分岐点はどこにもない | ナノ

分岐点はどこにもない

「馬鹿みたいだと思うだろう」
 声が降ってきて、佐久夜は靴下を履かせていた手を止めて主人を見上げる。目が合うとその人は顔を背けた。握られてシーツに皺が寄る。
「何もできないのに、こんな、ことばかり」
 声は引き攣っていた。佐久夜は黙ったままその震える喉を見上げた。先ほどまで佐久夜に抱かれて声を押し留めていた喉、さらに前には舞台の上で声を響かせていた喉。時にはリズムも音程も滅茶苦茶に歪んでいるのに人を惹き付けた。記憶の中にしかないそれに一瞬陶然としかけて、返事をし損ねたことに思い至る。沈黙はきっと肯定と同じ意味を持っている。
 けれど否定したところで大した意味もなかった。秘上が栄柴を悪く言うはずがないので。何を言ったってそう定められているからとしか映らない。今さら佐久夜が本心から巡を敬愛しているなんて誰も信じるはずがなかった。本人達ですら。
 服を整え、車椅子に座らせてやる。指先が力なく下がれと命じてくる。こんな惨めな姿を晒させたいわけではなかったのに。
「次は私からお誘いすれば良いですか」
 主は俯いたまま答えなかった。肘掛けが強く握られるのを見て、佐久夜はまた選択を間違えたことを知った。
20230611


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