染まる
差別語がある
「秘上くんってさあ、もしかして『佐久ちゃん』?」
「……その呼び方はあまり好きではないが、そうだ」
「やば、なにその喋り方」
突如飛び出してきた武士みたいな調子に大ウケして手を叩いて笑っても、彼は無反応だった。巡の大親友って巡がたまに名前を出すのは聞いてたけど、まさかこんな高校生らしからぬ喋り方とは思わなくて、意外性がありすぎてかなりツボった。これが最初の会話で、それ以来佐久ちゃんって呼び続けてる。
「佐久ちゃんって巡と仲良いんだよね? 組み合わせ謎いんだけど」
膝を付いて真剣な顔でパネルにペンキを塗る彼に話しかける。赤連合の赤の字をレタリングしていた彼は一瞬手を止め、作業を続けた。「家が近所だ」とだけ答えが返ってくる。マジでそれだけ? だってタイプ全然違うじゃん、合わなくね?
佐久ちゃん。固そうな髪を跳ねさせて、耳には小さいピアスも着けている。見た目は確かに巡の連れっぽい感じあるけど、性格はド真面目だし喋り方はあの調子だし、なんというか、釣り合ってない。
「…………相性が悪いとは思わないが」
佐久ちゃんは少し黙った。眺めているとつくづく巡とは真逆だ。ほんと、なんで仲いいんだろ。
「巡は交遊が上手い」
佐久ちゃんは自分の言葉に納得したのかひとつ頷く。でも巡って男子とつるんでるとこ全然見ないよな、とか考えていた。今だって女子に紛れて何か喋ってるみたいだし。あいつ体育祭の準備サボってるな。応援用のパネル作り、テントの装飾作成、あとはもちろん競技練習に応援練習、やることは山ほどあるっていうのに。
巡の方を見てたら目が合って、彼がこっちへ来る。
「佐久ちゃん女の子と話してるー。ずるいんですけどー」
佐久ちゃんに覆い被さりながら腕で目を塞ごうとする。「危ないだろ、ペンキが付く」佐久ちゃんは怒った口調で言う。元から不機嫌とも取られかねない雰囲気が常にあるけど、ほんとに怒ると怖いんだなって思った。
「何の話してたの?」
巡は佐久ちゃんの頭を抱え込んだままこちらを見る。巡と佐久ちゃんって仲いいよねって、と正直に答えると、きゃーってわざとらしく巡は佐久ちゃんの首に抱き付き直した。
「佐久ちゃんってば俺のこと好きすぎだからね!」
否定するのもめんどくさいのか、佐久ちゃんはため息だけついた。巡はけらけら笑い、背中に乗っかったまま頬を寄せる。遠くで「やだぁ」と女子の声がした。
「あ、佐久ちゃんってこの後騎馬戦の練習出るよね?」
「その予定だ」
「オッケー、一緒に行こうね」
男子全員参加の騎馬戦は今日集団練習がある。騎馬戦は参加しない女子にも人気の競技だ。派手だし、あと男子が脱ぐから。頑張ってねーとかそういう当たり障りのない応援を口にしてから、ふと雑談のつもりで言った。
「騎馬戦ってさ、毎年怪我人出るらしいね」
「…………怪我」
「流血したり、酷いと骨折ったり」
「聞いたことある」と巡は頷いた。
「俺は怪我くらい平気だけど、佐久ちゃんは困るよね」
「なんで?」
「道場通ってるし、家の手伝いもあるでしょ?」
俺はそういうの全然ないからなー。巡はなんだか初めて見る表情で小さい子みたいに嬉しそうに笑う。まるで怪我することに憧れてるみたいな、ドMかよ。
「…………お前だって、痛いのは嫌だろ。ちゃんと気を付けろ」
「まあねー。あ、じゃあ佐久ちゃん脱ぐの禁止ね。怪我するかもでしょ?」
「分かった」
佐久ちゃん脱がないんだ。すごい鍛えてるらしいから気になってる子も多いと思うんだけど。あ、だからかな。俺よりモテないでよ、的な?
体育委員が男子集合の号令をかける。頑張れって二人を見送る。佐久ちゃんは巡と連れ添いながら何か言いたげに巡を見下ろしていた。
競技練習とか差し入れの買い出しとか、みんなそれぞれに出掛けて行った結果いつの間にか教室に佐久ちゃんと二人残されていた。
佐久ちゃんと巡って普段何話すの? 黙ってるのも感じ悪いかなと思って話を振る。共通の話題って巡くらいしかない。
「何……と言われても難しいが」
「じゃあ、どこで遊ぶの?」
これもあんまイメージできない。二人の居そうなところが全然一致しない。
「大概は商業施設へ……買い物をしたり、ゲームコーナーへ行ったりする」
意外と普通。ゲーセン行くんだ、佐久ちゃん。きっと巡が無理やり引っ張って行くんだろうな。最近気付き始めたことだけど、佐久ちゃんは意外と巡のわがままに付き合いがちだ。
そうだ、と偶然近くにあった自分のスクバを引き寄せ、ぶら下げているキーホルダーの中から白い猫かなんかのぬいぐるみを見せる。
「これ、巡に取ってもらったやつ」
「巡はクレーンゲームが上手いからな」
感心して頷く佐久ちゃんはなぜか少し誇らしげに見える。確かに普通よりは上手かったけど、別に自慢するほどすごいって程でもなかったと思うんだけど。
ぬいぐるみを撫でながら巡すごいよねーとか適当に相づちを打っていたら、珍しく佐久ちゃんの方から口を開いた。
「…………あの、失礼なことを訊くんだが」
「え、いいよなんでも。うちらの仲じゃん」
「巡に……巡のことが好きなのか?」
意外なことを言われる。佐久ちゃん恋話するんだ。
巡のことは、昔はそんな感じだった。いい雰囲気でもあったと思う。けど去年遠回しにフラれてるんだよな。その辺りを上手く説明できる気がしなくてちょっと黙ると、佐久ちゃんはどこか言い訳するように続けた。
「俺から言うことでもないが、あいつはあまり、慎みのある奴ではない」
巡が不誠実なことなんかみんな知ってる。その上で遊んでるのが大半じゃない? 本気にならなければ、彼といるのは楽しい。楽しかった。
「…………すまない、今のは…………」
佐久ちゃんは言葉を探して黙り込み、沈黙が下りる。
足音とざわめきが近付いてくる。買い出しか練習からみんなが戻ってきた。一気に賑やかになる教室の中、おかえりーって駆け寄ってハイタッチなんかして友達を迎える。
「えーなに、二人だったん」
友人たちは囲むように顔を寄せてにやにやと声を潜めた。
「始まっちゃう?」
体育祭マジックという、ある種のロマンというか言い伝えというか、まあとにかく体育祭という浮かれた雰囲気の中でカップルが成立するって話は結構有名だ。どうだろーとかわざとらしく誤魔化しながら内心では納得していた。佐久ちゃんから珍しく恋話なんてしてきた理由、巡のことで牽制じみたことを言った理由、それってつまり、そうなんじゃない?
