ウエディング分岐 | ナノ

ウエディング分岐

婚姻制度について設定なし

「二度と会うことはないと思っていたが」
 車椅子に座った栄柴巡は鵺雲を見上げて口元を歪めた。
 鵺雲は曖昧に微笑み返す。目の前の巡の口振りとは食い違い、鵺雲の方には彼と会った記憶はなかった。
 一応は親しくしている人間が不具の身になっているところを見るのはそれなりに衝撃的ではあった。とはいえ鵺雲の知っている方の彼には起こらなかった話だ。だから関係ない。僕は絶対に間違えない。
「何の用だ。哀れみに来たわけでもないだろ」
 そうだね、と鵺雲は首を傾げる。用があったわけではない。これは単なる返還で、大した意味はないので。もっとも、こんな姿になった彼に会うのは想定外ではあったが。
「君が幸せだったらいいなと思って」
 結局鵺雲はそう言った。巡は一瞬あっけに取られて、それから幾分柔らかい表情で呆れ笑いをした。
「幸せそうに見えるのか」
「あまりそうは見えないけれど」
 正直に答えると巡は笑った。
「だが、今が特別不幸というわけでもないんだ。生まれてこの方、幸せだった瞬間なんてないからな」
「そう」
 人生で一度も幸福を感じたことのない人間はどのように舞うのだろうかと暫し興味を引かれたが、恐らくは鵺雲の知っている彼のものと大差ないのだろうと思った。
「君は結婚しないの?」
「結婚?」
 巡のことを思い出して話を振ると、巡は目を丸くして、今度こそ呆れ果てたように笑った。初めて力の抜けた親しげな雰囲気で鵺雲を見上げた。どこかに鵺雲のよく知る彼のような人懐こさが見えていた。
「誰がわざわざこの身体の人間を選ぶと思うんだ」
「佐久夜くんとか」
「ああ」
 巡は目を伏せた。
「あれもいずれ離れていくだろう。あれが欲するものはもう与えられないし、生涯雇うだけの余裕ももうない。ここにいる理由がないことに気付けばすぐに」
 そうかなあ、と鵺雲は思ったが、口には出さなかった。自らその身を引き裂くような真似をしている相手に言葉が届くとも思えなかった。
「あれと話したいなら好きにすればいい」
「そうさせてもらおうかな。それではね」
「今度こそお別れだろうな」
「きっとね」
 巡が車椅子の向きを変えたのを合図に、鵺雲は部屋を出た。知っている栄柴の家とは構造が異なったが、特に迷うこともなく外へ出る。すぐそこに佐久夜が立っていた。
 初めて会った時も二度目に会った時も彼は苦しみを抱いているようだったが、目の前にいる彼はいっそう酷いように見えた。
「佐久夜くん」
「……覚えていてくださったのですね」
「当然でしょう」
 佐久夜は堅い仕草で礼をした。
「佐久夜くんは、ずっと彼と生きていくつもりなの?」
 突然の問いにも、彼は表向き動揺を見せることもなく真っ直ぐに答えた。
「はい。私は生涯あの方にお仕えする身です」
 立ち上がることも出来ない彼を見捨てられないような男だから、きっと二人は互いに苦しみだけを与え続けるのだろうと思った。共に滅びるその時まで。
 そうはならなかった二人を思い出して、鵺雲は愉快な気分になる。
「やっぱり僕は間違わなかった」


