友達の星
キャラクターが死ぬ
凪は宇宙人と会ったことがある。さらに言えば友人だった。
宇宙人は夜半子タろと名乗った。彼──便宜的に彼と表す──の母語ではまた別の音を持つのかもしれないが、凪たちは彼を子タろと呼んでいた。
夜半子タろは、地球人を基準とすればずば抜けて賢かった。不可能としか思えないことを実現させる道具を次々と造り出した。加えて恐ろしく奔放でもあった。彼の知識や技術力は確かなものだったが、言動はまるで子供だった。おかげで彼の周囲ではいつも突飛な事件が起こり、度々大騒ぎになった。
凪たちはこのめちゃくちゃな宇宙人のことを愛していた。子タろは確かにちょっとはた迷惑なところはあったけれども、そんなの全部覆い尽くせるくらいに愉快で愛らしく、隣にいるのが楽しい存在だった。
前述したように、子タろは宇宙人だ。だが、素晴らしい精度で擬態しているから、外見は普通の人間のように見えた。だから彼が地球の存在ではないと知っているのは凪だけだった。凪には彼との秘密がいくつもある。
「ぎぃ〜、今よいか?」
「ああ、うん、すぐ行く」
凪はたまに子タろに呼び出された。二人が「アレ」と呼ぶ行為のためだ。名誉のためにその行為の詳細は省く。とにかく「アレ」が終わっていつも通り凪は寝そべって天井を見上げた。貧血のために視界が暗かった。こういうときはひとまずじっとしなければならない。対称的に、補給をした子タろの方は精気に溢れ、機嫌が良かった。
「……子タろは、元気だね」
「そうじゃな〜! 今わ元気いっぱい!」
子タろはにこにこしながら三つ編みにした髪を指で弾いた。
「はは……子タろは長生きするんだろうな」
凪は遠い目をした。宇宙人だし、子タろはすごく高等な技術を持った文明から来たんだろうと察するところがあった。きっと寿命も永遠のように長いんだろうと思った。遠い遠い未来で、彼が自分たちの灯りを灯し続けている想像をした。それはとても安らかなイメージで、救われるような気持ちになった。
「子タろって何歳なの?」
ふと尋ねた。子タろは自慢げに胸を張った。
「三万五千時間わゆうに超えておる!」
子タろの子供っぽい仕草に、凪は頬を緩めた。何万という巨大な数字は現実離れして聞こえた。気が遠くなった気がして、脳に血が足りないのを感じた。
「子タろ、下に行って、何か食べ物を……」
「よいぞよいぞ、ボクが肉まん蒸しちゃろ!」
彼は騒々しく出ていった。微笑みの名残を唇の端に残したまま、凪は彼の帰りを待った。
「アレ」は凪の体には多少負担ではあったが、食事を摂れば問題ない程度だった。頻度も大したことはない。愛すべき友人のために、凪は体を張る覚悟があった。献血みたいなものだし。
「ぎぃ、今日わよいか」
「うん、大丈夫」
「ぎぃ〜」
「ああ、そんな時期か」
「ぎ」
「よしきた」
数年が経ち、流れ作業と化した「アレ」は実にスムーズに終わるようになった。一連の後、ストックしてある紙パック飲料で鉄分などを補いながら、あれ、と思う。なんか近頃、体が楽だな。慣れたせいか、体を鍛えている成果か。嬉しくなってぐっと力こぶを作ってみるが、二十歳の頃と大きく変わったようには見えなかった。
「……飲む量減ってる?」
「ん〜? うむ」
「気にしなくていいのに。鍛えてるし、ほら」
「ぎぃはまだ平均より細い」
目を細める子タろの表情がなんだか見慣れないものに見えて、おやと思った。上手くその違和感を捉え切れないまま、凪はシャツを着直した。表情に気を取られて、子タろの発音がどこか違っていたことには気付かなかった。
ある日、ちょっとした事件が起きた。配達に行った先で、凪が立てこもり強盗の人質にされたのだった。マスコミのヘリが飛び交う音に、外の世界ではニュースになっているんだろうと監禁されながら凪は想像した。凪にとっては、珍しくはあるけどそこまで取り沙汰するほどの不幸でもないかな、程度の認識だったが、ようやく解放され帰り着いた時には会社中大騒ぎになっていた。
「凪くん! 凪くんだぁ……!」
「このアホ糖衣に心配かけてんじゃねーよ何してんだ!」
寮の入口で糖衣が凪に飛びつき、さめざめと涙を流した。駆けてきた琉衣が凪の尻をしばいた。続々と社員たちが集まってきた。大変なことをしてしまった、と徐々に理解し凪は青くなった。
