もろともに
佐久→巡
佐久夜の主人は、この世で最も価値あるものを持っていたただ一人だけだ。それなのに車椅子に乗った巡に屈み込んで口付けているのもまた巡だった。
佐久夜が主の部屋を訪ねた時には既に二人はそこに居て、口付けに興じていた。佐久夜が仕えている、脚の不自由な方の巡は、自身の脚で立っている方に翻弄されて切なげな声を洩らしている。拒むために伸ばされたのかもしれない手は力無くパーカーを握っている。やがて立っている巡が身を起こして、二人が離れる。
「はーっ、は、はあ……」
「息止めてたの? だめじゃん」
「は、……知らな、」
「えー? さすがにどうなの」
「お前と……一緒にするな」
巡は口元を拭いながら巡を睨み付ける。その様子を見てようやく佐久夜も正気に帰る。意味不明な状況だが、不審者の侵入には変わりない。
「誰だ」
鋭い目を向ける。真っ直ぐにそれを受け止めて、主人にそっくりな男はやはりそっくりな皮肉っぽい笑みを見せた。
「見たままだよ。お前のご主人様はこっちだけど」
「不遜なことを言うな。今すぐその方から離れろ」
二人の間に割って入る。片手を掴んだところで振り払うように暴れられるが離さない。顔だけそっくりなもう一人の巡は、佐久夜の主人なら絶対にしないような大騒ぎをした。
「うわ待てって掴むな怪我したらどーすんの! 俺まだ覡なんだけど!」
「…………」
「俺はまだ舞えるんだよ。お前のご主人と違って」
また皮肉げに口元を歪める。主人の方を窺う。彼は相変わらずの冷めた無表情のまま、小さく首を振った。手出しをするなということと解釈して、黙って手を離し引き下がる。手首を抑えて、巡は巡に視線を落とした。
「ねえ俺、選んでいいよ」
「偉そうに」
「佐……こいつをここに居させるかどうかさ。見られた方が興奮する?」
「…………好きにしろ」
「俺ながらすごい性癖」
巡はわざとらしく笑う。佐久夜は不快感を抱くが主はこちらを見ない。
怪しい動きがあればすぐに廃せるよう、監視という名目で床に正座して二人の様子を窺うことにする。あくまで監視であって、他意はないはずだ。
「ほらもう一回やるよ? 息して、口開けて」
巡は巡の上に屈み込む。どうして拒まないのかと佐久夜はほんの少し苛立ちに似た感情を覚える。もう一人の巡のことなど信用できるはずがない。そんな気も知らないで二人は唇を合わせ、舌を絡める。
「ぅ、……っく、はぁっ、んぁ……」
「………………」
「んぅ、ん……ぁ……」
「…………なんか、ちょっと待って」
「なん……?」
一度身を起こした巡を巡はぼんやりと見上げる。
「感じやすすぎない?」
「はあ?」
「そこまでふにゃっとされるとなんていうか……自分の顔だし……つまり親父にも似てるし……気まずすぎる」
「お前から襲っておいて」
「それはそうなんだけど。お前むかつくんだもん」
「俺だってそうだよ」
「もうちょっと抵抗してくれる?」
「この体で?」
「手は動くんだろ」
「抵抗するほどの価値もないさ」
「……そういうところなんだよ」
巡が巡に乱暴な仕草で覆い被さるので佐久夜は立ち上がりかける。「ああもう、悪いようにはしないって」面倒げに巡は追い払うように手を振る。主人を嘲り害そうとする様子さえ見せる彼を今すぐ投げ飛ばしてやりたいとも思うのに、「俺はまだ舞えるんだよ」と、その言葉が佐久夜を躊躇わせる。佐久夜の逡巡を悟って、二人の巡は苦々しく顔をしかめた。
「自分でベッド行ける?」
「…………」
巡は首を振り、佐久夜に視線を投げる。抱き上げた身体は普段よりも脱力しているようだった。ベッドに寝かせると見上げる巡と視線が合う。下腹部にぞわりとした感覚が走る。
