タイムマシンはいらない | ナノ

タイムマシンはいらない

※夏モブ♀要素あり

 拝啓、榊夏来様。
 まずは、結婚おめでとうございます。ナツキに手紙を書くのなんて初めてだから、どうにも勝手が分からないな。だけど、こういうのはきちんと伝えた方がいいと思うから、改めてペンをとっています。
 ナツキもこれで夫となるわけですね。初めてプロデューサーさんから話を聞いたときは、正直すごく驚きました。先を越された、なんてことは言わないけど、ナツキが誰かと結婚するってイメージが僕の中にあまりなかったみたいです。悪く思わないでください。僕の中では、ナツキはまだ高校生の姿のままなのです。毎日のようにテレビや何かでナツキの姿は見ているはずなのに不思議な話ですが。いえ、ナツキはそもそもあまり見た目が変わっていませんね。羨ましい限りです。
 話が逸れました。とにかく、今更と思うかもしれないけど、お前の幼なじみで、腐れ縁で、ライバルだった僕からのエールを贈ることくらい、お節介だと思って許してください。
 絶対に、幸せにしてあげてください。ナツキが選び、ナツキを選んでくれたその人が、間違いなく世界で一番幸福な人間だって確信出来るように。僕は君の幸せをずっと願っています。お幸せに。冬美旬


 朝、新聞と共に郵便受けの中に入っていた真っ白な封筒の中身はあまりにも荒唐無稽な内容の手紙だった。俺が誰かと結ばれ、それをジュンが祝福する。意味が分からない。悪戯や嫌がらせにしても無意味すぎる。
 ただその手紙に並ぶ几帳面な文字は確かに見慣れた幼なじみのもののように見えた。楽譜の裏に走り書きするときのような雑なものではなく、サインを求められたときのように一文字一文字丁寧に書いたもの。俺には筆跡鑑定の心得なんて無いけれど、最後の署名などはまさしくいつも見ている彼のそれだ。それに俺の名前を片仮名で表記する癖は、例えば売れかけのアイドルに悪戯しようとしただけの人なんかは知らないはずだ。
 ここまで考えてはっとする。悪戯と言えば、確かに身近にしそうな人がいるじゃないか。
 賑やかな後輩の仕業だろうと結論付けて、俺はその手紙を封筒にしまい込んだ。無地の白い封筒に便箋。ジュンのものだろうか。ふとそれに切手が貼られていることに気付く。もったいない、そのまま郵便受けに放り込めば良かったのに。そう思いながら何の気なしに消印を確認して驚いた。今から十年後の日付だったからだ。

「おはよう、ナツキ」
「ジュン……おはよう。いい天気、だね」
 彼の家の前、片手を上げて俺を迎えるジュンに微笑み返して、横に並んで歩き出す。俺は毎朝彼を迎えに行く。迎えと言っても俺たちの家はごく近所だし、どちらにせよ通り道に位置しているから、負担ではない。むしろ、毎朝門の前に立って俺を待つ姿を見つけるのはとても好きだ。寒くなってくると縮こまってしまうけど、今くらいの春先になってくると、背筋をまっすぐ伸ばして凛と立っているのが見られる。やっぱりジュンはそうして堂々としているのが似合う人間だと思う。
 朝の空気は清々しい。歩きながらそっと深呼吸する。右隣でジュンが作曲の話をしている。今回は詞が先にあるから少し勝手が違うとか、でも結構うまくいったところもあるとか、やりがいがあるとか。普段は無表情気味に話すことが多いけれど、今日は微かに笑っている。最近彼はよく笑う。新しいことにも積極的になった。それがとても嬉しくて、眩しい。
「部活のとき、出来たところだけ弾いてみるから、聴いてて」
 当たり前みたいな顔で、少しだけ尊大な態度で彼は俺に言って、俺は微笑んで頷いた。
 そうしていれば短い通学路はあっという間だ。教室の前でまた片手を上げて別れる。残念ながらクラスが違うので。一年のときは同じだったのだけど、そううまくはいかないものだ。わずかに振った手を降ろして、自分の教室の扉を開いた。後はただ、気配を消してやり過ごすだけだ。ジュンのいない空間を。