あの日二人きりだった話が妙な感じで広まって、佐久ちゃんと「そういうこと」として遠巻きに面白がられている。正直悪い気はしない。誰かに好かれるってそれだけで嬉しいし、恋されてるって思うとなんかこっちも意識しちゃって、つまり早い話が佐久ちゃんのことを好きになっていた。
気を回してくれたみんなのお陰で、佐久ちゃんと二人で買い出しに行かされる。しばらくバスに乗って、ちょっと徒歩。土曜日、昼下がりの街。なんかもう既にデートみたい。
桜貝みたいな淡い色に染めた爪に気付いてくれないかなって期待している。
昨日の話だ。佐久ちゃんって何色が好き? 完成したパネルを眺めながら雑談ついでに尋ねると、「ピンクじゃない?」と何故か隣の巡が答える。
「……そうか?」
「え、好きでしょ」
「……そうなのかもしれない」
絶対ピンクってキャラじゃないのに、佐久ちゃんは真面目くさって頷いた。巡の言葉に従いがちだとは思ってたけど、改めて見ると変な奴だ。
スクバを担ぎ直す。巡が取ってくれたあのぬいぐるみが揺れる。もしかしたら佐久ちゃん妬くかもって悪戯心で付けっぱなしにしてたけど、今はあんま巡のことを思い出したくなくて、八つ当たりにピンクの爪を縫い目に立てた。
隣を歩く佐久ちゃんは真っ直ぐ前を見ていて、低い位置にある爪になんか気付きそうにない。佐久ちゃんが本当にピンクが好きかどうかは分かんないけど、昨日の今日でネイルしてきたら、少しは意味を察するでしょ?
「佐久ちゃんって好きな人いんだっけ」
向こうから来てもらおって思ってたのに、我慢できずに訊いてしまう。なんて答えるかなってドキドキを楽しむ間もなく即答で「いない」と返ってきて、一瞬理解できずに固まった。
「俺が恋愛をすることはない」
予言でも宣言でもない。決まっていることを読み上げるように彼は言い切った。
「…………それって、巡関係ある?」
疑い半分、確信半分。佐久ちゃんは黙った。濃い睫毛が伏せた瞳に影を落としている。ずるいくらい睫毛が長い。
「なにそれ」
刺々しい声が出る。
佐久ちゃんが巡を特別扱いするのは、それは分かる。幼馴染みで親友だって言うし。でも、行きすぎている。二人のやたら近い距離感とか、見え隠れする不均衡は、なんかめちゃくちゃ不健全なように感じられた。佐久ちゃんがそれを受け容れているのが許せないことに思えた。
「二人さあ、裏でめちゃくちゃ、ホモとか呼ばれてんだよ。知らなかった? 佐久ちゃんいっつも巡にべたべたされて逃げないじゃん。今だってなんでもかんでも巡、巡って」
苛立つあまりほとんど暴言を口走ってしまう。だけどそれで佐久ちゃんが自分たちの異常さに気付いてくれたらいいと思った。なのに酷いことを言われても彼は平淡に斜め下の返事をする。
「……俺のせいで巡が悪く言われるのなら、対応を考えなくてはいけないな」
「そうじゃなくて!」
なんで分かんないのかなあ。通じなすぎて泣きそうだ。この際巡なんてどうでもいい。
「それじゃ佐久ちゃんが巡の奴隷みたいじゃん!」
「奴隷じゃない」
不意に佐久ちゃんは強い口調になった。あの暗い鋭い目が真っ直ぐにこっちを射貫く。
「俺は下僕でも手下でもない」
淡々と、でもきっぱりと彼は言う。話し方はいつも通りだけど、もしかしたら、彼は怒っている。
「……でも、佐久ちゃん……」
何を言っていいのか分からなくなって口ごもると、「……それから」と彼は呟いた。
「その呼び方は好きではない」
無意識に立てていた爪がぬいぐるみの縫い目をついに貫く。
彼はふと我に返って、堅苦しいやり方で非礼を詫びた。それから何事も無かったように二人で買い物をして、荷物は彼が全部持ってくれて、道路側を歩いてくれた。彼はそういうことのできる人だった。それは多分優しさとかではなかった。
隣を歩く横顔を見上げるとピアスが目に入る。彼らしくないけばけばしいピンク色。絶対に誰かが彼に押し付けたんだろうそれは、引き剥がせないほど彼によく馴染んでいる。
20230917