「うん、ありがとー。どいて」
何もかも忘れそうになったが止められる。巡が佐久夜を引き剥がして代わりに跨がる。
「感じやすい巡くんはさ、経験とかあるわけ?」
「……あるわけがない」
「そーなんだ。ま、こんなん自分ですんのと変わんないしな」
巡は自分の下にいる巡の下衣をずり下げる。佐久夜は視線を外す。介助の際に散々視界に入っているがこんな状況で見ていいものには思えなかった。
「はは、勃たないってわりにすげー濡れてんじゃん?」
「うるさい」
「え、全然いいよ。かわいい」
不気味なものを見る目を向けられて、巡は楽しそうに笑った。そっくりな顔なのに知らない表情をする。耳元にはピアスが大量に光っている。こんな様子で覡であるはずがない、と思うのにその手に見える痣は見慣れたものとよく似ている。佐久夜にはこの男のことが分からない。
だから判断は任せることにした。主人がその身を許すと決めたのならば、付き従うのみだ。
「うん、いけそうな気がしてきた」
「お前、とんだ自己愛だな」
「よく言うよね。こんなにしといてさ」
性器を緩く扱かれて巡は息を詰める。見ないようにしていても粘ついた水音は聞こえてしまう。それから抑えた嬌声も。顔が熱くなる。顔を伏せたくなるが、名目上は監視なので背けられない。
金具の音がして、もう一人の巡も下着を下げたのが分かった。二つを合わせて擦っている。荒い息と潜めた声と水音ばかりが部屋を満たす。佐久夜はどうにかして固く張り詰めた自身のそれを隠せないかと裾を引っ張る。
「んぅッ、くっ、う、ぅううッ」
「ぁ、っ、くぅ゛ッ……」
びくついて反る巡の薄い腹の上に精液が吐き出される。しばらくの後、巡は巡の側に寝そべって曖昧に身体に手を回し、目元を拭ってやる。
「はぁ、気持ち良かったね……」
「……なんだそれは、気色悪い」
「出したら終わりじゃないでしょ、嫌われるよそういうの……」
「…………」
巡も躊躇いがちに巡の手を握る。握られた方は吹き出した。
「子供みたいだねお前。拭くものない?」
繋いだ手はそのまま巡は巡に尋ね、佐久夜の主人は従者を見る。目立たないよう膝立ちで移動し手拭いを渡した佐久夜を二人はわざわざ指摘するようなことはなかった。とっくに知られている。
服を戻した二人はまた指を絡めて寝転がっている。
「……お前、誰なんだ」
今さらになって巡は尋ねる。「だから、俺だよ」ともう一人は呆れ笑いで答える。
「そのうち消えんじゃない? 多分、どうせ忘れるし」
「それでいいのか」
「そういう大きなものには逆らえないしね」
彼は今までの印象から違った静かな声で言った。
「あと、まさかとは思うけど、俺を舞わせようと思ってないよね」
「思うはずがない」
首を起こして佐久夜に訊く彼にきっぱりと首を振る。こちらの巡は佐久夜に命じようとしなかった。その意味くらい分かっている。佐久夜にも従者の矜持がある。
「私の主人はこの方だけだ」
「…………」
それに、この男の舞うところを見たくなかった。もしそれが佐久夜の愛するものと同一であったら、こうして自由に生きていそうな彼がそれを持っているのであれば──そんなことに耐えられるはずがない。
「あはは。それでいいんじゃない? 一度裏切った人間をもう一度信じるなんてさ、よっぽどの馬鹿だけだし」
巡は笑って、何か思わせ振りなことを言った。それから独り言を呟く。
「俺の佐久夜も一人だけだ。俺の人生も──」
言葉は途中で輪郭を崩す。眠たげな巡を見て、佐久夜も自分の意識が遠のいていることに気付く。逆らえない。きっともう二度と思い出せない。
「それでいい」
どちらかの巡がまた呟いた。そしてもう会うことはなかった。
20221204