「おはようございまーす。あれ、まだジュンだけか」
 部室に入ってきたハヤトが辺りを見回す。アイドルになってから、挨拶はいつの間にかおはようございますが定着していた。なんとなく業界人みたいでくすぐったい。
「……いるよ」
「っうわあ、ナツキか。ごめんごめん」
「何か連絡でもあったんですか?」
 ジュンがピアノの前から立ち上がる。少し残念。さっきまで俺に新曲の意見を求めていたのだけど、もう蓋を閉めてしまった。
「うん。プロデューサーから、来月のスケジュールとかもらったんだ」
「そうでしたか」
「ワクワクするよなあ、アイドルって! 色んなこと出来るし、なによりみんなと音楽出来るし!」
 ハヤトは顔を輝かせる。本当に、彼は素直だ。そんな彼を見て、ふっとジュンも微笑む。俺もそっと笑った。西日の差しこむ部室で過ごす穏やかで幸福な時間が、俺たちは大好きだった。
「おはよーっす! ハヤトっち! 先輩!」
「おはよー。ごめん、掃除でさ」
 シキとハルナが連れ立って入ってきた。ばたばたと荷物を置き、一人は飴を、一人はドーナツを口にする。部室は一気に賑やかになった。
「よーし、揃ったな」
 ハヤトがいつもの席に着いたので、俺たちもそれに続いた。プリントが配られる。スケジュールといくつかの仕事の資料だ。
「うわっ、来月すげーお仕事多いっすね!」
「そうなんだよ。なんか、嬉しいよな!」
「……結構、個人での仕事がありますね」
「そだなー。なんか、認めてもらった感じするな」
「うん。ハルナはバラエティー番組かあ……すごいや」
「オレ! ハヤトっちと二人での取材もあるっす! やった!」
 はしゃぐシキを横目にスケジュールに目を通す。もちろん事務所でも相談して決定してあるので、確認だけ。確かに初期よりもソロや二人組での仕事が増えてきた。それぞれ個性があるし求められている仕事も違うのだろう。
「ナツキは単独で雑誌のインタビューか。すごいな」
「あ、本当だ……」
「今気付いたのか」
 ジュンが呆れた顔をして、蛍光マーカーを差し出した。
「印付けておくといいよ。それにしても、負けてられないな」
「ありがとう……。俺も、ジュンに負けないように、頑張る……」
 幼なじみで、腐れ縁で、ライバル。あの日彼が俺に言った言葉。
 ジュンがまた熱くなれることが、俺はなにより嬉しい。

 すっかり暗くなった帰り道、また二人並んで歩きながら、ふとあの手紙のことを思い出した。そういえばシキに確認するのを忘れた。シキじゃないかもしれないけど。
「ジュン……最近、俺に手紙、書いた……?」
「手紙? いや」
 一度否定してから、少し考えて「書いてないな」と再び首を振る。
「何かあったのか? 連絡?」
「ううん……特に」
 反射で否定してから、内心首を捻った。あんなおかしな内容、狙って書かなければありえない。けれど、ジュンが嘘をついているようにも見えない。誰かと謀っているのか、それとも。
 右斜め下の顔を見やると、あらぬ方向を見ている。やはり嘘をついているのかと一瞬思ったけれども、なんてことはない、以前猫を見かけたことのある塀の上を見ていただけだった。いつも一緒にいればたくさんのことを共有出来る。
 今日はいないね、と呟くと、酷く慌てた様子で別に探してた訳じゃないと否定された。恥ずかしがらなくてもいいのに。

 夕食をとって風呂から上がり、ベッドに腰掛けて例の手紙を開いた。見れば見るほどジュンの字だ。消印も改めてみたけれど、詳しい訳ではないので本物なのかはよく分からなかった。しかしこれといって目立ったおかしな点はない。そこに書かれたジュンの住所を携帯に打ち込んで検索してみたが、ヒットしなかった。
 本当に、未来から届いた手紙なのだろうか。
 未来のジュンが未来の俺に宛てて書いた手紙が、何かの弾みで十年前に当たる現在の俺の元に届いてしまった、ということか。原理はさておき、それが本当に起こったとすると、どうしても手紙の口調が気になってしまう。いや、本当は初めて読んだ時からずっと気になっていた。ただ目を逸らしていただけだ。
 まるで長い間会っていないみたいな、それどころかほんのちょっとしたやりとりすらなかったみたいな。いやもっと……喧嘩別れしたみたいな。
 ジュンが俺に対して送る手紙としてはあまりに相応しくない、探り探り書いたようなそれは、結婚という内容も相まってとてつもない違和感を覚えさせた。そして少しの恐怖。ジュンの筆跡でそんなことを書かれると、まるで本当にそうなるかのようで。
 ありえないと思う。俺がジュンの側から離れるなんてことは、例えばシキが一日中静かにしているとか、ハルナがドーナツを食べなくなるとか、ハヤトが虫嫌いになるとか……そういうことが起こるのと同じくらい信じられない話だ。だけどこの手紙はそうなるかのように感じさせる。それがとても、怖い。未来の俺は、ジュンを捨てるのか、捨てられるのか。
 離れたくない。強く思う。離れる訳にはいかない。彼からピアノを奪ったのは俺だ。

□ □ □

 ナツキへ。
 今日もテレビでお前を見かけたよ。世間は今お前の結婚の話題でもちきりだね。僕のところにも取材の申し込みが来たけれど、なにぶんよく知らないから断った。電話の向こうで信じられないって顔してるのが目に浮かぶようだったよ。もう会わなくなって五年は経つって言うのに、みんなはまだ僕たちが一番の親友だって信じているんだね。
 ……それが本当ならと思う。いつの間に僕たちはすれ違ってしまったんだろう。まだ高校生だった時、十年前くらいか、あの頃からだんだんばらばらの仕事が増えて、ハイジョーカーの括りが薄くなって、ライブよりそれぞれの撮影や原稿の割合が高くなって……。あの時もっとお前と話していたら、お前の側にいたら、なんてことを考えてしまう。もっとずっと昔、お前を守れたときみたいに。あのとき僕は本当に誇らしかったんだよ、なんて、今更だけど。本当に……未練がましいな。失って初めて気付くなんて、なんてありがちでみっともないことか。笑っちゃうね。でもまるで十年前から時が止まったみたいなお前の姿を見ると、どうしてもそう思わずにいられない。まったく情けない話だ。思えばあの時から、僕は──
 この手紙は出さないことにしよう。


