空白
漠然と鵺鷺 / 鵺巡
深夜配信を切って比鷺は伸びをする。調子良く勝ち続けたおかげで気分は良いが身体は固まっている。明日は午後から三言たちと会う予定があるし、あまり無様を晒して様々なものを千切られるのは恐ろしい。ドーピング用のエナドリでも買っておくかとよれたパーカーの上にそれっぽい上着を羽織った。
深夜の道は暗い。街灯のないエリアを早足に抜けてコンビニの明かりに安心したところで、
「あ、九条比鷺くんだよね!」
時間に相応しくないようなはっきりした声が響いた。
ぎょっとして足を止める。名前を呼んだ彼は、店からの逆光で顔は見えにくかったが派手な色の髪には見覚えがあった。
「……兄貴の……じゃなくて栄柴の……」
比鷺の呟きにその人は短い笑い声を上げた。
「知っててくれて光栄だね。ひーちゃんくんに会ってみたくてさ。時間ある?」
こんな夜更けに人と話すための時間なんてあるわけがない。とはいえ兄と関わりのある人間を無下にすることも出来なかった。あいつが何を企んでいるか分かったもんじゃないので。
「あ、でもなんか買いに来たんだよね? おにーさんが奢ってあげるよ。なんでも買いな」
店の自動ドアに踏み出しながら栄柴巡は気さくに言った。夜中の初対面とは思えない勝手気ままな振る舞いはどことなく兄と似通っている気もした。
彼の前でエナジードリンクに手を伸ばす勇気はなく、缶コーヒーを選んだ。店の前に出て、並んで封を切る。巡は何か女子の好みそうな甘い飲み物を買っていた。
奢られたお礼をぼそぼそ告げる比鷺に彼は笑って手をひらひらさせた。
「てか、マジで似てるねー! 見分けつかないかも!」
巡は明るく言う。面白がる言葉の中になんとなく嘘を吐いているような響きがあって、その上それを悟られても構わないと思っているようでもあった。いや、兄と自分がそっくりなことなんてどんなに頑張っても否定できないのに、どうして嘘なんて思ったんだろう?
こんな着古したパーカーなんて着るんじゃなかったな、と後悔し始めていた。巡は笑っているけれど、品定めするような視線を向けてきている。比鷺が散々晒されてきた、苦手な目だった。避けるように俯いて手の中の缶コーヒーを両手で包む。
「……あの、なんでここに来たんですか……」
夜遅くに待ち伏せみたいな真似をしていた以上、目的は比鷺に違いなかった。そしてそうであれば兄が関わっていることもまず間違いないだろうと思ったが、巡はあっさりそれを否定した。
「鵺雲さんは関係ないよ。俺がちょっと見てみたくてさー。こんな遠出すんの地味に初めてで大変だったわ」
「関係ない……」
「そんで、鵺雲さんが弟さんはたまにコンビニに行くよって言ってたのを頼りに待ってたってわけ。家に行くのもさ、うちも名家だし挨拶とか面倒じゃん」
胸に不快感が広がる。多分待ち伏せされたこととか知らないところで兄に知った口を利かれていたことへの嫌悪感だ。兄が目の前の人と意味もない雑談に興じていたらしいことは何の関係もない。
「えーっと、じゃあ用事は……ないんですか……」
「会うのが目的って感じ?」
「…………」
気まずさにますます背筋が丸くなる。何しに来たんだろうこの人。俺に何をさせたいんだろう。ほんとこういうの無理、助けて!
「やー、話通りお兄ちゃんのこと大好きなんだね!」
「うぇぇ!? なんでぇ!?」
弾かれたように顔を上げて大きな声を出した比鷺に、巡は目を眇めて笑った。その時になってようやく見え隠れしていた悪意がはっきり向けられたのが分かった。
「君、ずっと鵺雲さんのことしか考えてない」
「……そ、そんなことないっていうか……でも……御斯葉衆の人が会いに来るならそれしかないし……」
もごもご言いながら目を逸らす。また背中を丸めて一口しか減っていないコーヒーで指先を温める。
「俺は鵺雲さんのことなんて別に好きじゃないけどさ」
巡もまた、大して減っていない飲み物を邪魔そうに弄びながら言った。
「でも弟くんよりは好きだわ」
これを言いに来たのか、と思った。知らないところで知らない人に嫌われてるの、かなりしんどいんですけど。今夜は寝ずにエゴサで褒められてるのを探さないといけないかもしれない。
「あの人、あれで一応俺の舞奏は評価してるからね。当然ではあるけど」
あの男がわざわざ組みに行ったのだから相応の才はあるに決まっている。比鷺の反応を見ることもなく、立ち去る素振りを見せるその人に俯いたまま言った。
「……俺は、あいつと組むとか絶対無理だけど。でも俺は……あいつと血が繋がってる、から……」
「逃げられなくて大変だね!」
巡は初めて親しげな笑い方をして、手を振って去って行く。どうやって帰るつもりなのだろう。自分ではない誰かが帰る先に鵺雲が居るなんて、変な感じがした。
20221230