「九条家の人がわざわざ来てくれるなんて光栄ですよー! なんで急に?とは思いますけど。でもありがとうございます」
 応接テーブルの向こうで巡が愛想笑いを浮かべている。警戒しているのが露骨に伝わってきていた。
「俺の結婚ってそんな一大ニュースだったりします? 正直理由が分かんないっていうか」
 結婚をするのか、と鵺雲は彼の立場を確かめる。このパターンは想定内だった。
「君が幸せなのか気になって」
 答えると、巡の愛想笑いが一瞬皮肉っぽい色を乗せた。
「えー、超ハッピーですよ。お嫁さんもいて、大親友にも祝ってもらって」
「それは良かった」
 巡は笑っている。無理をしている様子でもなかった。本当に彼はそれなりに幸福なようだった。少なくとも怪我はしていないし、幼馴染に捨てられることに怯えてもいない。
「佐久夜くんも結婚するんだっけ」
「どうでしょうね? でも近いうちにするんじゃないですか。あいつもパパになるんだなー。俺絶対お年玉とかあげようって思ってて」
 にこにこして展望を語る彼は、鵺雲が興味を持ち続けるにはあまりにも平凡だった。物語から降りてしまっていた。彼に寄り添わなくてはいけない佐久夜に同情を覚えてしまうほどに。
「佐久夜くんとも話してみようかな」
「佐久ちゃん? 面白いことないと思いますけど……その辺にいるんじゃないですか」
 巡と別れ、家を出る。向かうまでもなく佐久夜が立っているのを見つける。
「久しぶりだね」
「覚えていてくださったのですね」
 この佐久夜も相変わらず無表情だった。
「巡くんの結婚は、君にとっても喜ばしいのかな」
「……巡が幸せなら、私はそれで」
 そんなことを言いながら、二度と取り戻せなくなってしまったもののことだけを考えているのだろうと簡単に見透かせた。
 二人はとっくに後日譚の中にいた。
「うん、やっぱり間違ってない」


「鵺雲さんはこの後どうします?」
 突然話しかけられて、鵺雲は表情を崩さないまま、「二人はどうするの?」と聞き返して時間を稼ぐ。
「俺はそろそろ結婚しようかなって思ってます」
 装束姿の巡が答え、鵺雲よりも巡の隣にいた同じく装束姿の佐久夜の方がショックを受けた顔をする。
「…………結婚、する、のか」
 真っ青になった佐久夜が言葉を絞り出し、巡は首を傾げる。
「佐久ちゃんだって結婚したいよね?」
「……俺は…………、いやそれよりお前が」
「え、したくない? ちょっとショックなんだけど」
「……お前はもう、無理に結婚なんてしなくてもいいと、」
「無理じゃない。俺はちゃんとお前と結婚したい」
「………………?」
「佐久ちゃん、俺と結婚しよう」
「………………何が何を?」
「だーかーらー! 俺と佐久ちゃんが結婚すんの!」
「俺と佐久ちゃんが結婚!?」
「そのまんまリピートするんだ」
「お前と佐久ちゃんが結婚」
「もう一息だよ佐久ちゃん」
「お前と……俺が?」
「大正解!」
 巡が佐久夜に飛び付くのを、わあ、と鵺雲は見守る。佐久夜と目が合って、新種のセミみたいにしがみ付く巡を張り付けたまま、彼が視線で何か訴えてくる。なんとなく助けを求められている気がしたが、まさかおめでたい話でそんなわけあるまい。鵺雲は間違えない。
「結婚するんだね。心から祝福するよ」
「ありがとーございまーす!」
「いや……俺はまだ何も」
「え?」
「え?」
「え?」
 三者がそれぞれに戸惑いの声を上げる。
「結婚するんだよね?」
「結婚しないの?」
「結婚するのか?」
 佐久夜は巡を引き剥がして地面に降ろす。
「本当にそれでいいのか」
「仕方ないって思ってるよ」
「一生離してやれないと思うが」
「元からじゃん。だったら結婚しちゃった方がよくない?」
「そうか……? そうかもしれない」
 巡は一歩後ろに下がって、促すように佐久夜を見た。それで二人の間では通じたらしく、佐久夜が跪く。
「巡。俺と結婚してくださいませんか」
「いいよ」
 立ち上がった二人が抱き合うのを少し離れたところから見守りながら、鵺雲はそうならなかった彼らのことを思い出す。
「幸せ?」
 漠然と問いかけると、巡は答えないでピースサインだけして見せた。
 最後まで間違わなかったな。鵺雲は一人、誰も気付かない自己満足に浸った。
20231104


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