 翌朝覗いた郵便受けに、またも見覚えのある白い封筒が入っていたので、俺は慌ててそれを掴んで、リビングに新聞を投げ込んで部屋へ駆け上がった。ベッドに腰掛けて震える指先で封筒を破り、何度か引っ掛けながらもそれを引っ張り出した。
 読み終えて呆然とする。今の俺たちがまさしくすれ違っていく転機だって言うのか。ソロの仕事が増えて、認められてきたと喜んでいたのに。それにまるでジュンが俺を惜しんでいるような内容。そしてあのときのこと。
 階下から食事に呼ぶ声がする。俺はなんとかその手紙を机の上に置いて、よろよろ階段を下った。

「おはよう、ナツキ。……どうした?」
「大丈夫……おはよう、ジュン」
 ジュンが心配そうに俺の顔を下から覗き込む。大丈夫と首を振って、並んで歩き出す。いつもきびきび歩くジュンが、いつもよりゆっくり歩いているのが分かり少し申し訳なくなるけど、一緒に歩く時間が増えるのは嬉しい。冷えていた指先に血が巡ってきた。
「顔色、良くなってきたな」
「そう……? ごめん」
「何に謝ってるんだよ」
 ジュンはまた呆れたような顔をした。
「時間……、いつもよりかかった……」
「そのくらい気にするなよ。遅刻はしてない」
 教室の前で立ち止まる。ジュンが片手を挙げる。いつもと同じ仕草。ジュンと共有したいつもよりほんの少し長い時間が終わる。
「じゃあ、無理はするなよ」
「うん……ありがとう」
 ジュンの後ろ姿を見送って、教室に入りながらそっと息を詰めて気配を消す。静かに、穏やかに。ジュンといない時間に慣れないために。ジュンといない時間がなるべく穏やかに流れて、刺激を残さないように。ジュンといない時間の割合を極力減らすために。
 ああ、そうか。だからあの手紙は俺に届いたんだ。唐突に、すとんと当たり前みたいな穏やかさで理解した。ジュンと離れた俺の十年間は俺の中にほとんど積もっていないのだ。だから未来の俺に宛てた手紙が俺の元に来たのだ。
 俺は目を閉じて、ジュンといない俺が何を思うのかを想像する。何故俺はジュンと離れられたのだろう。何故俺は誰か別の人と結婚したのだろう。想像の中の俺はどこか幼い雰囲気で困ったように眉を寄せていた。

□ □ □

 拝啓、榊夏来様。
 この間、二通の手紙を受け取ったと思う。一通は結婚のお祝いで、一通は出すつもりじゃなかったんだけど、うっかり手違いでお手伝いの方が発送してしまったものだ。もう読んでしまったと思うから、内容については言い訳しない。
 読んで察しただろうか。僕はお前のことを、僕が思っていた以上に大切に思っていた。それにどんな名前を付ければいいのか、僕にも分からないけれど。家族愛、友愛、恋愛、どれも正しいような、微妙に違うような、そんな感じだ。ただ気付くのが遅かった。
 ああ、ごめん、結婚を控えたお前に今更どうこうという気持ちはないんだ。動揺させたなら、謝るよ。僕はただ、世界一しあわせなんだろうその人が、お前の隣でずっとしあわせであればいいなと思う。
 そして、またお前と一緒に話せたらいいなと、思う。幼なじみで、腐れ縁で、ライバルだったあの頃と同じように。僕はこの結果が間違いの末の結末だなんて思っていない。僕は今出来ることをするだけだ。もし良かったら、返事をくれないか。冬美旬


 三通目の手紙が届いた。ジュンの、告白。十年後の俺が受け取るべきだったそれを、俺が横から見ている。すれ違い続けた気持ちと手紙はもう、終わらせよう。
 後出しの、ちょっとずるい告白だけど。相手を大切に思っているのは俺だって同じで、それに名前を付けられないのだって同じだ。でも後悔はしたくない。ジュンと離れて、呆然と他の人と結ばれる結末なんて今の俺は望まない。
 ジュンと出会って、いろんな経験をして、そしてこれからもそうでありたいと願う。俺の今までの十年と、そしてこれから先ずっとの愛を、君に。

□ □ □

「ちょっと、出掛けてくるね」
「うん、行ってらっしゃい。どこに?」
「手紙、出しに……」
「へえ。誰?」
「ジュンから、俺に」
「え?」
「そろそろ、十年経つから……」
20160619
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