ラストシーンに辿り着かない
ところで、これは夢の話なので、現実には起こらなかった。
明晰夢と呼ばれる類の経験が、夜鷹にはない。いつも夢の中ではそれが現実だった。あらゆる不可思議を、彼はそのまま受け入れていた。
由蛇の太股と自分の腿が触れ合っていた。隣り合って座る二人の脚をポップコーンの容器が跨いでいる。壁にはギズリの名作が投影されていて、二人はソファで寄り添ってそれを観ていた。趙雲がプロジェクターとスピーカーを勤めているから、夢十夜の店内だろう。由蛇は時に映画に野次を飛ばし、時折ポップコーンを口に運び、映画鑑賞を満喫しているようだった。
「あ〜っ、もうすぐッスよ、パニョス!」
「名シーンだね」
「もう、そこまで持ち上げるほどッスかね」
由蛇は唇を尖らせる。根に持たれている。あのパーティーの日、パニョスを優先して店を開けようとする夜鷹のことを、由蛇は結構長いこと引き留めようとしていた。金曜は稼ぎ時なのだから当然と言えば当然だった。結局押し切って店を出たが、あの後埋め合わせをしたんだったか。
懐かしい気分になっているうちに、映画の中では少年たちが佳境に差し掛かっていた。主役の二人が手を握り合うのに合わせて、由蛇が自然な動作で肩に寄り掛かり、指を絡めてきた。夜鷹も軽く握り返す。妙に近い距離感も、夜鷹は受け入れている。そういえば私たちはそういう仲──だったかな。
絡められた由蛇の指ごと、手を持ち上げた。彼の指は自分のそれより随分と細く、白さも相まって華奢な印象すらあった。いじらしく感じて、関節をひとつひとつ確かめるように唇を押し付ける。そういう仲ならば、それくらいするだろうと思ったので。
「夜鷹さん……」
大きな目がこちらを上目遣いに見上げていた。しっとりした雰囲気に飲まれて、もう映画のことなんて頭から消えている。誘われるように唇を合わせる。細い腰を抱き寄せた。
「……ベッドに行こうか」
由蛇は無言で恥じらうように頷いた。うぶな仕草が愛らしく感じられる。導いて、甘やかしてあげたいと思う。
「あっ♥ はあ、あ、あ♥、うぁあ……ぁ?♥」
「夜鷹さん、夜鷹さんっ……♥」
意識が飛んでいたらしい。何が起こっているのか周囲を把握しようとするのに、頭の中は真っ白でまともに働かない。うつ伏せに這いつくばるような格好で、後ろから掴まれている。体が揺すぶられる度、また何も分からなくなる。
「夜鷹さん♥ 気持ちいい……?♥」
問われてようやく、感じていたのだと理解する。認識してしまうと余計にはっきりとそれが襲ってくる。腹の奥から気持ちいいのが込み上げてきて体をびくつかせる。自分がもうどうしようもなくそれに支配されていることだけが分かった。
「あ、あ……♥ きもち、い、ぃ……♥」
恥ずかしいほどとろけた声が勝手に返事をする。嬉しそうに由蛇が息を吐いたのが聞こえて、こっちまで喜びが背中を走ってぞくぞくした。
そうだ由蛇だ。彼とベッドに入って、歳下の彼をこちらが主導してあげるつもりだったのに、いつの間にかこうなっていた。由蛇に触れられて知らない快感を次々に引き出されて余裕なんて根こそぎ奪われて喘ぐしかできなくなって、何回か記憶も飛んだ。もう何度達したのかもよく分からない。腹の下でシーツがめちゃくちゃになっている気配がある。
「ふ、あ、あ……っ♥ んぐ、んぅ……♥」
「今さら引いたりしませんよ、ね、聞かせて?♥」
自分が乱れすぎているのが急に気になって、枕に顔を埋めて声を誤魔化そうとする。由蛇は夜鷹の首筋を撫でてそれを優しく咎めた。されるがままに首だけ回して背後を見ると、由蛇と目が合って腹の中が締まったのが自分で分かった。由蛇が呻く。
「夜鷹っ、さんっ♥ オレ、も、イきそ……」
「ん♥ 由、蛇♥ いいよ……♥」
シーツを握っていた手を背後から由蛇の手が包んだ。彼に覆い被さられて、彼の体が震えるのを全身で感じとる。力の抜けた由蛇が乗っかってきて、軽すぎるな、とぼんやり考える。
うつ伏せで顔だけ横にして、背中には由蛇が乗っているから彼の手しか見えない。自分の手と比べるとやはり白くて細くて華奢で、こんな手にあんなに翻弄されていたのが不思議にも思えた。その手が夜鷹の手をにぎにぎと弄る。
「なぁに、夜鷹さん、オレの手ガン見して」
「キミの手は素敵だね」
「なんスか、触ってほしいとこでもあります……?」
耳に息が触れて、それでまだ燻っていた熱が煽られる。触ってほしいところ。そんなの無数にあった。腹も胸も背中も耳も口の中も、全部触れて彼でいっぱいにされたいと願ってしまう。情欲を直視してしまって、ぶつりと意識が途切れる。
「ん……ん? 由蛇……?」
目が覚めた。誰もいない。寝起きで霞む目を何度か瞬き、店内のいつもの席だと把握する。寝汗がすごい。
「お、起きてますね〜。あともう夜鷹さん待ちなんですけど〜」
趙雲を小脇に抱えて、バックヤードから由蛇が戻ってきた。薄いタオルを渡してくれる。
「寝汗ヤベーッスけど、悪い夢でしたか?」
「……キミとギズリを観ていた」
「アッハァ!」
由蛇は笑いと噎せてるののちょうど中間みたいな声を上げて、夜鷹は内心でちょっと焦る。由蛇は咳払いをして、いつもの調子の笑顔に戻る。
「メルヘンな夢ッスね〜! パニョスしました?」
「そうだ、それだ」
立ち上がった夜鷹に、由蛇は一瞬怯んだようだった。
「あの日、私は寮を優先しただろう。あの埋め合わせをしていなかったね」
「や、まあ、あんたがそういうとこ自由なのは慣れっこですけど」
「だから、私にできることなら、なんでも」
「なんでもとかあんま言わない方がいいですよ」
由蛇は少し呆れたように腰に手をやった。
「……じゃあ、オレとギズリでも見ます? 天空の谷」
分かったと夜鷹は頷いた。
この後のことは夢ではないので、夢の話はここで終わりだった。
20240831