夜と亡霊
実際のところ、五奇人なんてものがいなかったとしても、多分俺は今と同じように毎日遊び回っていただろうと思う。思いはするが確かめようもないので全て五奇人のせいにする。あいつらさえいなければきっと俺のユニットだってもっと評価されていた、ライブをやって雑誌にも載ってテレビにだって映ったかもしれない。俺が得られたかもしれない、得るはずだったものは端からみんな流れていってしまう。全部あいつらのせいで。
それでもその憎い五奇人はもうそんな権威をなくしてしまったのだった。あの美しいユニットがその実力で以て彼らを地に伏せ御してしまったから。生徒たちはもう怪物を恐れることもない。俺はだから平和を享受して今まで通り遊び歩いている。
もう新学期になったとはいえ日も落ちると風は冷たかった。意味もなく公園の中を突っ切る途中で珍しいものを見付ける。怪物の脱け殻である。電灯から少し離れたところに座り込み微動だにしない。腕には髪の長い人形を抱え、背筋を伸ばして虚空のどこかを注視している。ぼんやりしていると表現するにはあまりにも凛とした姿だった。
足を止める。間近で見るのは初めてだった。一番近付いたのは確か講堂で行われたライブの時で、彼らの名前が売れかけてきた頃に友人の誘いで観に行ったのだった。高尚で緻密で難解なその公演は理解し難く、それがどこか愚か者だと責められているようで以来二度とライブには足を運んでいない。
それは劣等感であると今では理解しているし、同時に抱く必要のない感情であったことも分かっている。何故なら五奇人は悪であるので。あれを理解できなかったことは少しも恥じることではないのだ。間違っているのはあっちだ。俺は悪くない。
「……ゴキ野郎」
いつからか用いられるようになった蔑称が思わず口から零れ、それは単なる独り言だったのに、冷たい夜の公園に思いの外寒々しく響いた。それが聞こえたのか、彫像のようだった男の肩が一瞬跳ねた。思わず目を見開く。男は相変わらず無表情に大人しく座ってはいるが、さっきのように思索に耽っている様子は失われている。悟られないように装ってこちらに神経を向けている。
一時は帝王などと称えられた男が、斎宮宗が、俺の言葉にその集中を乱された、その事実は俺の背筋をぞわぞわと這い上がった。唇が歪む。こちらに目もくれないままひっそりと様子を窺っている斎宮に一歩近付く。一足ごとに警戒が強まるのを感じ、嬲るような気持ちでゆっくり歩みを進める。
「五奇人の……」
またはっきりと肩が跳ねる。人形を抱く腕に見て分かるほど力が籠る。逃げ場を求めるように僅かに足が震えている。俺は正解を探すように言葉を連ねる。五奇人、化け物、独裁者、負け犬。血の気の失せた真っ白い顔の陰影さえ視認出来る距離に近付いている。
「……fineに敗けた!」
「……ひぃっ、あああ!?」
それは間違いなく悲鳴だった。上擦って引き攣った情けない声を上げ、パニックに陥った斎宮は立ち上がろうとして足を縺れさせる。両腕で人形を抱き締めているから上手くバランスが取れないのだろう。尻餅を付いた彼に手を伸ばして襟首を掴む。大きなフリルは縫製が良いのか、柔らかな見かけよりも頑丈で破れる気配もなく、俺は危なげなくその身長に反して軽い体を引っ張り上げることができた。
斎宮は俺より背が高かった。襟を引っ張って顔を近付けても目を合わせず、助けを求めるように左右に首を振り視線をさ迷わせた。頼りないその仕草に無性に腹が立って、どうしていいのか分からなくて、脛を蹴ってやったらまた悲鳴が聞こえた。征服感が再び背筋を這い回る。掴んだ手に力を込めて前後に揺さぶったら首が締まったのか彼は咳き込んだ。──そんなことをしているうちに俺は自分が勃起していることに気が付いた。
性的なものではない、けれどそれに極めて近い興奮で頭の中が煮え立っていた。上手く呼吸もできない。狭くなった視界の端に公園の公衆トイレがそれだけやけにはっきりと映り、俺はまた斎宮の襟首を掴んでそちらへ引きずっていた。いくら彼が長身でも、人形を守るというハンデがあれば抵抗など無いようなもので、第一その抵抗は酷く弱々しかった。
夏には酷い臭いになる公衆トイレであっても寒い時期だからかそれほど気にならなかった。手前の個室に押し込むと二人にはあまりに狭くドアは閉められない。どうせ人など来ないだろうと高を括る。制服のジャケットを脱がせようとすると人形が邪魔で、煮えた頭でもいかにも高価そうなそれを乱暴には扱えず、手から奪ってタンクの上に座らせる。清潔さの保証はないけど。斎宮は人形を追って俺に背中を向けた。
フリルの縫い付けられたシャツを後ろから剥ぎ取って、地面に落とす。公衆トイレの床に白いシャツが広がり、俺は靴でそれを踏みにじる。肩越しにその光景を覗いた斎宮は喉から細い声を漏らす。
「……ぁ、あ、僕の、僕、の……」
「黙れよ五奇人」
俺はもう斎宮を怯えさせる言葉をかなり正確に把握していた。五奇人とかfineとか吹き込んでやる度に彼は律儀に錯乱状態に陥った。叫び声を上げて頭を掻き毟る姿に恐ろしいくらいの興奮を覚えながら、俺は斎宮のベルトを外し、下着と一緒くたにズボンを足元に落として、彼の腰を抱えた。それは随分細くて薄っぺらくて、色気よりは不健康さを感じさせた。同じく不健康そうな青白い肌はしかし磨りガラス越しの月光を浴びて発光するように暗闇に浮かんだ。
男とのやり方はよく知らなかった。制服のポケットに入れっぱなしだったゴムを着けて、その僅かなジェルの滑りだけを頼りに無理やり捩じ込んだ。俺の荒い呼吸音と斎宮の悲鳴混じりの呻き声が小さな建物中に広がった。斎宮の中は酷く狭くてきつくて気持ち良いのかも良く分からず、ただ焼ききれそうな興奮が俺を衝き動かしていた。その時。
『泣かないで、宗くん』
大丈夫、あたしはずっと味方だから。
どこからか、滑稽な、だからこそ薄気味悪い裏声が聞こえた。当然ここには俺と斎宮しかいない。斎宮の肩越しにタンクの上で微笑む人形と目が合う。
「マドモアゼル……」
今度こそ斎宮の声。縋るような涙声だった。
急激に血の気が引いていく。さっきまで馬鹿みたいに腰を打ち付けていたのが信じられないほど、射精寸前だったはずの俺のは完全に萎えて自然と斎宮の中から抜けていた。しかしもうそれらのことはどうでもよくて、俺はただひたすらこの得体の知れない生き物の側から逃げ出したくて仕方がなかった。
五奇人は悪だ、そうだ、俺は間違ってない。誇り高かったはずの帝王が壊れていることを眼前に突き付けられる。狂った腹話術。これは俺のせいじゃない、だって悪いのはそっちじゃないか、俺は、だって、俺は何もしてない。
俺の劣等感だけが宙に取り残されている。どこかで斎宮を探す声がする。見付かるのも時間の問題だろう。俺は呆然と立っている。
20191022