ロマンチックラブイデオロギーについて、彼の思うこと | ナノ

ロマンチックラブイデオロギーについて、彼の思うこと

 高校生ほどの頃には、巡はもうそれなりに自分の人生を見通していた。もう舞台には立たない。その代わりに家の決めたどっかのお嬢さんと結婚して、子供を作って、家を守るために死ぬまで身を削り続ける。絶対に避けたいという程でもないが、希望でいっぱいでもない。妥協と諦念だけがある。
 とはいえロマンチックな希望がひとつだけある。誰かさんが、手を取ってくれたあの日のように劇的な言葉をくれることだ。そうしたらその言葉を頼りに生きていけると、巡は夢想していた。あいつのことだから素敵なシチュエーションなんか望まないけど、せめて二人きりで静かなところで、誰にも秘密にして。
 結局そうはならなかったので、巡は全く想定外の人生を生きている。今現在は、幼馴染みと古アパートで同居をしている。

 実家では、栄柴の姓を持つ者が炊事場に立ち入ることはなかった。炊事をするような身分ではなかったから、というよりは、その仕事を受け持つ者たちへの配慮だ。上に立つ者が安易に踏み入っては彼らの仕事に影響が出る。もしかしたら使用人たちの控え室よりも厳密に、その一線は守られていた。高校生の巡だって、夕飯までを凌ぐのにわざわざ佐久夜を差し向けないといけなかったくらいだ。
 二人で暮らすようになってからは巡も台所に入るようになった。というか廊下の一部なので通るしかなかった。それは仕方のないことと受け入れている佐久夜も、料理中に巡が顔を出すことは嫌がった。家の者たちのように監視されていると感じるのか、それともあるいは一口しかない小さなIHコンロが幼馴染みを焼き尽くすとでも思っているのか。
 そういうわけで料理は佐久夜の担当だった。巡は未だに包丁を握ったこともないし、猫の手がどんな形状を指すのかすらよく知らない。レンジだけは教えてもらったので使える。
 二人の食卓は慎ましいを通り越して倹しかった。なんとか一汁一菜は保てている程度のものだ。それでも栄養のことはよく考えられていた。絶対に巡に不自由を感じさせまいとしているようだった。
 佐久夜が納豆を混ぜている。彼はどちらかと言えば薄味を好んだし巡は濃い方が好きなので醤油は多めに入っている。混ぜ終わったそれはまず巡に渡される。半分に区切った片方を米にかける巡を眺めながら佐久夜は言った。
「愛してる」
「……え、何?」
 勢い余って半分よりだいぶ多めに乗せてしまった。慌てて納豆パックを水平に戻しながら佐久夜を見る。
「なんて?」
「だから、愛していると」
「今!?」
 納豆の糸を切ろうと箸をぐるぐる振り回している状態で言われたい言葉ではなかった。そんな状態で言われたい言葉なんかあるわけもないが。
「ちょっ、待っ……糸が」
 なんとかその場を収めた巡から納豆を受け取って自分の分を乗せている。そのまま食べ始めようとするので、「待って!」とわりと大きめの声が出た。
「箸を置いて……茶碗も。後ろに下がって」
 銃撃犯を牽制する警察みたいになった。じりじりと距離を取りながら佐久夜も投降するように両手を見せる。
「座って」
 ベッドを指差す。大人しくそこに掛けた彼の隣に座る。
「えーと……なんでそんなことを言ったのかな?」
 今度は取り調べになった。
「そんなこと?」
「あ、愛してる……とか」
「そう思ったので……」
「なんで」
「同じものを食べているなと」
「うーん、確かにそうだけど」
 徐々に同じ成分で構成されるようになっていく。同一化。食べているつもりで喰われていたとか、洒落にもならない。ロマンスの欠片もない。
「零点だよ」
「………………それは、俺とはもう、一緒には居られないという意味か」
「や、今日明日にどうこうって話じゃないけど、でも続くようだったら考えるかも」
 佐久夜は蒼白になった。
「だからやり直してよ。もうちょっとロマンチックな感じで」
「なんだロマンチックって」
「俺にも理想とかあんの! いいでしょそのくらい!」
 お家のために健気に死ぬつもりでいたので、妄想くらい少し盛ってもいいだろ、と思っていたら理想はちょっと高すぎる感じになってはいた。とはいえ百点は取れないまでもこんな、安アパートで隣の家の洗濯機の音をBGMに八割豆腐のハンバーグと九割キャベツの炒めものと納豆が背景なんて零点にも程がある。
 佐久夜は巡の両手を包んだ。
「えっちょ、待っ」
「愛してる」
 隣の家の洗濯機の音もハンバーグもキャベツも納豆もそのままだった。シチュエーションに一ミリも変化がない。ただ正面切って言い直しただけだ。それだけで、そういえば俺こいつのこと大好きなんだった、と巡は思い出す。とりあえず及第点を付けてしまいそうになり、手が滑って満点になった。
20230410


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