トリガーハッピーエンド | ナノ

トリガーハッピーエンド

※欠損、流血

「それじゃあ、俺は一度戻るが……お前は怪我人なんだ、おとなしく療養に励め」

 斎樹が去った病室はしんと静かだった。ご丁寧にも彼は通信機器や書類の類を持ち込むのを禁じていったようで、病室にはほとんど何もない。彼の言い残した言葉通り、じっとしている他になかった。斎樹がいた頃には眩しいほどだった西陽も既に消え、紫色の空が窓から見えていた。
 頼城の左腕は石膏で固められ器具で吊るされている。数時間前に一度完全に切断されたはずの腕はどうやら元通りに繋げられたらしい。目覚めた後に受けた医者の説明を思い出す。頼城の両親は都合が付かず、術後説明には指揮官と神ヶ原となぜか斎樹が付き添っていた。
 任務中の事故だったから、大人たちは責任を感じているようだった。医師が去った後、彼らが深く頭を下げるのに、頼城は頼城紫暮として正しい反応を返した。なに、気にすることはない、君たちに責任はない。彼らは発生した事故についての対応に追われているようで、最低限の伝達だけで帰らせた。後には斎樹だけが残り、やがて彼も立ち去った。
 薄暗い病室には頼城だけが取り残されていた。清潔な消毒薬の匂いは人の気配をあっという間に消し去ってしまう。ベッドサイドにあるだろう明かりのスイッチを探すのも億劫で窓の外を眺める。日が落ちてさっきまで紫色だった空は夜の漆黒に飲み込まれようとしている。室内が暗くて助かったと思った。窓に自分の姿が映っていたら、きっと酷い顔をしているに違いないから。
 疲れていた。手術のせいでも医師の説明のせいでも気丈に振る舞ってみせたせいでもなく。腕が切り離され無様に崩れ落ちた頼城に駆け寄ってくる仲間たちの表情、驚愕と焦燥と不安と恐怖とそれから憐憫。どれも頼城紫暮には相応しくなかった。頼城紫暮はだからそのとき何か言わなければならなかったのだ。彼らを励まし安心させる希望に満ちた言葉を。
 頼城は何も言えなかった。幼馴染が止血をし、周囲に指示を出すのを遠く聞いていただけだった。片目の後輩が青い顔をしているのに気付いていたのに頼城は微笑みかけることすらできなかった。そしてそのまま気を失った。
 ダサかったな。呟いてみた言葉は想定よりずっと心細い響きを伴って病室に溶けた。
 しんと静まった病室に、出入口のスライドドアが開けられる低い音がやけに大きく響いた。顔を向ける。窓からの僅かな光も届かない暗がりからぬるりと影が滑り出てくる。きっと死神もこのようにして訪れるのだろうと脈絡のない連想をした。真っ黒な学生服を羽織った男は闇の延長のようにしてそこに立っていた。
「矢後勇成──」
「起きてんのかよ」
 矢後は面倒だと言うようにうんざりした声を出す。かっと頭に血が上るのが分かった。いちいち癇に触る男だ、だいたい誰のせいで俺は、頼城紫暮は今こうしていると思っている。
 矢後こそ頼城の左腕を胴体から分離させた張本人だった。大型イーターを凪払うついでにそのまま頼城の腕も引っ掛けて吹っ飛ばしていったのだ。故意ではないことは愕然とした表情で分かったが、だからといって傷が軽くなるわけでもない。
 非難の言葉を浴びせようと頼城紫暮は口を開くが、言葉は途中でつっかえる。矢後が何かを投げ寄越したので。軽い音でベッドの上に着地したそれは矢後のイメージとかけ離れあまりに小さくか細かった。
 薔薇だ。ビニールで巻かれリボンまで掛けられている。適当に握って持ってきたのか包装が皺になってリボンがほどけかかっているところも、見舞いの品としては微妙な選択も、確かに世界一嫌いな男が頼城のためにわざわざ用意したことを証明していた。
 理解の範囲を越えた出来事に、頼城の頭は完全に停止してしまう。彼は顔を上げてただ暗がりに立つ矢後の顔を眺めた。ちょうど左の腕が制御を離れたときと同じように。あのときも頼城は矢後の顔を見つめていた。霧散するイーターの向こうから現れた矢後の、普段生気のない瞳が爛々と輝いているのに見とれていた。大鎌が勢いの付いたまま振り抜かれるのも知っていたのに動くことを忘れていた。
 見つめられて不良は居心地悪そうに顔をしかめ髪をかき混ぜ唸り声を発する。やがてため息と共に言葉を足元に落とした。
「──悪かったよ」
 腕の千切れる音が耳に蘇る。
 逃げるように逸らされた視線からは何も読み取れない。暗闇に溶け込もうとする黒い瞳を頼城は追う。また探している。祈るような気持ちさえあった。
 頼城の腕を切り裂いたことに気付いて、狂喜にぎらついていた瞳は驚愕に見開かれる。血溜まりに崩れ落ちながらも頼城は矢後の瞳を縋るように見つめた。その瞳のどこかに、驚愕と焦燥と後悔の他に、嘲りか清々しさでも含まれていないかと必死に探した。
 あのときも、そして今も、矢後の目には敵意や悪意なんて一欠片も見つけられなかった。存在していなかったので。
 頼城紫暮は矢後のことを嫌っている。矢後も頼城を嫌っているはずだ。そうでなければいけない。矢後は頼城に罪悪感なんて抱かない。謝罪なんてしない。そうでなければいけない。二人の間にあった暗黙の了解はなかったことにされようとしている。
 そもそも存在していなかったので。
 千切れたどこかがずきずきと酷く痛み出している。矢後の付けた傷だ。早くしないと膿んで腐って手遅れになる。
「……矢後、そこの制服を取ってくれ」
「あー……?」
 壁に掛けてあった制服がベッドの上に投げ落とされる。上着のポケットにはリンクユニットがきちんと入れられている。握りしめた石を太腿に叩き付け、目眩のする中で躊躇いなく武器を呼び出す。矢後が目を見開いてポケットに手を入れるのを歪む視界に捉え、もう遅いと内心で呟いた。引き金を引く。
「この、クソ、バカ!」
 銃声。左腕は数時間振りに胴体と切り離され視界から消えた。
 清潔な病室に懐かしい血の匂いが満ちる。矢後が罵りを吐きながら誰かを呼びに外へ駆け出す。ざまあみろ。頼城は笑った。
 お前の付けた傷痕なんてこの身に残してやるものか。絶対に。何ひとつ。
 ずきずきする痛みはまだどこかで続いていたけれど、腕の痛みに紛れて気付かないふりをした。
20201030

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