リフレクション | ナノ

リフレクション

 羽風の耳にその会話が留まったのは、男ばかりの学科では聞き慣れない甲高い声だったからかもしれないし、その中に含まれた「みかちゃん」という女性の名前のせいだったかもしれない。メッセージの返信を考えていた羽風は一瞬だけ教室の入り口に目を向け、そこに立っているのが男二人であることを確認してすぐに興味を失った。しかし奇妙な裏声は朝の教室の喧騒を貫いて響いた。
『そうだみかちゃん。お昼ご飯、宗くんと一緒に食べてくれないかしら。宗くんってば一人じゃちゃんと食べないから』
「おれは良ぇけど、お師さんは?」
「人形に心配されるとはね」
『んもう、宗くんったら!』
 ああそうだ、と思い出す。ナントカって同級生がお人形とお喋りするから周りはそれに合わせてやれとかなんとか、いつだったか連絡があったはずだ。この学院において多少ネジが外れる生徒は決して珍しくもない。いつの間にか老いさらばえたような振る舞いをするようになったユニットリーダーのことを連想する。男のことなどわりとどうでもいいのでそんなお達しがあったことも忘れていた。
『ごめんねみかちゃん。宗くん、意地っ張りで』
「んあぁ、マド姉ェが謝ることあらへんよ。お師さんは好きなようにしたって。おれ勝手に探しに行くから」
『ありがと、みかちゃん』
 あの後輩らしき男は「正解」を示しに来たんだろうと察しは付いた。久々に登校してきた男と彼に抱えられた人形に対してどう振る舞うべきかをこのクラス中に教えようとしている。それが意識的なのか無意識なのかは羽風には判断が付かないが、興味もない。健気なもんだねと呆れ半分哀れみ半分に思ったのち、羽風は完全に彼らの会話を遮断し、画面に集中する。
『みかちゃんは優しい子ね』
 メッセージのやりとりが二往復した頃、再び甲高い声が、今度は後ろから聞こえた。いつの間にか一人と一体は教室に入ってきていた。今まで登校していなかったために彼の席は教室の後方で、だから声がよく聞こえる。
『大丈夫よ、もし宗くんが一人ぼっちになっても、あたしはずっと宗くんの側にいるわ』
 羽風は今日の授業をサボることにした。


「やっほー、マドモアゼルちゃん。はじめまして」
『はじめまして、薫くん、だったかしら。宗くんになにかご用?』
「ううん、マドモアゼルちゃんに用があんの。用っていうか、仲良くなりたいと思ってね?」
『あら、あたしと? 嬉しい!』
 手のひらの上で人形はゆらりと体を傾けた。斎宮の方は黙りこくっているが、男と会話したところで嬉しくも何ともないので構わない。この人形を女子と認めるべきなのか、羽風は未だに判断をつけられずにいたが、プロデュース科の転校生が親しくしているらしいと聞けば話はまた別だ。外堀を埋めるような気持ちで話しかけている。
 マドモアゼルはその声と出で立ちさえ除けば存外普通の女の子のようだった。羽風の冗談によく笑い、適度に相槌を打ち、挨拶すれば必ず返してきた。気まぐれに登校してきて退屈している時などは女子と話す気分だけでも息抜きにはなり、そのうち会話を楽しむ気持ちさえ抱くようになっていた。
「おはよ、マドモアゼルちゃん」
『もうお昼よ、薫くん』
 登校ついでに声をかけると人形はくすくす笑って体を揺らす。もう昼休みになっている。登校は昼過ぎになったが、午後には特に予定もなく、授業に出ようと思っている。
「意外だな、羽風が男に気を遣うなんて」
 席に着くと後ろの席で弁当を食べている守沢が声をかけてきた。
「え? 俺がいつ男に気を遣ったって?」
 守沢の言葉に振り返って思い切り顔をしかめる。「すごい顔だな」と彼はデリカシーのない感想を漏らして弁当箱のポテトを口に運ぶ。
「マドモアゼルによく話しかけているだろう。先生に言われたからではないのか?」
「あのねぇ、俺は男のことなんてどうでもいいの。でもマドモアゼルちゃんは女の子でしょ?」
「そういうものか」
 何が楽しいのか守沢は快活に笑う。弁当箱の隅に添えてあるポテトを眺め、羽風は首を振って立ち上がる。
「羽風? 午後の授業は出ないのか?」
「今日はね。じゃあね」


 斎宮は日誌を書き始めた。黒板を消し終わった羽風は先に帰るのも気が引けて手持ち無沙汰にその様子を眺める。『そんなに見られたら照れちゃうわ』とマドモアゼルは笑うが、斎宮の筆は乱れない。全く別々の文章を同時に組み立てる様子に、完全に分裂してるんだな、と珍獣でも観察する気持ちになった。
 教室には筆を走らせる音だけが響く。人形は穏やかな顔で羽風を見つめている。教卓に頬杖を付いて、ねえマドモアゼルちゃん、と心の中で話しかける。
 斎宮くんは君にとっての何なの。
 そうね、大事なお友達かしら。
 頭の中に浮かんだ声は斎宮の裏声ではなく、もっと優しい、本物の女性の声だった。勝手に返答を想像できるくらいには彼女と親しくなった自分に苦笑が漏れる。
 お友達? ずっと側にいるのに、それ以上じゃなくて?
 宗くんはあたしにお友達でいてほしいのよ。
 斎宮くんがそう望んだんだ?
 だからあたしはここにいるんだもの。宗くんのこと、守ってあげたいの。
 ……マドモアゼルちゃん、俺ね、俺、お母さんが──
「終わったよ、羽風。待たせたね。これは僕が出しておこう。マドモアゼル、帰るよ」
『薫くん、また会いましょう。たくさんお喋りしてくれてありがと』
「え、あ、うん、バイバイ」
 荷物を片付け、二人はあっさりと教室を出ていった。それを見送って、羽風は自己嫌悪に陥る。今の何、俺さっき、お人形に何喋ろうとしてたの。
「ヤバいじゃん、俺……」
 乾いた笑いしか出てこない。ため息を吐いたところで、マドモアゼルの言葉を思い出す。たくさんお喋りしてくれてありがとう。
 今日はそんなにたくさん喋っただろうか? 普段と比べて特筆するほど?
「……いやいやいや、まさか」
 首を振って立ち上がる。久しぶりにユニット練習に出たいと思った。うるさい後輩と寡黙な後輩と、そして並び立つ彼と会話でもしたい気分だった。
20191029

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