届かない祈り | ナノ

届かない祈り

 会場はもうだいぶ賑わっていた。観光区長が歌って踊るなんて施策にも、今や安定した需要があるらしい。辺りには浮ついた熱気が満ちている。うちわやらペンライトやら、まるっきりアイドルでも応援するみたいな装備の中に見慣れた名前を見つけて、由蛇は舌打ちを堪える。隣の男がこちらに視線だけ寄越した。
 ツアーを回ってきたはずの客たちは、その中で接客していた由蛇がここにいることには気付いていないようだった。当たり前だ、今夜の目当ては観光区長という肩書きの彼らなのだから。開演を待つ興奮気味なざわめきを聞きながら、ごめんね、と思ってもいないことを心の中で呟く。観光区長の夜鷹さんは今日でおしまいだよ。
 寝過ごしてすっぽかしたなんてことになったら、きっと彼は責任を感じてあそこを去るだろう。そうしたらオレは慰めてあげて、やっぱり向いてなかったんですねって言って、それで元通り。大丈夫。今度こそ上手くいく。望んだ通りの平穏が手に入るはず。
 遠くから走ってきた誰かがすぐそばで足を止め、由蛇に叫んだ。ゆんゆんとかいうふざけた名前を大真面目に。
 慌てたその人の様子を見るに、思い通りにことは進んでいるらしかった。夜鷹はここに来ていない。舞台裏は混乱している。もう時間も差し迫ってきている。どうやったって間に合わない。
 だから、もうひとつ駄目押しをしようと思ったのは、保険というよりは何かもっと個人的な感情によるものだった。
「……心配ですね、オレちょっと夜鷹さんに電話してきますね! 潜さんもお仕事頑張ってくださいね〜」
 なんとなく連れ立っていた男に別れを告げる。意味深に口角を吊り上げた彼は由蛇の嘘に気付いているのかもしれなかったが、かといって何を知っているわけでもない。もう警戒するべき相手はいないはずだった。足早にひと気のない方へ向かう。大丈夫、これは正しい、先輩のためなんだから。配電設備のロックを突破する。
 ああ、そういえば夢十夜は夜鷹さんの趣味で今どき電子ロックじゃないんだったな。
 そんなことを思い出したけれど、別にその程度大した障害ではないはずだった。誰にも脅かさせない。先輩を守らなきゃ。全部先輩のため。こんなライブぶっ壊してやる。配電盤のスイッチを押す。
「見〜ちゃった」


 ライブの音響と観客の歓声は離れた由蛇のところにも嫌味なくらいしっかり届いていた。ステージの上なんてここからじゃ当然見えないけれど、そこに彼がいるというだけで体中が痛むようだった。
 何もかも上手くいっていなかった。留めておきたかったものは簡単にすり抜けて取り返しのつかない方へ進んでいるし、隠しておきたかったものは暴かれかけている。由蛇の望みは全てが崩壊に向かっているとしか思えなかった。
 どうして。腹いせのように踵で地面を抉りながら、由蛇は嘆きとも恨みともつかない思考をぼんやりと巡らせる。どうして上手くいかない? どこで間違えた? 何をすれば良かった? 救いたいなんて願っちゃいけなかった?
 頼みがある。少し前、夜鷹は由蛇に告げた。珍しく言葉を淀ませ、言いづらそうに彼は続けた。
「……薬が足りなくなってしまって」
 頭痛が酷く用量以上に飲んでしまったと、彼は悔いているようだった。そう語るその時だってとても健全とは言いがたい顔色をしていた。今まで薬の用法を破ることなんてなかったのに。そんな症状に耐えてまで仕事を続けなきゃいけないなんて、由蛇にはとても思えなかった。
 ただ救ってあげたいだけなんだ、昔から。
 どうして救われてくれないんだ。思考は八つ当たりの方向へ向かった。あんたはオレの望みなんか何も聞かなかった。最新の冷凍庫は買ってくれないし観光区長も辞めてくれない、一緒に生きてもくれない。
 会場からひときわ大きな歓声が上がった。ライトはいっそう眩しさを増す。離れた暗がりに佇む由蛇にも届くほど近く、そして絶対に届かないと理解できるほどに遠い。あの光と歓声の中に彼はいて、この世界でふたりきりだと思っていたのに今となっては由蛇だけがひとりぼっちで、どうしようもなく孤独で不幸で救われない。
 願ったことを間違いだなんて思いたくなかった。今の由蛇にはそれが全てだから。それでも望まない方がまだマシだったのかもしれない。何ひとつ叶わないのなら。
 何も願わないか、全く反対のことを願うか、どっちかだな。由蛇はどこか自嘲的に思う。夜鷹さん、幸せになんてならないで。
20240929


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