むすんでひらいて | ナノ

むすんでひらいて

「あの先輩、マジで手ぇ早いから気を付けた方がいいよ」
 そう顔をしかめる友人は、実はそこまで嫌がってないんじゃないかなとなんとなく思った。
 彼女は綺麗な子だ。見た目にもとても気を遣っている。その分男の人に声を掛けられるのも慣れているらしく、何回もその手の話は聞いたことがある。今さらそれを自慢と受け取ることもなく、むしろ迷惑している愚痴なのだと理解しているけど、今回は何か普段とは違うように感じられた。
 声を掛けてきたという先輩、栄柴巡は女好きで有名だった。まだ一年生の私のところにまで話が届くくらいには。四股かけてたとか最短二時間で別れたとか最長でも一ヶ月とか、そういう話ばかりが広く噂になっていた。
 でも、意外と嫌われていなかった。むしろ女子には人気があった。
 なんでもすごいお金持ちだって話だ。休みの日はブランドものの服で固めてて、デート代とか全部出してくれるらしい。でも人気なのはそういうのとは関係なく、単に誰にでもフレンドリーに接してるからなんじゃないかって、話したことのない私は想像してみる。多分彼が私に話しかけることはこれからもないだろう。いくら女好きと言っても選別はするだろうし、私が選ばれることはきっとない。
 だから、声かけられたって嫌悪のふりをしながらちょっと笑っている友人のことを、少しだけ羨ましく思った。

 友人は栄柴巡のことを振ったらしい。ということは付き合ってたのか、と思ったら付き合ってないから振ったのと怒られた。難しい。
 声はかけるくせに絶対に発展はさせないその人は、一体何を考えているんだろう。
「じゃあ土曜遊びに行こ! 新作も出てるしさ!」
 図書室の中で、大きな声ではないのに栄柴巡の声はよく目立った。会話禁止のルールは無いので私はカウンターの内側でぼけっとしている。放課後の図書室はそれなりに賑わっていて、別段注意するものでもない。
 栄柴巡の一団、彼と女子が三人と、それから彼の隣で黙って座っている怖い人。座っていても体格が良いのが分かる。きっちり背を伸ばして、会話に混ざるでもなくそこにいる。やがてその彼がため息をついた。
「付き合ってられん。帰るぞ」
「ちょっ、まだ早いって!」
「時間だ」
 栄柴巡の肘を掴んで立ち上がらせ引きずっていく。連れて行かれる彼は律儀に女子全員の名前を呼んで別れを告げて、それから掴まれた腕をほどき、絡め直してわざとらしく寄り添って出て行った。
 何を考えているんだろう。

「これに載ってる話、知ってる? 舞台この辺なんだよね」
 接点なんて無いはずだった。放課後の図書室に、珍しく誰も伴わず訪れた彼は私に尋ねた。手には地元の伝承集がある。そのうちの一編を彼は示した。
「あの話好きなんだよね。運命って感じで」
 本を鞄にしまいながら彼は言った。そうなんですね、と当たり障りなく応える。
「あ、知ってる感じ? さすが図書委員だね。てか一年生だよね? 何組? 良かったら休日どっか行かない?」
 誘われた。正直に言って、嬉しいとか驚くとかよりも先に、私なんかにも声をかけてくれるんだなっていう一種の感動があった。嬉しくないわけでもなかったけれど、だからこそ、私なんかを相手にしているからこそ、彼の言動が義務感に近い何かで行われていることに気付いてしまう。平等に、軽薄に。そう振る舞うことが彼にとっての何なのかは分からないけど。
「君が俺の運命の相手かもしれないじゃん」
 真剣に聞こえる声を出す彼の誘いを断るために、人の顔を見られず俯けていた視線を頑張って上げる。なぜかずっと握られている片手、着崩した制服、目立つ派手な色の髪を辿る。視線を合わせることはできない。
「これ、さくちゃんが開けたんだよ」
 不意に言われて理解が追い付かない。少し逸れた私の視線を、どこか見ているものと思ったらしい。彼の左手の人差し指が示す先を追う。彼の耳で小さなピアスが光っている。まだ耳が赤くて、開けたばかりなのかもしれない。
「さくちゃんって分かる? でかくて、いつもこの辺にいる」
 彼は自分の隣を曖昧に示した。私が頷くと彼は少し趣の違う笑みを浮かべた。
「あいつがいると女の子が怖がっちゃってさあ。いつも着いてくるから」
 不満げなことを言う彼を見て、なぜか友人のことを思い出した。文句を言っていても隠し切れない喜色が滲んでいた彼女。
「それで、土日なんだけど……」
「ここにいたのか」
 話の続きをしようとした栄柴巡を、低い声が遮る。少し離れたところに例の彼がいた。大股でのしのしと近付いてくる姿にはかなり迫力があったが、さくちゃん来た、と彼は怯みもせず笑う。
「手当たり次第に声をかけるのをやめろ。巡がすまないことをした」
 急にこっちに頭を下げるので慌てて頭を下げ返す。ついでに誘いも断っておく。栄柴巡は残念そうな様子を見せつつも軽く引き下がった。
 彼は本当に運命の相手を探しているんだろうか。私なんかにまで手を広げるその行為は、むしろ可能性をひとつずつ削り取っていく作業のようにも思われた。
 その果てに何が残るのかは分からないけど。
「帰るぞ。お前、課題の提出が間に合わないと昨日から大騒ぎしていただろうが」
「さくちゃん見せてー」
「自分でやれ」
 帰っていく二人を見送る。握り締められていた片手がもう一人の手と繋がれている。それはきっと、良いことなんだろう。そうであってほしい。
20221118-20230923


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