知らないふり | ナノ

知らないふり

 初めて他人と唇を合わせたのは中学生の時だ。相手は当然のように巡だった。自由気ままに過ごすようになってからの彼は恋愛ものに熱中していた。映画でもドラマでも小説でも片端から手を出して、気に入ったものは佐久夜にも薦めてきた。そういうものばかり見ていたからそういう行為に興味を持つのも自然なことだったのだろう。
「ねー、キスってどんな感じかな?」
「知るか」
 すげなく返しても彼は「佐久ちゃんまだなんだ」とやたら嬉々としてからかってきた。
「試してみようよ」
「意味がないだろ」
「えーでも、なんかすっごいことみたいじゃん? 漫画でもドラマでもさー」
「フィクションだ」
「一回だけ!」
 面倒になって受け入れることにした。さっさと済ませようと巡の方に顔を向けて、思いの外接近されていたことに驚く。なんとなく自分がリードする側だと思っていたので。そのまま彼が近付いてきて、軽い感触は一瞬で離れていった。
「……どうだった……?」
 元の位置に戻った巡に訊かれる。どうということもないと答えるほかなかった。特別なこととは思えなかった。思いたくなかっただけのことかもしれない。巡が恋愛ごとに期待しているのが恐ろしかった。自分がしでかしてしまったことを思い知らされる。

 二回目までには期間が開いた。ある日部屋に呼びつけた巡は妙に落ち着きなく辺りを気にしていた。
「何だ。誰もいないだろ」
「いないかな? こっち寄って」
 彼は佐久夜に身を寄せて内緒話をするように声を潜めて言った。
「あのね、べろ入れるんだって」
「……何の話だ?」
「だから、キスする時」
「…………そんなこと…………」
「でもみんな書いてるんだもん」
 巡はその辺に積んである雑誌やら洋画のパッケージやらを手で示した。
 舌を入れるなんて信じられないくらい変態的でいかがわしい行為に思える。道理で巡もこそこそするわけだった。同時に、何故こんな話をされているのかも悟った。試してみたいと言われるのだろう。期待する目が見つめてきていた。
 流石にもう好奇心で済ませられる行為ではない気がしたが、逆らうわけにもいかないので、結局そうすることになった。生暖かくぬるつく物体が口の中を触り、反対に巡の口内を遠慮がちに探って、息苦しくなって離れた。そこまでしてもやはりその行為に特別な意味は感じられなかった。

 それからまた長い時間が経った。随分身長も伸び、体つきも変わっていた。あれ以来、似たような行為を求められることはなかった。巡の周りにはいつも女子生徒がいたから、彼女たちとしているのかもしれないと思っていた。
 いつも通りに巡の行動は気まぐれで突然だった。
「佐久ちゃんってさー、どういうので抜いてんの。てかやるの?」
 何の話だと訊き返すのも見越していたのか、遮って下品な言葉を言われた。佐久夜が嫌がるのを面白がってか巡は時折品のない言葉を使う。自分の反応が彼を増長させているのは分かっていても、幼馴染みの口から聞きたくはない。
「人に言うことじゃないだろう」
「内緒にするから! 俺たち大親友じゃん」
 そういう話じゃないだろと思うが、彼が引き下がりそうにないので仕方なく明かした。大して変わったこともしていないので案の定「つまんないね」と切り捨てられた。
「佐久ちゃんらしいけど」
「帰っていいか」
「なに、俺に話して興奮したの」
「帰る」
「待って待って待って!」
 立ち上がった下半身に抱き付かれて引き留められ、また座る。
「ねー、……してるとこ見せてよ」
「断る。絶対にしない。お前の頼みでも」
「じゃあさ、じゃあ、触りっこしよ」
「何がじゃあなんだ」
「みんなしてるんだって。サッカー部の奴らが話してた……って女の子から聞いた」
「又聞きじゃないか」
「お願いっ」
 最終的にはいつも通り佐久夜が折れて応じた。新しい試みは今までのように無感動に終わりはしなかった。少なくとも肉体的には快楽があった。同じくらいに苦痛だった。巡の手が、そんなことをさせていいはずのないあの手が自分に触れている。なるべく考えないように、その上それを悟られないようにしなければならなかった。心臓が恐ろしくなるくらい早くなった。
「……、……出すとこまでする?」
 「お前のいいように」と掠れる声で佐久夜は答えた。巡が幸せならそれでいいと思い込もうとする。
 今度の行為は快楽という報酬が分かりやすかったせいか、何度か誘われた。その度に押し切られて応じながら、いずれエスカレートしていく予感を覚えていた。予感は当たって行き着いたのは言い訳しようのない性交だった。
 「いいでしょ?」問われてしまえば頷くほかなかった。向き合って座った姿勢で巡に跨がられて酷く狭いところに飲み込まれていく。きつく締め付けられて引き千切れそうな痛みばかり感じた。巡の肩に顔を寄せて呻き声を噛み殺した。恐らくは彼も同じように耐えているのだろうと、震える身体から感じ取った。
「佐久ちゃん」
 鋭く名前を呼ばれ、顔を上げると乱暴に唇が押し付けられた。一度の過ちにしてくれないつもりだと直感した。
 果たしてその予想も当たり、繰り返し身体を重ねた。幼馴染みを抱くことへの抵抗もそのうち忘れ、義務的に行うばかりだった。最初は意地か何かのようだった巡もそれなりに楽しんでいるように見えたし、それなら拒否できる理由もなかった。
 味気ない習慣はしばらく続いたが、二人の関係が揺らぎ出した頃からぱったり途絶えた。
 短い間にたくさんのことが起きた。
「覚えてる? 初めてキスした時のこと」
 ある日、巡は佐久夜の手に手を重ねて問いかけてきた。二人が勝ち取った、二人だけの部屋での話だ。あの日もこんな風に並んで座っていたかと、佐久夜は幼い自分たちを思い返す。
「覚えている」
「あれからいろいろやったよねー、俺たち」
 巡は笑って、いつかのように見つめてきた。
「もう一回試してみない?」
 分かったと答えればいいはずだった。今までそうしてきたし、大したことでもない。
 そのはずなのに返事をしようとして目が合った瞬間からそう思えなくなった。重ねた手の温度と感触が痺れるように腕まで這い登ってきていた。
「……っ、ああ」
 言葉に詰まった。巡が近付いてくる。目を閉じられない代わりに身体が固まる。柄にもなく緊張していると気付く。初めての時と同じように触れるのは一瞬だったのに、焼け付くように感触がいつまでも残っている。
「……続きする?」
 返事の言葉が出てこない。さっきから耳がじんとしている。心臓が動いている感覚がはっきりと分かる。逃げ出したくなった。
 返事をしない佐久夜を巡はじっと見つめる。
「そういう感じなんだー、へえ」
 何か理解したらしい彼はすっと目を細めて意地の悪い笑い方をした。
「で、これから何すんの?」
20230604


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