても燃えそうにない、新品のやかんを見ていると笑えてきた。笑いながら少し泣いた。彼は呪うことすら許してくれない。完璧に祝福された二人。敵うはずがなかった。降参だった。
 炎の中で手紙が燃えている。灰が風にさらわれて薄く舞っている。かつての恋はもう二度と戻ることはなかった。
 これが終わったら。おれは考える。小説を書こう。もう昨日までのおれは死んでしまったから。新しい始まりに相応しい、うんと明るい話を書こう。新しい世界でおれは生きていく。
 あなたがくれた、素晴らしい世界で。
20180211
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -