俺は絶対にウォンバットの尻なんか揉まない | ナノ

俺は絶対にウォンバットの尻なんか揉まない

 小さい頃は間違いなくただの友達だった。俺と彼は同じ庭で遊びおもちゃを取り合った。冗談を言ってしばき倒すこともあったし、取っ組み合いの喧嘩もしたし、1.7メートル離れた窓から漫画を投げ合って交換した。俺が渡すよつばと!やゆるゆりやのんのんびよりは、GANTZやベルセルクや彼岸島とすれ違って窓から飛び込んできた。漫画の趣味は合わなかったが、女の子の好みは似ていた。俺たちはどちらもあずまんが大王では大阪派だった。それで中学の時には同じ女の子を好きになって、いろいろあったが割愛する。
 大きくなるにつれ俺は少しずつ俺たちの境界線に気付き始めていた。父が夕食の席で彼を「黒城様のご子息」と呼ぶこと、俺の家が黒城邸の囲いの中にあること、父が出勤する先が彼の住む城のような家であること、母が彼の父親と会うとき決まって左手の指輪を外すこと。高校生にもなると、それらの意味が像を結び始めていた。うちの生活の全ては彼の家に依存していた。俺は正しく俺たちの関係を理解した。
「黒城様とずっと友達でいたいですぅ」
 露骨に媚びへつらう俺を、彼は小突いて笑った。彼にとっては冗談だったのだろう。俺にとっての生命線は。
 そんな生活にはうんざりしていた。成人した俺は、黒城グループの外に勤めようと就職活動に励んだ。当然彼には伏せていたが、履歴書の束を見られて露見した。彼は最初酷くショックを受けたようだったけれど、やがてぽつりと「いいな」と言った。
「僕も連れて行ってよ」
 ご命令ですか。そう訊くと「うん」と頷く。
「でも家を出たら、僕たち、ただの友達になろう」
 馬鹿なことを言う。今更ただの友達になんてなれるわけないだろ。家を出たらお前なんか原付に乗ることもできないんだぞ(無免許だから)。メリットとデメリットで言えば、家を離れた彼と友人でいることなんか何のメリットもない。はずだ。お前は勘違いしているけど、俺たちは最初からお友達なんかじゃなかったんだ。
 それでも俺たちは二人で黒城の敷地を抜け出して、その手の届かない土地で暮らし始めた。
「お前も働けよ」
 彼は最初敬語をやめた俺に戸惑ったようだったが、すぐに慣れた。彼はコールセンターで働き始めた。最初の一週間は余裕そうに笑っていたが、初めて酷いクレーマーに遭ったらしい日には目を赤くして帰ってきた。翌日出勤するのも気が重そうだった。
 仕事は彼をすり減らしていった。労働を舐めくさっていた彼が疲れ怯えるのを、俺は最初いい気味と思っていたはずだった。勉強をして正社員になった俺と比べ、運転免許もなく毎日怒鳴られているらしい彼の惨めなことといったら! 何も知らない愚かなお坊ちゃんが相応に踏み躙られ、俺は安全なところからそれを笑っている。確かにそれは楽しいはずだった。俺は彼の家が支配するかつての生活の復讐をしているはずだった。
 なのに愉悦は長く続かなかった。彼の暗い表情に耐えられなかったのは俺だった。その時俺は、かつての彼の輝き、無免許で原付を飛ばして俺を土手に置き去りにするような、俺のよつばと!を窓から落としても平然としているような、飼いウォンバットのケツをグーで叩いて鳴らすような、傲慢で無茶苦茶な、そういうところを愛していたのだと気が付いてしまった。
「かける、もう、働かなくていい……」
 俺が働くから、お前を養うから。彼の仕事を辞めさせて、俺は副業のバイトを始めて、そうやってなんとか暮らしていこうとした。でも彼の輝きは戻らなかった。夕食に並ぶ生姜焼きともやし炒めと味噌汁というなかなか豪華なラインナップを見て、彼はついに泣き出した。
 帰りたい、と彼は言った。
 分かりました、と俺は応えた。
 拍子抜けするほどあっさりと、彼は黒城に迎え入れられた。長らく縁のなかった豪奢なシャンデリアの下がる応接間で、彼は俺をあのきらきらする目で振り返った。
 これでまた一緒に遊べるね。
 彼の父親の冷たい目に気付いているのも、その人がその気になればどんなことができるか恐れているのも、もう二度と会えないだろうことを知っているのも俺だけだった。俺はなるべく穏やかそうに見えるよう頬を引きつらせながら応えた。「はい、黒城様」
20230915


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