正しい宛名 | ナノ

正しい宛名

佐久←モブ要素あり

「めぐ──」
 発しかけた言葉は勘違いに気付いて途切れた。自分の席に鞄を掛けていた巡はそれでも振り向いて、「何?」と寄ってくる。
「いや、すまない。間違えた」
「えー、だから何って」
「お前宛てかと」
 机の引き出しに入れられていた封筒を取り出す。薄い水色をしていて小さな花のシールが散らされている。装飾はシンプルながら明らかに特別な意図を感じさせた。この手の手紙は今までに二度見たことがあって、そのどちらも巡宛てだったから、今回もそうだと思った。だが表書きは佐久夜を指していた。
「ラブレターじゃん。やるぅ」
 巡は端的にそれを形容した。周囲に配慮したのか普段よりも低く小さい声だった。
「誰からとか書いてる?」
「表にはない」
「ふぅん」
 もて余すような気持ちでそれを巡の方に差し出す。「え」と彼は引き気味の反応をして後退った。
「お前宛てじゃん。読まないよ」
 そのまま身を返してすたすた自席に戻っていく後ろ姿を、見捨てられたような気分で見送った。これをどうすればいいんだ? 自分は間違えずに対応できるだろうか?

 人の居ないところで読むべきだろうと思ったから、家に持ち帰った。丁寧にシールを剥がして封筒を開こうとしたが結局失敗して紙が破れた。中身の手紙を取り出す。便箋が二枚。
 一般的な恋文の内容は知らないが、恐らくはとても丁寧な部類なのだろうと思われた。突然の非礼を詫び、それから、恋をしている、と。授業中の真面目な態度が、いつも姿勢の良いところが、誰にでも平等なところが、教室にスズメバチが入ってきた時に顔色ひとつ変えず追い払ったところが、お弁当を食べる横顔が──綴られている佐久夜の良いところは確かに当てはまるような気もしたが、どこか他人事のように感じられた。
 長い手紙は最後まで読んでも差出人の名前は書かれていなかった。貴方を好いている気持ちだけ知ってほしいと言われても戸惑うばかりだ。ただ慎ましやかな誠意は十分に感じられた。何度も推敲した上で一文字の崩れも許さずに書かれたものだろうと直感で思った。
 庭から足音がして、一言もなく襖が開かれる。
「居たんだ。道場かと思った」
「声くらいかけろ」
「あ、読んでる。邪魔したね」
「もう読み終わった」
 「誰からだった?」尋ねながら巡は隣に座る。書いていなかったと答えると驚いたようだった。
「うちの高校でラブレターとか、レアじゃんって思ったけど名前もないんだ。奥ゆかしいっていうかなんていうか」
 また手紙を差し出す。巡は身を引く。
「読まないって」
「……読んでほしい。お前の方が慣れてるだろ」
 半分は嘘だった。例え彼が恋愛に疎くてもきっとこうした。正解が欲しかった。どうするべきか道を引いて断じてほしかった。その手で手綱を握っていてほしかった。
 渋々といった様子で彼が手紙を読み始める。手持ち無沙汰に佐久夜は改めて封筒を眺める。細い字で書かれた宛名、綺麗に貼られたシール、その全てが自分のためだと思うと落ち着かない気分になる。何かを間違えているような。
「なんか……すごい良い子っぽいよね」
 読み終わった手紙を見つめながら巡は感想を口にする。佐久夜は黙って頷く。
「同じクラスかあ……心当たりないの悔しいんですけど。佐久ちゃんのこと好きな子とか居たら絶対気付くと思ったのに」
「なんでお前が」
「こんなに一緒にいるのにね」
 机に伏せて、首を捻って見上げてくる。
「名前も明かせないなら、案外男子とかなのかな……俺そっち全然分かんないし」
「男子……」
 相手が誰でも関係なかったが、ただ巡ではないということだけがはっきりしていた。それだけが大事だった。
「このくらいの字なら俺でも書けるし……ていうかだいぶ前だけど丸文字練習したんだよ。女の子たちとさあ、ノリで」
 身を起こした巡は勝手に佐久夜の筆箱を開けてノートに文字を書き始める。化身のある手でわざとらしくくるくると書かれた自分の名前は、封筒の丁寧に記されたフルネームよりも魅力的に思えて、佐久夜は手紙の差出人に僅かな罪悪感を抱くと同時に安堵もしている。これが正解だと思えたので。
20230408


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