「ご……ごめ、みんな……」
「心配したんだよっ……」
泣き続ける糖衣の背を撫でていいものか迷ったが、琉衣の頭の血管が心配になったので一旦彼に糖衣を受け渡した。それから、以前にもこんなことがあったなと思い出した。迎えてもらえるのはとても幸せなことだった。
「……あれ、そうだ、子タろは?」
人だかりの中から彼を探した。彼の技術をもってすれば、あんな立てこもり事件なんて一瞬で解決してしまえそうに思えた。自分なんかに手間をかけさせるのは申し訳ないが、これだけの人が心配しているなら彼らのためにもなる気がした。
「呼んだか?」
「うん。子タろも、ニュースの中継観てたんだろ。通信とか、来なかったなって」
凪の体のどこかには発信器が着いていて、年々グレードアップと機能追加を繰り返すそれを介して子タろは凪にコンタクトを取ることもできたはずだった。
そうじゃな〜と子タろは腕組みをした。
「中継入ってたしな〜。目立つのもできんかったし……派手にやるとぎぃの身の安全も確保できんし〜?」
凪は頷いた。昔の子タろならば問答無用で建物ごとゼリーにでも変えるくらいのことはやりかねないと思ったが、いつの間にか彼も社会性を育んでいたらしかった。あの無邪気な子供みたいな無茶苦茶さはもうなかった。
すっかり歳上みたいに見えるな、と凪は彼を見上げた。三万何歳なのに。──あれ、と思う。
「今日は、アレ、やる?」
「ぎぃ〜?」
「ああ、体のことなら大丈夫。むしろ元気。この元気さを分け与えたい」
「変わっておるの〜」と子タろはしみじみと溢した。
凪の生還記念パーティーの後、二人は寮の空き部屋にこっそり侵入していた。例によってスムーズにアレは終わった。凪は寝そべりながら傍らの宇宙人を見やった。宇宙人は左右色違いの目で凪を見下ろした。
「……子タろたちは、どれくらい生きるの?」
「平均なら、地球時間でざっと五百万分程度じゃな」
「ごひゃくまん」
凪は目を閉じた。昔想像したのと同じ、幸福なイメージを描いてみる。ひとりぼっちで灯りを灯す子タろ。
「ぎぃ、ぎぃ、しんどいのか? パーティーの残り、持ってきちゃろか?」
「ああ、うん、ピザ食べたい……」
子タろが滑るように部屋を出ていく。凪は携帯端末を取り出して、電卓を立ち上げる。
五百万、割る六十、割る二十四、割る三百六十五。
表示されたあまりにも小さな数字に、湿った笑いが漏れた。
「持ってきたぞ、ペパロニとテリヤキ〜」
軽い足音で入ってきた子タろは、凪の表情を見て微笑んだ。凪のそばにしゃがみこみ、その頬をつついた。
「なんじゃ〜、ピザ持ってきたのに」
「子タろ……」
涙声になる凪を、子タろは優しく撫でて髪をくしゃくしゃにした。友人の脚にしがみつき、凪は顔を埋めた。
「子タろ、いかないで……」
「そんなに悲しむことでわない。地球にも色々あるものな〜? 宗教、幽霊、創作、なんでも好きなものを選ぶとよい!」
子タろは、近年すっかり鳴りを潜めていた懐かしい発音で喋った。自分のためにわざとそうして明るく振る舞っていると分かるから、またつんと鼻が痛くなる。
「子タろと一緒にいたいよ……」
「……ボクとしてわな、まだじゅうぶん長いぞ。ぎぃがあと四十年生きるのか〜って感じるのとおんなじ」
子タろはそれから、たくさんの話をしてくれた。彼が彼の生を丸々使って追い求めたものの断片。愛の話。物語の話。宇宙の熱的死の話。
子タろはもう、死期を見つめる老人と同じ目をしていた。彼がすっかり大人びて、自分を追い越してしまったように感じられるのが、凪には無性に悲しくて仕方がなかった。
それからの日々、この愛すべき友人と凪たちはたくさんの思い出を作った。子タろが飛んだり跳ねたりしなくなっても、凪は泣かないように努めた。そうしてその日、子タろはかつて凪に言ったように、幸せなことをたくさん思い出したらしかった。
凪はたまに夜空を見上げる。僅かに見える星の中で一番よく見えるものを見つめて、あれが彼の故郷なのかもしれないと想像してみる。子タろが灯りを灯し続けていると思ってみる。凪は子タろの友人である。今も。
20240830