道を逸れる
巡と佐久夜が失踪していることに周囲が気付いた頃には、もう陽も高くなり始めていた。佐久夜の残した簡素な書き置きを発見したのは彼の父親だった。常からすれば随分遅い時間まで起きてこないと部屋を覗き、メモ書きを発見した。慌てた様子もない筆跡だった。あらかじめ用意していたのだとすれば、彼らは意図的に手掛かりを残さずに消えたのだろう。
文面から窺えるのは二人が共にいるということだけだった。佐久夜の父たる和津見はしばらく紙切れを片手に固まり、それから主の、つまり巡の父親の元に走った。巡の居場所も知れなくなったということだし、さらに言えばその責任は佐久夜にあると判断されても仕方なかった。
話を聞いた循は、彼の従者がそうであったようにしばし沈黙した。彼の言葉を待ちながら、和津見は思いの外落ち着いていた。いつからかこうなることを察していた気がするし、そして循の方もそうだったのだろうと今感じ取っていた。
やがて彼は「そうか」とだけ言った。辛抱強く続きを待ったがそれ以上の言葉が出てきそうになかったので、こちらから口を開いた。
「追いますか」
「……ああ、そうか、そうだな」
彼は頷き、立ち上がった。後を追って部屋を出る。家に戻って車を回すと、循も門の前で待っていた。
後ろに彼を乗せ、ひとまず新幹線の停車駅を目指すことにした。
二人きりになることどころか、最近では言葉を交わす機会すら稀だった。久々のことに緊張しながら、そして万一にも事故など起こさないように気を張りながら、こんな時だというのに高揚も覚えていた。空はよく晴れていた。息子たちは今きっと二人で、幸福なのに違いなかった。
「そこに」
後部座席の循が不意に指差した。彼に従ってその先にあった店にハンドルを切る。車を停め、後ろを窺う。循が自分でドアを開けて降りてしまうので、後を追った。
店は喫茶店だった。朝から開いていたのか既に客が並んでいる。最後尾に循が着く。その後ろに並んだ。
「良いのですか」
「追いつけると思うか」
「……思いません」
循は珍しく笑い声を立てた。
息子たちがどこにいるのか見当も付かない。いつ家を出たのかも分からないが、時間的なこと以上に、もっと根本的なところで差が付いてしまったと感じている。寄る辺ないはずの彼らを眩しく思うような気持ちもあった。
天気は良かったが、風は冷たかった。主の身体が冷えないか心配になる。取るものも取り敢えず出てきたので、防寒具などは持っていない。空を見上げる循の髪は白髪混じりで淡く、過剰な虚弱さを感じさせた。
幸いにもすぐに店内に通された。温かいものを頼み、二人で向かい合って席に着く。循は窓の外に目をやった。もうすっかり陽が高い。二人を見つけ出すことも、それどころか今後一生連絡を取ることすら叶わないのかもしれない。
「……この後は、どうされますか。駅まで向かいましょうか」
循が飲み物に手を付けないので、こちらも膝に手を置いて待っている。
「もしも」
窓から視線を戻し、主が真っ直ぐに見つめてくるのを受け止めた。
「このままこの地を去ろうと言ったら、着いてくるのか」
遥か昔、まだ二人が友人みたいな顔をしていた頃に似た口調で問われる。だが、あの頃からすればすっかり老け込んでしまった、と彼の顔を見て長い年月を改めて認識する。しばらく黙ったまま見つめ合った。
「……いいえ。それはできません」
結局そう答えた。二人には家庭もあったし、責任ある立場でもあった。簡単に捨てられるわけがない。
「そうか」と彼は笑った。
息子たちのように、成し遂げられれば良かったのかもしれない。佐久夜には化身があったが、自分にはない。巡は天才だった。彼を見ればその父親が舞い手として劣っていることは嫌でも分かった。
それでも、自分が焦がれ続けた、もしかしたら今でも求め続けているものは、栄柴循の舞奏だ。だから、ここを離れることに意味はない。欲しいものが二度と手に入らないなら場所は関係ない。
循はカップに口を付けた。すぐに飲み干してしまう。慌てて後に続く。立ち上がって、彼はぎこちなく微笑んだ。
「では、帰ろう」
道半ばで次代に託さざるを得なくても、何を成すことも出来なくても、全てが不幸でもなかった。次いだ先の二人が新しい道を選べるなら、それも価値のあることだと思えた。それに、側にいることは出来る。
「はい。共に参ります」
20240504