どうか幸せでありますように | ナノ

どうか幸せでありますように

既婚世界バームクーヘンエンド
結構しっかりめに巡モブ♀要素がある

 見覚えのある白い箱がそのまま生ごみ入れに突っ込んであったので、捨ててしまうんですか、と夫に尋ねた。巡さんはいつもと変わらない笑顔で答えた。
「虫が付いちゃってたから!」
 お菓子か何かだったのだろうか。秘上さんの結婚式の引き出物。

 秘上さんの結婚式は簡素なものだった。出席者もほとんど身内だけのようなものだ。祝いの席の主役だというのに新郎は相変わらずにこりともせず、代わりのように巡さんはよく笑った。二人はきっとずっとそうしてきたのだろうと思った。
 良い式だったね、と帰り道で夫は言ったけれど、私には肯定の返事が出来なかった。あれは文字通り儀式のようだった。おめでたい席で、私はひとり逃げ出したい息苦しさを感じていた。
 結婚式はもっと幸福なものだと思う。私と巡さんの式はそうだった。私たちは見合い結婚だけれど、私は巡さんを愛しているし、彼だってそうに違いない。だって式のその夜に初めて床を共にしてから、毎晩のように求められているのだから。初めてのことで右も左も分からない私に優しくかけてくれた言葉も、電気を点けない暗がりの中で私の身体を探った順番も、私は覚えている。
 巡さんは優しい。

「もう今までみたいにはいかないから」
 夫は少しだけ寂しそうだった。秘上さんが結婚したから、彼の家に遊びに行けないのだと言う。向こうにもいろいろあるだろうから、と。
「でも……順番があるから……」
 巡さんは独り言を言って、私に向き直る。
「ねえ、今夜部屋に行ってもいいかな」
 構わないけれど、出来ませんよ、と事情を伝えると彼は珍しく露骨に狼狽したようだった。
「そう……分かった」
 小さな声で答えて彼は呟いた。
「なかなか子供できないね」
 子供が好きなんだろうか。少し意外だ。身軽にしているのを好むと思っていたから。
 そうして私は呑気にそれを伝えた。子供がお好きなんですね、と。今にして思えば馬鹿な話だ。私は何も分かっていなかった。箱入りで育てられてその意味さえ教えられていなかった。
 巡さんはまばたきをして、しばらく黙っていたけれど、やがてゆっくり口を開いた。軽薄を装った表情が消えると思いのほか思慮深い瞳をしているのだと、その時初めて知った。
「あまり子供ができないようだったら、別れてもらうしかない」
 幸福な私はその意味が分からずに首を傾げていた。巡さんは優しく慎重に説明をしてくれた。私は私の愚かさを知った。それから初めて、目の前の男に激怒した。私の拙い罵り言葉を彼は黙って受け入れて、最後に顔を上げた。
「俺のことは憎んでくれて構わないけど、子供だけは作ってもらえませんか」
 酷い話だ。どうしてそんなことを言うの。私はちゃんと彼を愛していた。彼が好きだと言うから髪を切ったし、彼の好みそうなものを身に付けた。全部無駄だった。最初から。
「君の人生を滅茶苦茶にしたことは本当に申し訳なく思ってる……子供さえできれば、俺のことは捨てて」
 泣き崩れる私の背中を彼は優しく擦っていた。やっぱり巡さんは優しかった。
「俺の人生には意味なんてないから」
 ひとつだけ、どうしてそうやって生きられるの、と尋ねた。巡さんはまた長く沈黙して、自信のない口調で言った。
「佐久夜のため」

 生ごみ入れに手を突っ込むなんて産まれて初めてだ。嫁いでからというもの初めての経験ばかりしている。
 箱の中身は思った通りお菓子なんかじゃなかった。虫なんて付きようがない。
 カタログギフトだ。

 デザートに出てきた焼き菓子を、巡さんは何も知らないで口にする。美味しいですか、と尋ねると笑顔で肯定する。
 貴方にあの人を祝福させてあげる。望まれなかった私の身代わりに。ねえ、幸せになってくれますか。
20230204


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